第三章 花壇その3ーコスプレ
1
紀子の心は、神崎修一に対する対抗心と負けん気で燃えていた。
「い…いいですよ。せ、制服着てあげますわ」
修一はにやりと笑みを浮かべる。
「いいのか?女だから二言は許されるぞ」
「男も女もないわ!私に二言はありません」
紀子の頬は、羞恥で紅潮していた。
「よく言った。今の言葉で十分だ。俺も書くよ。そちらのスケジュールで」
紀子の心は収まらなかった。
(きっと後で難癖付けるにきまってるわ。もう十分恥ずかしい気持ちになったんだから、セーラー服に着替えてやる)
「よし、そんなに言うなら、こっちに来い!着れるものなら着てみろ」
☆
二人は屋敷の二階に上がった。ある部屋で止まる。修一は、ある部屋のドアを開けた。
紀子が一歩部屋に入ると、言葉を失った。ずらりと女ものの服が丁寧にハンガーにかけられていた。他にもドレス。スカート、その他様々に。
(すごい。お姫様のドレスもあるわ)
紀子は、中学時代十八世紀フランスを舞台にした漫画に夢中になり、そのマンガに出てくるフランセーズのドレスもあった。
キャリアウーマンから夢見る少女に紀子の思考は飛んでいた。
「ど、どうして、こんなにたくさん…。あ、あるんですか」
「君が何を考えているかだいたい想像できるが、それは誤解だ」
紀子の目は紀子自身も気づかぬままに、好戦的になっていた。
紀子は、修一に指摘されて気づいたが、敢えて視線を鋭く保ったままにしていた。
修一の口調は、しだいに弁解の色を濃くしていく。
「俺は、小説を書く前には、徹底的に取材するんだ。この服は、自腹で買ったり、知り合いにレプリカを作ってもらったりしたんだ」
「私は何にも言ってません」
紀子は一言そういった。
「と、とにかくセーラー服に着替えてみます」
紀子は頬を紅潮させて言った。
2
服に囲まれた中で、紀子は服を脱いでいった。
衣擦れの音がする。
誰もいないはずなのに、修一の前で服を着替えているような気がする。
紀子はなぜ修一の無茶で奇妙なリクエストを断らなかったのだろう。
と思う。
編集者としての責任感あるいは使命感で、いまコスプレをしている。
冬服のセーラー服だ。紀子は、高校の頃はブレザーが、制服だったので、一時期「セーラー服」に憧れていたことを思い出した。
「まさか、仕事で着ることになるなんて思わなかったわ」
と、愚痴りながらも彼女の生真面目な性格で、黒襟に白のリボンを通し、
スカートを履く。ヘアースタイルも整えた。
鏡を見る。我ながら気恥ずかしいが、まだ十分に似合っていた。
「文句言ったら、ひっぱたいてやる」
紀子は、独りごとに呟くと、階段を降りた。
修一は、セーラー服に着替えてきた紀子を見て、言葉を失った。
とても似合っていたからだ。
高校の頃の恋人を思い出した。
「き、着替えてきました。約束は守ったのだから、小説を書いてください」
じっと自分を凝視する修一の視線をさけつつ、幾分かの女性としてのプライドをその視線に込めてお願いした。
「あ、ああ。とても似合ってるよ。綺麗だし、かわいいよ」
修一の言葉に、お世辞、からかいの響きはなかった。
紀子は、耳まで赤くなりながら、
「お、お世辞より書いてくれるんですね」と、どもりながら確認する紀子だった。
ほっとした笑みが、紀子の心の門を少し開かせた。
「実は、試しに書こうとストックしていた原稿がある。読んでみてくれ」
「ありがとうございます。じゃあ着替えてきます」
「まってくれ、ここにいる間は、セーラー服でいてくれよ。それも小説を書く条件に入れようと思う」
紀子の心からの笑顔が、疑惑と怒りと羞恥の視線にとってかわった。
「ご、誤解するな。押し倒そうなんて考えてもいない。ただ、その姿を
もうしばらく見ていたいだけだ」
「もし、今から少しでも私に触れようとしたら、私、警察に連絡しますからね」
紀子は、スマホを吸血鬼に対する十字架のように振りかざした。
「わかったよ。若い女性としては当然だな」
修一は、原稿を紀子に渡した。百枚ほどの原稿用紙だった。
紀子は、修一に背を向けようとしたが、そこにも修一は、口を挟んだ。
「ロッキングチェアーがあるだろう。それに座って読めばいい」
昔、アニメで見た童話を孫に話して聞かせるおじいさんが座る様な上等な木製のロッキングチェアーがあった。
紀子は、修一に視線を据えたままロッキングチェアーに座った。
紀子は自然背もたれに体重をかけるかっこうになり、一瞬バランスを崩し
かけたが、チェアーが修一のいる方向に紀子を戻した。
(なんなのよ、この変態)
彼女の胸の内は、修一の自分に対する理不尽な仕打ちに対する怒りが、燃えたぎっていた。
3
紀子は気を取り直して、神崎修一から渡された原稿を読みだした。
内容は、一組の夫婦の結婚・離婚から環境の変化による憎悪と和解の変遷を描いていた。
その文章は、洗練されていて、余計な場面はなく、表現は静かでありながら、夫と妻の互いの人生が、絡み合う場面が、音楽を奏でるように描かれていた。紀子が小説家を志したとき、お手本にした神崎修一の文章があった。
しかし、今の紀子は素人の作家志望の女子高生ではない。編集者なのだ。
読み手としては、綺麗に纏まりすぎているように思えるのだ。
「悪くはありませんが、まとまり過ぎていると思います。読者が退屈すると
思います」
紀子の感想・批評は一切のオブラートに包まれてはいなかった。その原因としては、コスプレさせられた怒りも半ば占めていた。
紀子は、原稿を修一に返した。
「そうか、やはり君もそう思うか」
神崎修一の声は、落ち込むともなく、冷静な響きを含んでいた。
紀子は、修一の表情に影があるのを見た。
(す、少し言い過ぎたかもしれない)
紀子は我知らず、チェアーから立ち上がっていた。
(待って、私は今からなにをしようとしているの)
原稿を睨むように見つめていた修一の視線と紀子の視線が重なった。
一瞬の間が存在した。
☆
紀子は驚いた。五十になろうとする、初老に差し掛かろうとする過去の
作家の顔に、少年のようなはにかんだ、しかし前向きな笑顔が浮かんでいたから。
「い、いやあ。手厳しい批評だが、的を射ている。君は若いのにすごいなあ。これからよろしく頼むよ」
「じゃ、じゃあ。これからは小説それも連載小説を書いてくれるんですね」
「ああ、書いてみることにするよ。ただし、条件がある。君が担当編集者であることと、うちに来るときは、コスプレをしてもらおう。セーラー服だけでなく、コスプレは君が自由に決めてくれ。とにかく何かの服に着替えてくれることだ」
神崎修一の表情に、嫌みな笑みが浮かんだ。
「わ、わかりました。私に少しでも性的行為をしたら、あなたをセクハラで訴えますからね」
紀子の視線に疑惑と敵意が浮かんだ。
☆
篠原紀子の心に先ほどから沸々と沸き起こる疑問と怒りと奇妙な同情心が起こっていた。
(こんな質問したら、私は大変な目に合う。でも聞かずにはいられない)
紀子は決意した。
「少し伺ってよろしいですか?この質問をすることで、私はあなたの担当を外されることになるかもしれません。それどころか会社を馘になるかもしれません。それでも敢えて質問します。神崎修一さんは、ロリコン、若い女性に対する性的欲求があるのか、それとも単なる女性編集者に対する嫌がらせなのですか」
神崎修一の怒鳴り声が返ってくるのを予想して、紀子は首を竦めた。
しかし、返ってきたのは、自嘲的な修一の笑い声だった。
「ハハ…。当然の質問だな。よし、答えよう。まず、私がロリコンなのかという質問に対しての答えは、「否」だ。そんな性的興奮を持ち合わせていたなら、もっと精力的に小説を書いていただろう。
次に、”女性編集者に対する嫌がらせなのか”については、イエスでありノーだ。今まで出会った女性編集者の中には、侮蔑的で敬語の使い方もロクに知らない女性編集者もいた。若い流行作家、ベストセラー作家には媚びへつらい、中には玉の輿に乗ろうと、”色仕掛け”する者もいたらしい。こいつは同年配の同業者から聞いた話だがね。君はどちらだね、私を「時代遅れ」と嘲笑するのか出世のきっかけにもならないと、おざなりにお世辞をいうつもりなのか?」
紀子は詰まった。すぐに答えられなかった。だが敢えて答えるとするなら、自分は、神崎修一を「時代遅れ」の作家と認識していたのかもしれない。
「わ、私は高校生の頃作家を目指していました。お手本にしたのは、あなたの小説です。先ほど渡された原稿を読みましたが、私は好きです。人間の皮肉と哀しみとがあって。でも、今の時代には正直言って、読者に受け入れられるとは思えません。でも、だからこそ私は、神崎修一を腐らせるには惜しい作家だと思います。お願いします。私が作家を目指したころ目標とした、神崎修一に戻っていただけませんか」
紀子の声は、しだいに熱を帯びていった。
「熱弁だな。だが、説得力には欠ける。君も編集者としてはまだまだだな。
お互い未熟だ。私も「時代遅れだ」と、指摘された。私も克服しないといけない。よし、私ももうひと踏ん張りしてみるか。条件は、君が担当編集者であることと、この家の中では、色んな制服を着てくれよ」
「コスプレは免除願えませんか」紀子は首を竦めて小声で願った。
「だめだな。最低条件だ」修一はにべもない。
紀子は、力なくうなずくしかなかった。
『秋の日はつるべ落とし』
すでに日は西に傾いていた。




