第三章 花壇 その2ー理不尽
1
篠崎紀子は、最寄り駅で降りた。
前回、編集長の吉村周と神崎亭(なんと時代遅れな表現か?)に向かった時は、曇天で風も強く、紀子を不安にさせたが、今は、見上げる空には雲一つなく、日差しはあるが、強烈ではなく、どこまでも歩いて行ける気分に紀子はなっていた。
靴も、トレッキングシューズである。神崎邸の前に聳える上り坂対策である。
坂道を登る彼女を見て、驚いた目をする老人もいた。
すれ違う中年女性に至っては、紀子を無遠慮に見定めるのだった。
「こんにちは」紀子が気軽に挨拶すると、中年女性は、驚いた顔をして走り去るのだった。
紀子は不思議に思いながらも、部分的には、納得できるところがあった。
(神崎さんはあまりご近所付き合いをしてないのね)
そんな五十男のところに、美人で若い女性が来たとなれば、噂は、燎原の火のように、一瞬にして燃え広がるのだろう。
もしかしたら、神崎修一が、作家であることも、隣近所の住人たちは知らないのかも知れない。
そんな思索を重ねながら、紀子は神崎邸のインターホンの前まで行き、ブザーを押した。
「光栄書店の篠崎紀子です」
彼女は、意識的に高い声で、インターホンに向かって言った。
「ああ、どうぞ」対象的にくたびれた声が帰ってきた。
紀子は、不快な感じを持った。
(まるで、今の今まで寝ていたという声だわ)
紀子の中の神崎修一に対する“評価“はまた下がった。
なにげなく顔を横にすると、コスモスや秋の草花が植えられている花壇があった。秋の弱く柔らかな太陽光線が、花を照らしている。彼女のややさざくれだつた気持ちが慰められる。
「仕事よ仕事。紀子」
彼女は、自分を励まして門扉をくぐった。
2
修一は、ラフな服装だった。
「改めてよろしくお願いします。担当になりました、篠崎紀子です」
修一は、辟易した表情で紀子に言った。
「周から電話をもらった。まあ、よろしく」
修一は、頭を掻きながら言った。
(名探偵・金田一耕助のつもり?)
紀子はさらに気分を悪くした。
「今日は、原稿をいただくよりも、今後のスケジュールを決めていきたいと思います」
紀子は玄関から廊下に上がった。
多少、足音がフローリングに高く鳴った。
二人は、応接室に備えられたソファーに向かい合わせに座った。一見して高級だとわかるソファーに座ると、紀子は一瞬バランスを崩しかかけて、前方につんのめりそうになった。が、懸命に踏ん張り姿勢を保った。
紀子は赤くなった。なぜか紀子にもわからないが、神崎修一に負けたくないという感情が沸き起こる。
(なぜかしら、ただの仕事の依頼をしただけの作家なのに…)
神崎修一の視線と彼の心の動きが紀子にはわかる。
今まさに神崎修一は、篠崎紀子を丸裸にしているのだろう。
紀子は修一に憎悪の視線を投げかける。
神崎修一は、篠原紀子をただじっと見つめていた。
(何を考えているんだろう)紀子はイライラしてくる。
しかし、紀子としては、仕事を依頼し、小説を書いてもらわないと紀子の仕事は終わらない。
「では、小説の完成までのスケジュールはですね」
紀子は息を整えて冷静に言葉を選んで
「おいおい、スケジュールってなんだ?俺は書くことを承知したが、スケジュールに従うとは言ってないぞ」
「はあ、おっしゃってる意味が解りませんが」
紀子は、不安と不満を表情に露わにして言葉にした。
「君も愚鈍だなあ。おれはスケジュールなんて知らない。書きたいときに書くし、書きたくないときは書かないんだ」
「そんな子供みたいな理由では困ります。全集は、来年初頭に第一巻が出る予定です。ですから、全集発売の前に、新作小説を書いていただきたいと我が編集部では考えていますので」
紀子の声は少し震えていた。怒りを懸命に抑え、冷静な口調保つ。
しかし、そんな紀子の懸命な努力を嘲笑うように修一の言葉は、冷静だが、冷たく紀子に浴びせられる。
「いつから文学は、作家ではなく、出版社主導になったんだ。編集者は、特に作家にやる気を出させるように補佐すべきだろう」
修一の言葉は、冷たく冷静にかつ厳しく彼の舌から飛び出してくる。
修一と紀子はしばらく無言で見つめあう。
「ふー、わかりました。先生の意見にも一理あると考え、担当編集者である
私に何をせよと言うのか、愚鈍なる私にもわかるようにおっしゃってください」
紀子の視線は、沈みがちだがその眼光は怒りに燃えていた。
「ふふ、若いのに大人の対応だな。並みの編集者なら怒って帰るところだがな」
「早くおっしゃってください」
紀子はヒステリックに叫んだ。
「そうだな、君はスタイルもいいし、コスプレでしてもらおうか。実は、俺は服が好きでね。自分が着る服には無頓着だが、女性ファッションには関心があるんだ。
どうだ、君の言うとおり俺の態度にも問題ありとして、君が俺のコレクションの服を着てくれたら、俺もがんばって書くよ。君の言うスケジュール通りにな」
紀子の顔は固くなり、蒼くなり、唇は震えていた。
「先生は、我が編集部では、「編集者泣かせ」として有名ですが、私もプロですから、泣き寝入りはしませんわ」
紀子はソファーから立ち上がり言った。




