第二十三章 作家と映画 2夫唱婦随 紀子と修一3
1
(修一さんは、やっぱり美男子なんだわ)
篠原紀子は心から思った。(やっぱり野獣じゃなかった)
坂の下のベーカリーショップの店主小林綾子の『美女と野獣』フリークから見れば、修一は、「野獣」かもしれないが、紀子にとっては、魔法から解かれたイケメンの王子様だった。(五十で王子と呼ぶには違和感があるが、現英国王も、五十歳でも、王子だっだことを考えればあながち間違いではない)
パリっとしたワイシャツに、紺の背広、赤のネクタイというスタイルに、紀子は見とれる。
修一は、紀子の視線を厳しい批判と受け止めたのか、いぶかし気な視線を、彼女に向けた。
「なんだ、どこか妙なのか。はっきり言ってくれよ」と、鏡をのぞきながら言う。彼にしてみれば、窮屈なことこの上ないのだ。
「少し、不安になりました」紀子は、下から修一を睨むようにして言う。
「だから、はっきり言ってくれれば直すと言ってるじゃないか」
修一は、視線を紀子に向ける。
「修一さんが、とてもかっこいいので、他の女性との間に間違いを起こすんじゃないかと不安になります」と、紀子は拗ねた口調で言った。
「ハハハ。それなら心配ない。俺は一度結婚に失敗してる。もう結婚にはこりごりだと思っていたのに、目の前にいる女性の粘りに負けた。この上他の女性に目を向ける余裕はない」
「粘りっていうのは、聞き捨てなりませんね。私は修一さんの像のような優しくて寂しい目にほだされたのです」
「まあ、解釈は自由だよ」修一は言った。
修一は、右足にかかる紀子の体重を感じ、悲鳴をあげた。
☆
相良愛は、緊張していた。女優としてデビューして以来、小さな役から、佐久間綾のような大きな役まで演じてきたのだが、さすがに今度の映画『群狼』の準主役、反乱を起こす地方豪族の族長の娘役には、プレッシャーを感じていた。
なにしろセリフが多い。それも時代劇だから、現在では使わない、文語調なのだ。さらに難しいのが、一応豪族の娘とはいえ、姫でもあるのだから、おしとやかなセリフから、反乱を起こす族長を支え、男勝りなセリフも言わなければならない。
例えば、こんなセリフが台本にはあった。
『父上、今、謀反を起こすは血気というもの。今しばらく時を待たれるのが、戦の常道ではございませぬか』
という比較的短いセリフなのに、現代の若い女性である愛には、意味不明な言葉ばかりだ」
”謀反”はまだわかるとして、”血気”や”今しばらく”さらに”戦の常道”などと言う言葉は。、愛にはわからない。
(言葉の意味がわからないのに、演じるなんて)と不安になる。
さらに、台本の後半部分では、地方豪族の父が病に倒れ、地方豪族のリーダーになり、反乱を指揮していくというシーンもあった。
男のようなセリフに、血なまぐさいセリフまであった。
例えば”殺れ”(やれ)という言葉なんて、愛の人生で口にしたこともない。
(ああ、どうしよう。今日が制作発表会だから、明日から撮影だわ。私、きちんと演じられるかしら)
その時、愛はお尻に暖かい手を感じた。
「キャー!」
驚いて振り向くと、父親役のつまり主演の歌舞伎俳優松本懸央が立っていた。
「ま、松本さん。セクハラはだめです」
愛は睨みながら言う。
「言葉が間違っている。スキンシップというんだ。リラックスしろ。そんなに緊張してたら撮影の時に倒れるぞ」
といって、何事もなかったかのように歩いていく。
(なによ!エロおやじ)
愛は、懸央が歩き去った方向を見て心の中で毒づいた。
2
緊張しているのは、相良愛だけではなかった。
紀子も緊張していた。原作者の編集責任者という立場なので、考えてみれば、映画とはまったく関係がないのだ。
「私が出席する意味あるんですか」と、隣で泰然自若としている修一に聞いた。
「まああるんだろうな。作家と編集者は二人三脚、夫婦のようなものだ。編集者のアドバイスがない小説なんてない」
紀子はうなずきながら、『夫婦』ということばに頬を染めた。
制作発表会まであと十分という時間の控えの間に、突然大きな声が響いた。
3
「神崎修一ぃ!ひさしぶりだなあ」
「松本賢治ぃ!お前こそ」
二人の中年男が抱き合う姿に、傍らに立っていた紀子も愛も驚いて言葉もなかった。
☆
呆然として立っている二人に修一は説明した。
「ああ、紀子は知らなかったんだな。松本とは高校が同窓なんだ」
修一は照れたように頭を掻く。
「え、歌舞伎界の人気NO1と修一さんが!」
「紀子って、さては本当だったんだなあ。お前が再婚したという噂は。しかもこんな若くて美人な女性とか」松本賢央が叫ぶように言うので、控えの間の全員の視線が集まった。
「い。いやまだ籍は…」
「そ、そうです。私たちまだ籍は…」
二人が照れていると、
「アハハ…。相変わらず硬派な奴だ。紀子さんとおっしゃるのですか?修一は良い奴なんです。奴のことよろしくお願いします」
紀子の倍近く年上なのに、松本賢央は、丁寧に頭を下げるのだった。
修一は、賢央の傍らにいる愛に目を止め、『群狼』よろしくお願いするよ」
「は、はい。がんばります。どうしよう。神崎先生までプレッシャーをかけるんですね。の、紀子さん助けてください」
「かわいそうだけど、大丈夫。愛さんならできるわよ」と、紀子は励ますように言った。
愛はうなずくしかなかった。
司会助手の青年が、呼びかける。
「みなさーん。そろそろ始まりますので、指定された席に座ってください」
『群狼』の映画制作会見が始まった。




