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今日も雨が降る中で  作者: 金沢俊夫 


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第二章 坂の上の家ーその3

                 1


 篠崎紀子は、文学少女ではあったが、文学だけではなかった。彼女は歴史が好きなのだ。特に父の影響を受けて、徳川家康が好きだった。作者の名前は度忘れしたが、二十巻以上ある長編小説を四か月で読破したことがある。

 高校時代の多感な文学少女にとって、幼いころに母と生き別れになり、信長と

 同盟を結びはしたが、いいようにこき使われ、後には秀吉との駆け引きがあり、そしてついに天下を取り、二百六十年の平和を築いた家康に、紀子は母性的同情と、苦難に耐えたことへの尊敬を持ったものである。

 本は、実家にあるが、いつでも読み直すことができるように、電子書籍で、スマホやタブレットに保存している。

 (便利な世の中になったものだわ)

 そして今、仕事の依頼で向かう作家の家の前に続く長い上り坂を歩きながら、

 有名な、

 『人の一生は遠き道を重き荷を背負いてゆくがごとし』(以下略)の遺訓を彼女は思い出していた。

紀子は、辛いことがあるとこの言葉を口にするようになっていた。

 (家康さん。私もがんばるわ)

 紀子は、一歩坂道に足を踏み出した。

 吉村周が、普段の運動不足を露呈して、喘ぎながら言った。

 「こ、今度こそジムに通うぞ」

 紀子は苦笑した。

 (編集長、そのセリフ何度目ですか?)

紀子は、前を向いて歩きだした。

 吹く風は秋を思わせるが、空気は夏だった。


        2

 急な坂道を上ること十分。古風な門扉のある明治時代を想わせる旧時代風の家屋が立っていた。

 「ふー、やっと着いたか」周は、その家をまるで親の仇のように睨む。

 よろけるような足取りで、周はインターホンを押す。

 「周か、入ってくれ」インターホンの向こうから声がした。

 紀子は意外に声が若いことに驚いた。

 (編集長と同級生ってことは五十歳。にしては声が若いわ)

 紀子は何か安心するような気分になる。

 門扉を周が開け、続いて紀子も入る。

 ドアが開いた。

 立っていたのは、長髪で長身、粋に黒縁眼鏡を掛けた男性だった。

 紀子は目を丸くした。

 (え!この男性が五十歳)


           3

背が高く痩せていて、頭髪に微かに白い物が見え隠れするだけだ。一見しただけでは、四十台に見える。

いわゆる「イケ叔父」だ。

吉村周は、手の平を神崎修一に向けて言った。

「このいけ好かない男が神崎修一だ」

修一は、紀子に視線を向けるが、無関心に吉村周に気だるげに言った。

「全集を出すことは、承知したが、新作書き下ろしは書かないぞ」

腕を組み、仁王立ちで神崎修一は言った。

「そうは問屋が卸さないのが世の中だ。全集は言わば、過去の抜け殻だ。全集の売上を伸ばすかどうかは、新作書き下ろしにかかってるんだ」

「“抜け殻“とは言ってくれるな。俺が苦労して書いた作品を」

「悪かった。では、ビジネスライクに依頼する。書き下ろし長編を書いてくれないか」

修一は、周の真剣な眼差しに気圧される。

「俺は、お前をこのままくちらせたくない。頼む書いてくれ」

修一は、頭を掻きむしる。

周は、喜びの表情を浮かべる。

「今、お前頭を掻いたな。お前の天邪鬼な性格を俺が知らないと思ってたんじゃないだろうな。お前が頭を搔く時は、承知したということだろう」

修一は、肯定も否定もしない。

原稿は、ここにいる篠崎紀子君に渡してくれ」

紀子は慌てて挨拶した。

 「先生の担当させていただきます。篠崎紀子と申します」

 「ふん、まだ俺は書くとは一言も言ってないぞ」

 吉村周は、にやにやしながら、修一に言う。

 「もう一つ思い出した。お前はフェミニストだろう。”美人には親切に”がおまえのモットーだろうが」

 紀子の表情に、拒否するような視線が、浮かんでいた。

 (まったく男って)と、紀子の視線が修一を刺す。

 「吉村誤解だよ。まあ、何でもいい。俺としては書いてくれさえすればいいんだ」

 修一はやけっぱちな顔で、分かった書くが、担当のこの”女”は外してくれないと困る」

 「どうしてだ。美人だろう」周は揶揄するような言葉を続ける。

 紀子は周を睨み、続けて修一を睨む。

 「美人なことは認めるが、自意識過剰だぞ、この女」

 紀子も負けじと周に視線を向けつつ言う。

 「編集長、神崎先生は、どうやら私がお気に召さないようです。担当は誰か他の人にしていただけますか」

 「ダメだ。前にも言ったろう。神崎修一の全集は、栄光出版の六十周年記念

 だと。篠崎はうちのエースなんだからお前しかいない。修一も今はコンプライアンス違反にうるさいご時世だ。気を付けてくれよ」

 周が間を取り持つような気分で言った。

 紀子と修一は、周の言葉など耳に入らぬようににらみ合っていた。



                  

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