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今日も雨が降る中で  作者: 金沢俊夫 


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4/13

第二章 坂の上の家ーその2

1

土曜日の夜。といってももう午前零時を過ぎて日曜日だったが。

篠崎紀子は、雨で濡れた身体を、バスタブに意識的に長く浸かり温めた。

吉村周の乱暴な告白に苦笑する。

紀子は、自分が美人であるという自覚はある。大学時代は、それなりに恋愛もし、抱かれたりもした。しかし、いわゆる”燃えるような”と形容される恋は、彼女は経験していない。その原因が、中学時代の失恋であるとは言えないが、やはりどこか恋愛に積極的になれない彼女だった。

 吉村周の告白は、紀子の心にざわめきを起こしはしたが、やはりどこか燃えるものにはなれなかった。


 だからというわけではないが、紀子は栄光書店で必死に働いた。

 編集部内での多少のセクハラに耐え、原稿執筆依頼、。受け取り時の老年作家の好色な視線にも耐えた。紀子はしだいに男のあしらいを自然覚えるようになった。

 スナックやキャバレーのホステスではないが、紀子の男性のあしらい方は、

 男性を立たせるものになっていた。もちろん「性的」にではない。

 プライドをくすぐり、作家をやる気(書く気)にさせた。

 その理由は、紀子はお世辞を言わなかったからである。

 「このような表現は、いまの二十代、三十代にはわかりにくいですから書き直してください」と、率直にいった。

 ベテラン男性作家にも人種は様々で、紀子の「歯に衣着せぬ」指摘に、怒髪

 を天井に向ける作家もいれば、丁寧に礼を言って、紀子の指摘を、懐中に入れていたメモ帳に書き留める作家もいる。

 「ハハ、今はスマホのメモ帳アプリに記録するのだろうが、私はどうもスマホが苦手でねえ。ご指摘感謝するよ」

 と、お礼を言う作家もいるといった具合である。

 とにもかくにも紀子は、部内にとどまらず、社内で評判になり、作家の口にも彼女の名前が上がるほどになっていた。

 しかし、それに比例して彼女の仕事量は増大していった。

とても結婚を考える間もない。

 (エリザベス一世は、『私は国家と結婚した』と言ったけれど、さしずめ私は、『仕事と結婚する』ことになるのかしら。さすがに趣味じゃないわね)

 紀子は、熱い湯で顔を洗って、バスタブを出た。

 さっぱりとした気分で、冷凍食品のパスタをレンジでチンして食べた。


              2

 吉村周は、神崎修一に電話していた。

 「修一か、急で悪いが今日お前の屋敷にいくからな」

 電話の向こうで神崎修一が文句を言った。

 「おい、前日に電話するのが礼儀だぞ。周」

 「悪く思うな。親友だと思うからできることだ」

 「まったく、俺が独り暮らしだと思って都合の良い時だけ親友と

 言うんだな」

 「とにかく行くからな。お前に執筆依頼だ」

 それだけ言うと周は、電話を切った。

          ☆

 吉村周は時計を見る。すでに午前十時に近かった。

 編集長室のドアを開けて、叫ぶように言った。

 「篠崎君、来てくれ」

 紀子は、飛び上がるように立ち上がり、

 「はい、編集長」と甲高い声が編集部室に響いた。

         

         ☆

 篠崎紀子は、スカイブルーのスーツに白いワイシャツにネクタイ。

 白のスカートにパンプスだった。

 吉村周は、編集長室に入ってきた紀子の服装をじろじろと無遠慮に凝視するのだった。

 紀子は、土曜日の夜の吉村の酔いどれ告白を思い出し、手に何も持たず編集長室に入ってしまったことを後悔した。

  

 「うん、君らしい服装だ。土曜日に言った神崎修一の家に今から行くぞ」

 紀子は戸惑いをはっきりと顔に浮かべて言った

 「え、ええ!今からですか。一応神崎修一さんについては、ウィキペディアで調べはしましたが」

 「結構なことだ。若い新人の編集者なら、予習さえしないだろう」

 吉村周は満足な笑みを浮かべて言った。

 周は、バッグと帽子を手に取り、戸惑っている紀子のヒップを軽く撫でた。

 紀子は飛び上がって言った。

 「や、やめてください。ほ、本当にセクハラで訴えますよ」

 「君が魅力的すぎるからさ」

 周は、悪びれずに言うだけだった。

 紀子はため息を漏らすしかなかった。


          3

 季節は秋だった。といっても九月第一週は、まだ十分に暑かった。

 道行く紀子と同じ中年の男と並んで歩く若いOLと何人もすれ違った。

 どのOLも上司であろう男と歩くことに緊張を顔に浮かべていた。

 紀子は無意識にOLたちを観察していた。

 (上司と部下のOL、それとも社長と秘書かしら。でも、私みたいに上司にお尻を触られるなんてことはないわよね)

 紀子の視線は、彼女自身も気づかぬうちに殺意を含むものになっていたらしい。

 「おい、そんな怖い目で睨むな。ただの悪意のないスキンシップじゃないか」周の声に弁解も謝罪も感じられなかった。

 紀子は、出版社選択に失敗したことを確信した。

 紀子は弱い女ではなかった。そして、人生が自分の思い通りにいかないことが、度々あるということを、まだ二十七歳と若いが理解していた。

 夏の日差しは石畳に集中的に熱を放射していた。

 「九月だというのに熱いな」

 周はつぶやくように言った

 「そうですね」

 紀子も呟く。

 

 二人は上り坂を目の前にしていた。

 「いまいましい!修一はこんなところに住んで何が楽しいんだ」

 紀子は何も言わなかった。

 (今日だけシューズを履くべきだったわね)

 彼女は上り坂を見ながら考えた。

 

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