第十五章 波紋 4ー首相質問する
1
修一と紀子は、玄関で並んで高瀬真由美「首相」を出迎えた。
真由美は横に並んでいる二人を見て、笑顔でありつつ自然な雰囲気を感じていた。まるで、ずっと以前から二人でいるような空気を真由美は感じる。
(フフ、修一あなた…)
真由美は後に続く言葉を飲み込んだ。
神崎修一のいつもと変わらぬぶっきらぼうな言葉が響く。
「真由美、学生時代から変わらないな。人の不意をつくのは」
と、無遠慮に頭を掻いている。隣の紀子は、注意するように和服の袖を引っ張るが、修一は態度を改めない。
「昔の友達に会うのに、遠慮なんかいらないでしょう。それともあなた相手の立場で、態度を変えるような男になり下がったの」
真由美は真由美で、じゃじゃ馬気質がむき出しになっていた。
修一は苦笑して、真由美と秘書官とSPの青年を上げた。
☆
紀子は慣れた手つきで、トレイにコーヒーカップを乗せて、リビングのテーブルに置いた。
真由美は、紀子の振る舞いを無言で観察していた。
(慣れた手つきだわ。とても昨日・今日の振る舞いじゃない。いったいこの女性は…)
真由美の心は、遠い時間を逆行していた。
(大学時代、この屋敷で、このテーブルで、修一と周と三人で語り合ったわね。私がコーヒーをトレイに乗せてこのテーブルに並べていたわ)
真由美の胸にもう忘れかけていた嫉妬と羨望が戻っていた。
真由美は、胸の内で首を横に振る。
そして、意識的にやや乱暴な口調で言葉を紡いだ。
「しかし、あなたまだこのお屋敷に住んでいるのね」
「おやじが遺してくれた家だからな」
修一は、コーヒーに口をつけながら答えた。
「そうだったわね。あなたが大学四年の時に病気で亡くなられたのよね。お母様は?」
今まで静かで目元に笑いを浮かべていた修一の視線が、一瞬にして鋭くなった。
「よその男に走った女なんて、母親じゃないよ」
修一の言葉は、ギリギリのラインで感情の爆発を抑えていた。
「そうね。ごめんなさい。国会なんかできつい答弁を繰り返していると、思いやりを忘れてしまう」
紀子は、修一のとなりで思いがけず過去の話を聞いて、口を押えていた。
(神崎さんにそんな過去があったなんて…)
リビングの空気は、一瞬重くなったが、修一自ら場の空気を変えた。
「で、真由美もどうなんだ。憲政史上初の女性首相、おまけに若干五十歳なんだからな」
「女性の年齢を遠慮もなく話題に上げるのは、あなたの昔からの悪い癖ね」
真由美の言葉が毒を含む。
高瀬真由美は、コーヒーを一口飲んで答えた。
「どうも何もないわよ。最初の内はちやほやされるけれど、一年もしたら、突き上げの連続よ。野党議員からも、身内の閣僚からも、国民からの誹謗中傷も。おまけに海外からの戦争の話。やってられないわ」
高瀬真由美は、隣にいる秘書官の柳摩耶に言った。
「あ、ここでの話はオフレコよ!わかってるわね」
「はい、承知しております」柳摩耶は、真面目な態度で答えた。しかし、目元がわずかに笑っていた。兄のSPの健司も同様である。
真由美はかすかにため息をついた。
2
「ねえ、久しぶりだから、例の”衣裳部屋”見せてよ」
真由美が弾けた声で言った。
紀子は、コーヒーを噴き出しそうになるのを懸命に堪えて立ち上がった。
「わ、私がご案内します」
「ええ、お願いするわ。あなたと少し話したいこともあるから」
紀子は一瞬、修一に視線を向ける。修一は無言でうなずくだけだった。
☆
二人は揃って衣裳部屋に入った。真由美が感嘆の声を上げる。
「まだ、この部屋あったのね」
「ね、あなたにこれからいくつか質問するけれどいいかな?」
「はい、私が答えられることであれば」
紀子はまじめに答えた。
真由美は無言でうなずく。
「あなたのお名前は?」真由美は、最初の質問をした。
「篠原紀子と申します」
「ご職業は、なんですか?」真由美は次の質問をする。
「光栄書店書籍編集部に勤務して五年になります」
「編集担当者は、週末にわざわざ作家の自宅に訪れるものなのですか」
高瀬真由美の質問は続く。
紀子は答えに詰まったが、正直に答えることにした。
「神崎さんの二十年ぶりの新刊『群狼』がヒットの兆しを見せていることを、社の上層部に認められ、この度神崎修一さんの専属編集者になっことを報告に上がりました」
高瀬真由美の質問は、鋭さを増した。
「奇妙ですね。今日間接的伝達手段は、電話・メール・ファックス等いくらでもあると思うのですが」
高瀬真由美の質問力は、国会議員二十年の筋金入りだった。
「そ、それは…」紀子は下を向く。
真由美は間を置いた。そして再び質問を再開した。
「質問を変えます。篠原紀子さんは、とても自然にこの部屋に私を案内してくれました。ということは、あなたはこの部屋に何度も出入りしているのですね」
「は、はい」紀子は足元に視線を向けながら答えた。
「コスプレはしましたか?」真由美の質問は楽しげだった。
「いいえ…はい。神崎さんに小説を書く条件だと言われて、しかたなく」
「あの変人男。まだそんなこと女性にやらせているのね。私だけでなく」
下を向いていた紀子が顔を上げた。
「え、真由美さんも、あ、ごめんなさい。首相もですか」
紀子は開いた口がふさがらなかった。
「そうなの。ゼミのみんなに内緒で交際していたのだけれど、さすがに半年で嫌になって別れたわ」
真由美は破顔一笑で笑った。
「修一はね。お母さんのことが憎いのよ。でも、それは裏を返せば、お母さんが恋しかったんだと思う。修一はマザコンではないわ。ただ、少し子供っぽいところあるわね」
「わかります」紀子は素直に答えてしまった。
「あら、なにかあったの、紀子さん」高瀬真由美は身を乗り出した。
「神崎さんには私が言ったと言わないでくださいね」と、念を押す。
紀子は先日の香水の件を話した。
「なにそれ、まるっきり子供じゃない。修一も五十に手が届くのよ」
「しかたないので、退社した後、ここに戻ってきました」
紀子はため息交じりの笑顔で答えた。
真由美は爆笑した。
そして、笑いが収まると、囁き声で言った。
「幸せね、紀子さん」真由美は言った。
紀子はうなずいた。
「最後の質問をします。篠原紀子さん、神崎修一を愛してますか」
篠原紀子は、姿勢を正して答えた。
「はい」
「以上で質問は終わります。紀子さん、修一を幸せにしてあげてね」
高瀬真由美の表情は、日本の首相ではなく、一人の女の表情だった。
3
帰りの車の中で、秘書官の柳摩耶は、上機嫌の真由美に質問した。
「ずいぶん長い間、担当編集者の女の方とお二人で話していらっしゃいましたね」
真由美は、笑顔を摩耶に向けて答えた。
「ええ、本当に心から楽しい時間だったわ。あ、摩耶さん。近いうちに結婚式があるかも知れないから、出席できるようにスケジュールは、開けておいてね。日米首脳会談で、あの白髪頭の爺に会うより優先度は高いわ。あ、この話オフレコよ。わかってるわね」
首相秘書官柳摩耶は、力強くうなずいた。




