第十四章 遠距離と近距離
1
『眠れる巨星、ついに立つ!文学界の寵児。神崎修一書下ろし新作「群狼」
発売。
「あなたの青春時代の心の伴奏者。神崎修一二十年ぶりの書下ろし新作です」
『群狼』三月十日発売」
紀子は、大胆にも膝上二十センチのミニスカートを身に纏っていた。
ショート・パンツを履こうと思ったのだが、紀子は自分が”アラサー”と称される年齢であることを自覚し、年齢相応のスカートを履いて、いつものロッキングチェアーに座っていた。
修一は、年甲斐もなく胸の高鳴りを覚えたが、顔には出さない。
ロッキングチェアーが揺れる度に、スカートの奥の影が、修一の目を射る。
「おい、スカートなんて履くなよ。今は真冬だぞ」
「あら、いいじゃないですか。朝から満員電車に揺られて、出社して、書下ろし小説の「群狼」のキャッチ・コピーができたので、会社に一時間だけいて、また電車に乗って、ここに来たんですよ。少しはリラックスさせてください」
紀子は言った後で、反省したのか目を伏せて謝った。
「ごめんなさい。今も仕事中でした。着替えてきます」
紀子はロッキングチェアーから立ち上がろうとした。
「いや、それには及ばない。チェアーに座っていろ」
修一の言葉は乱暴で、専制君主のように威圧的でもあるが、しかし紀子は、言葉の裏にある優しさをかみしめていた。
(優しいですね修一さん)
紀子は心の内で呟いていた。
☆
紀子は二枚のキャッチコピーが印刷された帯を示して言った。
「神崎さん、いいですか。『たかが帯されど帯』なのです。慎重に決めてくださいね」
紀子は教え子を指導する教師のような気分で、諭すように言った。
修一は、現代の情報化社会ーこの言葉すらもはや死語に近いがーにおいて、広告CMの力が重要であることは、彼の明敏な頭脳は理解していたが、精神的には、漱石や鴎外、芥川龍之介にシンパシーを置く作家だった。
つまり小説に力があれば、自ずと売れるという感覚を持っていた。
だから、即決はできかねていた。
「うーん。決められないな。君はどちらがふさわしいと思ってるんだ」
(やっぱり私に決めさせようとするのね)
☆
紀子は、神崎修一を理解していた。
神崎修一は、小説家なのだ。広告などという販売前の段階にまで思考はゆきとどかないのだ。
ゆえに、現代社会に不適合と断定することはできない。広告というものが、いかに重要であるかを修一は理解していながら、なおも小説のみの力が、最上位にあると信じている、信じていたいのだということを。
それは、神崎修一の弱点であっても欠点では決してない。そして、紀子はその神崎修一の弱点が、たまらなく愛おしいのだった。
紀子はため息をついた。
「はー、しかたありませんね。私が決めてもよろしいでしょうか?神崎先生?」
紀子は、多少の歯がゆさを込めて、丁寧に確認した。
「ああ、かまわないよ。君を信じているから」
修一はほっとしたように言った。
”君を信じているから”紀子は心が感動に震えているのがわかった。
しかし、プロの編集者として態度には出さなかった。
紀子は二枚の帯のコピーを親の仇のように睨み続けた。そして決断した。
「『眠れる巨星』ついに立つ!文学界の寵児。神崎修一書下ろし新作『群狼』
三月九日発売」
紀子はキャッチコピーを大声で読み上げた。
「これでいきます!」
書斎に、紀子の決意の声が轟いた。
2
神崎修一の二十年ぶりの長編小説「群狼」が刊行された。
編集担当者として、祈るような思いで、発売からの一か月を過ごした。
「大丈夫ですよね。神崎さんが一生懸命書いた小説ですから、大丈夫ですよね」
と、修一の前では、不安を隠さず半ば泣き顔になるのだった。
当の修一は、冷静な表情で落ち着いていた。
紀子は、光栄書店から電車に乗り神崎邸に到着するまでは、切れ者編集者としての引き締まった表情だった。
神崎邸の最寄りの駅に着き、今では通いなれた麓の町内会の人々、ケーキ屋の坂本綾子とも親しく話すようになっていた。
紀子は悩んだが、ケーキをお土産に買った。
(修一さん、けっこう甘党なんだから喜んでくれるだろうけど、健康が気がかりだわ)
「紀子さん、神崎さんはお元気そう?」
「ええ、お元気だとお見受けしますけれど、修…神崎さんは散歩とか外出なさらないんですか」
紀子はケーキの入った箱を受け取りながら聞いた。
「いいえ、このところよく店の前をジョギングされているわ。ああして体力維持に気を配るということは、やはり、小説の執筆って神経使うから大変なんじゃないかと思ったものだから」
「ありがとうございます。神崎先生にはお伝えさせていただきます」
冷静な表情はそのままに、彼女は内心で、修一に不安を感じていた。
坂本綾子は、店を出て神崎邸へと坂を上る紀子の後姿を見つめながら、
「もうすっかりベルね。お城に住んでいなくても、野獣さんの心をつかんでいるわね。今は令和の時代なんだから、別居婚もありよねー」
綾子はにこやかに調理場へと歩いて行った。
エプロンのポケットのスマホが鳴った。
「はい、もしもし。あら愛どうしたの」
「うん、今日から映画の撮影に入るの。おばさん、じゃなかった”お母さん”
私、がんばるわね」
坂本綾子は、スマホを持つ手が震えた。
「そうなの。がんばるのよ。映画絶対見に行くからね」
綾子の声は涙で震えていた。
電話は女優相良愛からだった。いや、綾子にとっては、”娘”の愛からの電話だった。




