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今日も雨が降る中で  作者: 金沢俊夫 


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第六章 冬の足音 (2) 裸足で散歩

                

                 1

 修一は、腕時計を見る。

 「そろそろ昼か。冷蔵庫に何があるかな」と、デスクから立とうとしたとき、紀子が彼の前に立ちふさがった。足を踏ん張り、両手を広げ、胸を張って。

 修一は、ぎょっとして息を飲んだ。

 「な、なんだ。どういうつもりだ」

 紀子は、腹から絞り出すような太い声で言った。

 「神崎さん、前から言おうと思ってたのですが…。運動してらっしゃいますか?」

 「運動、作家に運動は必要ない!頭と手と目があればいいんだ」

 修一の表情に朱が差した。明らかに痛いところを突かれたといううろたえがあった。

 紀子は、「フー!」と大きなため息をついた。紀子は、下から修一を睨み上げた。

 「やはりそうだったんですね。失礼ながら、お腹に贅肉が大量とは申しませんが、多少付いているのが気になってたんです」

 「篠原君は、男の腹を観察するのが趣味なのかね」

 修一は嫌みの成分をたっぷり混ぜて言い放った。

 紀子は赤くなり反撃に出た。

 「担当編集者として申し上げます。神崎「先生」運動なさってください。不健康です。生活が」

 修一は反論できなかった。修一は絶えず自分を客観視するように注意していた。作家として主観のみに寄らない冷静な視線を保つ努力を彼は怠ったつもりはない。だから自分の生活環境の、あたかも”世捨て人”かのように家に閉じこもる生活に危機感を持たないわけではなかった。

 それを若い二十七でしかない女性編集者に指摘されるとは。

 修一は二の句が継げなかった。


               ☆


 修一は紀子の表情が急激に柔らかくなるのを見た。

 「神崎さん、今スマホで検索したのですが、ここから歩いて十五分の中華料理店が、「食べログ」で評価4・5です。私と一緒に行きませんか」

 「君とか」

 「はい、ご馳走しますよ。お代は後で取材費として私の口座に振り込まれますので。多少高い料理でも大丈夫です」

 「”裸足で散歩”か悪くないな。ではいくか」

 「なんです?その『裸足で散歩』って?」

 修一の顔は途端に渋く変わった。

 「君は作家志望だったくせに、ニール・サイモンも知らんのか。勉強不足だな。映画もあるからDVDで見なさい」

 「はーい。わかりました。それより食事に行きましょう」

 「君におごってもらうのは気がひける。食事代ぐらいに窮してはいない」

 「そうですか。それはどうも。着替えてきますね」

 「そのまま出かける勇気はないのか」

 と、修一はからかいと知りながら言った。

 紀子は、再び腹から絞り出すような声で言った。

 「私に恥をかかすことを趣味とされているのですか」

 と、嫌みを返した。


           2

秋の日差しがやや勢いを戻したのか、坂道を下る二人の背を暖かく包んでいた。

 神崎修一の足取りは、意外にしっかりしていて、しかも早足で歩くのだ。

 紀子は少し焦りを感じながらも修一の歩幅についていく。

 (お腹出てるから運動不足かと思ったら実はそうじゃないのかも)

 紀子の焦りは、修一に伝わったのか、

 「『神崎さん、どうしてこんなに早く歩けるのかしら』って顔だな」

 紀子は図星を突かれてそっぽを向いた。

 「俺は四十歳の時に、四十前後のボクサーのドキュメンタリー小説を書いたんだ。その時にチャンピオンの減量を実際に体験するために、走り込み、スパーリングまでやったんだよ」

 「え、そんな小説私、読んでません」紀子の声は悲鳴に近かった。

 「それはそうだ。本にはしなかったんだよ。俺にしてもへとへとで、みっともなくて本にはせずにルポとして掲載するにとどめたんだ」

 「最初に会った衣裳部屋で言ったはずだ。俺はなんでも小説を書く前に徹底的に取材するって」

 「…そうでした」

 「思い出したならよろしい。めし、いくぞ」

 二人は、坂を駆け下りた。


        ☆

 食べログで評価されていた中華料理店の味は、評価点よりはさほどでもなかったが、空腹な二人にとっては美味だった。

 店の主人は、神崎修一と懇意なのか、気軽に声をかけてきた。

 「神崎先生、今日はまた美人なお方とお越しじゃないかい」

 「亭主!勘ぐるなよ。俺の新刊小説の編集担当者だよ」

 すると、店の主人はからかい口調を一変させて、紀子に言うのだった。

 「お名前は敢えて伺いませんが、どうか神崎さんをもう一度ベストセラー作家にならせてあげてください。先生は、口は乱暴な時はあるが、いい人なんだ。編集者さん」

 (いい人?神崎さんが?)

 「は、はあ。神崎先生がもう少し積極的に新作を書いてくだされば、私としても全力でバックアップさせていただくのですが…」

 と、紀子は修一に意味ありげな視線を向ける。

 「なんだその目は?さ、帰るぞ。十分運動になったろう。”君のな”」

 紀子は悔し気な視線を修一に向けた。

 

 「あ、吉村か。担当編集者の篠原紀子だがな。疲れがかなり溜まっていたのか。ロッキングチェアーで原稿ができるのを待っている間に眠ってしまったよ。

 明日は祭日で休みだろう。今夜はここで休ませるよ。なに、”手を出すな”だと。バカなこというな。女は奈々で懲りたよ」

 修一の声は囁き声に近かった。

              ☆

 紀子が目を覚ましたのは、午後八時だっだ。

 「あれ、私、服のまま寝てる。二階の来客用の寝室で。二度目だわ」

 紀子は顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 「きっと神崎さんがここまで運んでくれて!」

 紀子は、慌てて服の乱れを確かめた。なかった。

 紀子はほっとした。

 

              3

 階段をゆっくりと降りていく。ほとんど忍び足で。

 階段を一段残して、リビングと書斎を見る。

 ロッキング・チェアーに神崎修一が座っていた

 ロッキング・チェアーが揺れていた。紀子が何か言おうとした瞬間、

 「”眠りの森の美女”はお目覚めかな」

 途端に、紀子の中に修一に対する反発心がでた。素直に感謝を口にできない何かが引っ掛かった。

 「人を子ども扱いしないでください。今から帰るからそれを伝えたいだけです」

 「それはやめたほうがいいな。あと三十分で土砂降りの雨だ。君、編集会議で、ぼくの担当になったことで、同僚にひどいこと言われたらしいじゃないか」

 「どうしてそれを」紀子はもう言葉がなかった。

 「光栄書店に、編集長に電話したんですね」

 ロッキング・チェアーから立ち上がって、修一は紀子と顔を合わせた。

 「俺は、自分の小説が現代の風潮や流行に合わないことを別に悲しんでなどいない。小説を長い間書かなかったのは、書く気が起きなかっただけだ。

 だが、君が会議で俺の取るに足らない習作程度の短編をすばらしいと言ってくれた気持ちに応えようと思わないほど鈍感じゃないぞ。今日はここに泊まってお気に入りの来客用寝室のベッドで眠るんだな。冷凍食品だが、ちゃんと用意しておいた。リラックスするのも仕事の作法だぞ」

 「わかりました。でも、なぜ私が来客用のベッドがお気に入りだと分かったのです?」

 「枕に君の残り香があったとでも言っておこう」

 「神崎修一のバカ!」

 紀子は遠慮会釈なく叫んだ。


 

 

 

 



             


           




 

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