第20話 絶望の街ダルルグ(2)
驚愕の声をあげ、大男は慌てた様子でその脚をおろす。
リオンは、軽く左腕を振った。痛みは無い。想像よりさらに頑丈な身体だ。
(……だが)
今の一撃が直撃すれば、この拷問を受けていた男は恐らく死んでいた。
いや恐らくではない。間違いなく死んでいた。
怒りを押し隠しながら、リオンは問いかける。
「……この男から絶望を取り出すつもりだったのか?」
「は、はい……そうです……」
頭を下げる見張りの男は、恐縮しきりだ。
悪気があったわけでは無く、良いところを見せたかっただけ。
たとえその結果人間が死んだとしても気にしない。魔族とはそういう生き物なのだろう。
リオンは忌々しく思いながら大男から視線を切り、再び憔悴した男を眺めた。
こちらが助けたことにも気付かない様子の彼は、今も焦点のあわない虚ろな目を空に彷徨わせている。
この街の悲惨な現状。魔族の我が物顔な振る舞い。そして煮え切らない自身の対応。
そのすべてが気に食わない。
「……胸糞わりいな」
リオンの口から思わず漏れた言葉。
ピクリとダルルーグの頬がひきつるのが分かった。
彼もこらえようとはしたようだったが、全身の震えが止まることは無く。
結局は引きつり顔でリオンに詰め寄る。
「その言葉、いかに魔王様といえど聞き捨てなりませんな。我々は魔王軍からの食料の支援も無い中、こうして地道に占領を維持しているのです。人間どもから絶望を絞りとるために我々がどれほどの苦労を重ねているか、魔王様にはお分かりにならないのですか……!」
血走った目に、ぴくぴくと痙攣する唇。
レイリとは違い、この男には反乱の意志も力も無さそうだ。
そして魔王に逆らう意味が分からないほど愚かでもあるまい。
にもかかわらずこういった態度に出るのは、それだけ切迫しているということ。
(付け入るスキがありそうだな……)
リオンはダルルーグから目を離すと、絶望しきった男を顎で示した。
「ふん、ならばこの有様はなんだ。お前たちが上手に躾たと主張するこの男は、魔族の王たる俺様が目の前に立っているのに、なんの反応も示さないではないか」
「…………」
ぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど、ダルルーグの表情には露骨な不満が浮かんでいた。
リオンは彼の視線を断ち切るように大仰な仕草でバッと右手を振り上げ、ニヤリと笑った。
「はっきりいっておく。貴様らは、人間どもが絶望を出す仕組みを勘違いしているのだ。恐怖を与えるほど絶望し、死に近づくほどその絶望は色濃くなる――そんな考えは単なる幻想に過ぎん!」
「……ならばどうすればよいと言うのです」
「決まっているだろう」
怒りを押し殺しささやくダルルーグに、リオンは堂々と告げた。
「人間どもに、飯をたらふく食わせろ!」
「な、なんですと!?」
驚愕するダルルーグ。
リオンはその悲鳴のような声を無視して、強く握りしめた拳を魔族たちに見せつけるように掲げる。
「人間という生き物は、元気が無いと絶望すらできん! そのことは、この男の様子を見れば分かるだろう! 気力と体力が充実していて初めて真っ当に絶望ができる。だからこそ食事を与えるべきなのに、貴様らはそこが全く分かっとらん!」
「……」
魔族にはその言葉があまりにも衝撃だったのか、怪訝な表情で互いに顔を見合わせている。
当然ながら納得した素振りは無い。
微塵もない。
「……気力も体力も有り余っていれば、我ら魔族に反抗的な態度を見せるだけ。絶望などしやしませんよ、こいつらは」
困惑の表情で反論してくる大柄な魔族の言葉を、リオンは鼻で笑い飛ばす。
「ふん、だからそこが甘いと言っている。本当に貴様らは分かっとらんなあ」
などと煽りつつ、実のところリオンも自分が何を言っているのかよく分かっていなかった。
けれどそれでいいのだ。
(とにかく適当に嘘八百を並べて、この街の住人達にたらふく食事をとらせる方向に持っていく! 当然暴力だって禁止! 魔族との総力戦はまだ先送りしたいが、かといってこの街の現状は見過ごせん。だからこそこの街の環境だけは改善しておくのだ!)
そう心に決めたリオンは、魔族の不満の視線を真っ向から見返し、意味ありげに笑ってみせた。
「俺様がなぜ魔王という地位にまで上り詰めることができたのか分かるか。生まれつき魔力が多かった? いいや違う。実のところ、そこには明確な理由がある。俺様は、人間を支配する意味をきちんと理解していた。つまり――元気な人間どもに、絶望の演技をさせたのだ!」
「絶望の演技を……?」
意味が分からないように眉をひそめるダルルーグに、リオンは頷く。
「ああ、自分自身さえも騙すような名演は、やがて絶望を生む。比喩ではないぞ。本当にやつらは演技の結果として、絶望を出すことができるのだ。俺様はその絶望を大量、かつ安定的に摂取することで、ここまで力をつけたというわけだな! お前たちのように人間を使い捨てるやり方では、困窮するのも当然だ!」
堂々と言い張るリオンだが、ダルルーグはあり得ないと言った様子で首を振り、そして言葉を吐き捨てる。
「ば、ばかばかしい! そんなことができるものか! それに演技で絶望が出せたとして、そこになんの価値があるという!」
「ほーうなるほど、天然物の絶望こそが至高と言いたいわけだ。心情的には理解しよう。だがそのこだわりになんの意味がある。美食家を気取ったところで、現に貴様らは飢えているではないか」
余裕の笑みを浮かべ、真正面から煽るリオン。
「……っ!」
ダルルーグの目が血走っていた。
いや彼だけでない。この場にいる魔族全員が殺意のこもった瞳を向けてくる。
(やはり食えていないのは図星か。……魔族の窮状ね)
レイリが言っていた言葉をなんとなく思い出す。
食事を満足に取れない状況には哀れみを感じるが、同情などしている場合ではない。
リオンは天を仰ぎ、大仰に嘆きの仕草をしてみせた。
「まったくこの街にはこんなにも多くの人間がいるというのに、まさか飢える魔族が出るとは思わなかった。貴様らの無能さが心底哀れだ。自分たちはよくやっているだと? いったいどの口でそれを主張するのだ、この恥知らずめ!」
ぴしゃりと告げると、魔王の脅威を思い出したのかさすがに首をすくめていたが。
やはり怒りの感情が勝ったのだろう、ダルルーグは憎々し気につぶやく。
「そこまで言うのでしたら、魔王様。是非とも人間どもから絶望を搾り取る手本を、我々に見せていただきたい」
(よし、かかった!)
リオンは内心快哉を叫びつつ、もったいぶった笑みを浮かべる。
「無論そのつもりだ。ただし準備がいる。必要となる人間の条件はふたつ。食事をきちんと与えていて、栄養状態が良好であること。そして感情の表現に優れていること。この2つの特性を併せ持つ人間が必須だ。これからよく吟味し、該当する人間を育てなければなるまい。継続的に絶望が出せなければ意味がないからな」
「…………」
リオンがそう言うと、魔族たちはそれまでの怒りを忘れたように、困惑の表情を浮かべて互いに顔を見合わせていた。
それは今までとは明らかに違う奇妙な動き。
(なんだ?)
いぶかしく思っていると、ダルルーグが眉根を寄せたまま尋ねてくる。
「……感情の表現に優れる人間というのは、舞台役者とやらでいいのでしょうか?」
「ん? まあそれでも構わんが……心当たりでもあるのか?」
「は……。元々はこの食堂を経営する夫婦の息子だったそうですが、演劇とやらに異常な興味を示す不気味な男で、我々もどこか近寄りがたく。この建物の2階に隔離しているのです。申し上げにくいのですが、あの男については我々も絶望させることを半ば諦めており、恐らく栄養状態も良好かと」
(2つの条件に当てはまる人間がいる? ……マズいな)
リオンは苦虫をかみつぶすような思いだった。
3か月とはいわないまでも、条件を満たす人間が出てこないことを理由にずるずると実演までの時間を引き延ばすつもりだったが、こうなるとその対処は難しそうだ。
(なんとか言い訳を――)
そう思った瞬間、バンッという激しい音と共に、厨房の脇の扉が開いた。
勢いよく飛び出してきたのは、やけにラフな格好をした若い男。
「俺に……俺にやらせてくださいっ……!」
必死の形相でそう主張してくる。
見た目は多少やせているもの、健康状態は悪くなさそうな青年だった。
(なるほど、こいつか……)
リオンが見つめる先で、男はやけに元気いっぱい叫ぶ。
「俺の名前はラバンカといいます! 話は聞いていました! 俺、3年前まではこの街の小さな劇場で演劇をやってて……でもどうしても絶望ってやつが分からないんだ!」
「……」
リオンが無言で確認の視線を向けると、ダルルーグが心底イヤそうに眉をひそめた。
「こいつです。この男です。殴っても蹴っても爪を剥いでも嬉々として喜び……この男の目の前で、親や子どもを痛めつけても楽しそうにはしゃぐばかりで……」
(まじ? ……心が壊れてるタイプか?)
リオンは、背後に立つリーリアとユナを庇うような気持ちで、一歩前に出る。
「ラバンカとやら。貴様、絶望に興味があるのか?」
「はい!」
男はやはり元気よく頷き、そして自身の胸をぽんと叩く。
「俺は長年舞台に立ち続けましたが、絶望ってやつがまるでつかめなかった。こんな状況になっても、俺の心から希望が消えないんです! 俺に絶望を教えてください! 次の舞台に活かすために!」
(たしかになんか怖えな。次の舞台ってなんだよ……)
これで暴力にも耐性があるというのだから、魔族が無視を決め込むのは伊達ではなさそうだ。
とはいえ条件を満たしている以上、リオンも魔族と一緒になってこの男を無視することはできない。
(どうしたもんかね。ここまで条件が揃った人間がいるのは予定外だが……)
と。
リーリアがすっと背中に触れてきた。
軽く振り向くと、店の入口のあたりに続々と魔族が降り立ってくるのが見える。
いつの間にか、他の仲間たちにも連絡がいったらしい。
店の前にはそれこそ百体近くは魔族がいるだろうか。その全員がガラス越しにこちらを興味津々で眺めていた。
(俺のやり方で絶望が出ない場合、戦闘になる可能性があるよな。まあ魔王パワーを持ってる俺なら、たとえ相手が何百体いても切り抜けるのは余裕だと思う。ただ、問題はこいつらを倒したあとだ。 場合によっては即座に五天魔と対立して、対魔族の全面戦争になるかも……)
むろんいずれはそうなることも考えてはいたが、これからの3か月は何も考えずに異世界生活をエンジョイするつもりだっただけに、たった2日で終わりというのは受け入れがたい。
楽しみにしていた夏休みが、始まって2日目で強制的に打ち切られるような気分だった。
(……俺の魔法でこのラバンカとかいう男から絶望を強制的に絞り出すことはできないか? とりあえずこの場さえ凌げればいいんだ。俺がいないときに絶望が出せなくても、それはこいつらの責任と言い張れるし。……よし!)
リオンはひとまず方針を固めると、ダルルグに頷いてみせた。
「たしかに条件を満たしているようだ。この男で構わん。ただ、まずは参考までに普段の貴様らのやり方を見せてもらおうか。……なお、段取りが狂うから暴力はなしだ」
最後に付け加えた言葉は自分自身でも無理やりすぎるかと思ったが、それでも魔族からは反論が無い。
暴力を使ったとしても、どうせできるはずがないと思っているからだろう。
「ではまずは俺が」
先ほど蹴りを放った大柄な魔族が一歩前に出た。
魔族はラバンカを間近から見下ろし、ニヤニヤと笑っている。
「よお、久々だな。お前の母親だとかいうクソババアの顔面を、お前の目の前でぐちゃぐちゃになるまで殴りつけて以来か? 最後には悲鳴もあげなくなって……あれは快感だったぜ」
「ええ! 俺もすかっとしました!」
「…………」
大柄な魔族は言葉に詰まっていた。
たったワンラリーの会話で、早くも意気消沈としてしまったようだ。
(でもまあ、親子仲が悪いパターンもあるしな……)
人間に嫌悪感を持ちたくないリオンは、そんなことを考えて精神の安定を図る。
「これ以上続けても時間の無駄かと。次は私がやりましょう」
どこか事務的に名乗り出たのは、ダルルーグだ。
大柄な魔族にバトンタッチして、ラバンカの前に立つ。
ダルルーグの眼はすでに死んでいた。
「貴方には舞台俳優とやらのお仲間がいるのでしょう。その全員を足腰が立たなくなるまで痛めつけて差し上げます。もちろん最後は貴方だ。私も反省しているんですよ、前回は加減しすぎたとね。生まれてきたことを後悔するほどの暴力に晒して差し上げますよ」
「はい! よろしくお願いします! 俺も頑張って絶望するんで、ぼっこぼこにしてください!」
またもやいい笑顔で受け入れられてしまった。
「……チッ」
舌打ち。
不愉快そうにダルルーグは引き下がった。
(まあ暴力無しなら脅しにすぎないし、怯えないのも当然と言えば当然だ。でも実際にやられた経験があるのにここまで前向きな反応ができるのはやっぱ異常だよな)
ラバンカに無理をしている様子はなかった。
額に冷や汗が浮かぶわけでも、密かに拳を握りしめるでもない。
どう見ても本気だ。
本気ですべてを受け入れているようにしか見えない。
(ただ……なんというか……)
彼のその態度を観察するうちに、言葉にできない違和感があった。
(いやむしろ、違和感が無さ過ぎるのが違和感というか……)
と、すっとユナがリオンの手に触れてきた。
「……あの人、魂が揺れてます」
彼女はラバンカを見つめたまま、それだけをつぶやく。
何を意味する言葉なのかは、正直なところよく分からない。
ただ、なんとなく察することがあった。
(役者、か……)
「では俺がいこう」
リオンはげんなりしている魔族たちを押しのけ、前に出た。




