第19話 絶望の街ダルルグ(1)
「おっ」
宿屋を出て飛行を続けること数時間。
ようやく前方に街が見えリオンは歓声を上げた。
規模はかなり大きい。浮遊島全体と比べても遜色ないかもしれない。
街の中央を縦断するように大きな川が流れており、川を挟んで西側と東側とでは建物の印象も違っていた。
西側は工場らしき大きな建物が多い。一方の東側は民家が立ち並んでいるようだ。
「あれは……」
スポーツバッグの中から顔だけ出して、リーリアがつぶやく。
違和感のある持ち運び方法だが、結局これが一番納まりが良かったのだから仕方が無い。
ちなみにユナも同じようにスポーツバッグに入っている。
リーリアに抱きかかえられるような体勢で、やはり顔だけ出していた。
リオンは、そんな奇妙極まりない2人乗りのバッグに視線を落とす。
「知ってる場所か?」
「はい。恐らく【ダルルグ】の街だと思います。グランリュート王国の最東端の街なのですが現在は完全に魔族の支配下になっており……噂に曰く、絶望の街だと」
「絶望の街……」
「私もできれば解放したかったのですが、魔王との決戦のため素通りせざるをえず……」
リーリアの表情に苦いものが混じる。
(魔族が支配する街か……)
日はまだ高いし、さらに西に移動することは可能だ。
リーリアとユナがいる中で、わざわざ危険な場所に赴く必要はない。
ただ――。
街の片隅から、ぶよぶよとした紫色の物体が上空へとのぼっていくのが見えた。
ビー玉サイズの小さな塊だ。特に危険性は感じない。
けれど不愉快そうに眉をひそめるリーリアを見て、それがなにか察しがついた。
「もしかして……あれが絶望か?」
「はい」
リーリアの短い返事が、やけに重苦しい。
リオンは、胃のあたりに不快な感覚を覚えた。
この身体は魔族のものに違いないのに、絶望を見ても食欲ではなく嫌悪の感情がこみあげてくるのだ。
「……降りるか」
「ええ」
即座に頷きを返してくれたリーリアの反応を心強く思いながら。
リオンはスポーツバッグを両手で支え、街の東の外れに静かに降下していく。
(ん……)
この区画一帯の道は石畳になっているようだが、かなり長い間整備されていないらしい。
落下地点に選んだ足元の石は、ひび割れていた。
音を立てないよう慎重に着地し、リーリアとユナがスポーツバッグから抜け出す間、リオンは周囲を観察する。
降り立った場所は、路地の突き当りだ。
周囲をレンガ造りの家に囲まれているが、人の気配はしない。
が。
「……ご主人さま」
スポーツバッグを抜け出たユナが、警告するようにつぶやく。
彼女の視線を追って、リオンは上空を見上げた。
2階建てのレンガ造りの民家の屋根、そこからさらに倍以上の高さの位置に、ひとりの男の姿があった。
やけにごてごてとした装飾があしらわれた襟付きの白いシャツと黒いズボンを身にまとい、緑の髪をなびかせた壮年の男が空からふわりと降りてくる。
警戒しつつその姿を眺めていると、リーリアが耳打ちしてきた。
「……空を飛べるのは魔族のみです」
(なるほど、そういう見分け方があるのか……)
了承の証にリオンは軽く頷きながら、魔族の動きを目で追った。
男は手に絶望の塊を持っている。
先ほど見かけた、あの小さな紫色の塊だ。
おそらく絶望を回収するために空へと浮上したところで、リオンたちの姿を見つけてここまでやってきたのだろう。
石畳に音もなく着地した彼は、リオンの前でひざを折ると恭しく一礼してみせた。
「これはこれは魔王様。この街の支配を任されました、ダルルーグめにございます」
「ダルルーグ?」
「ええ、名無しでは不便とのことで、そう名乗るよう五天魔の皆様より指示を受けております。しかしまさか魔王様直々にお越しいただけるとは思っておりませんでした。一体何用でございましょう」
(……魔王の顔は知っていても、ガウシバに魔王の座を譲ったことまでは伝わってないか。それならそれで好都合……)
リオンは偉そうな魔王として振舞うため、いつものように傲然と顎を上げた。
「街の視察に来たのだ。ダルルーグよ、状況を報告しろ」
「すべて順調でございます。この街の人間どもは、絶望の底に沈んでいるといっても過言ではありません」
いかにも自信たっぷりな答えが返ってきたが、彼の額にうっすら汗がにじむのをリオンは見逃さなかった。
「そうか。実際に状況を確認したい。街を案内しろ」
「は……」
ダルルーグは立ち上がると、リオンの背後に立つリーリアとユナに視線を向けた。
「ところで魔王様。そちらの方々は……」
笑顔を浮かべてはいたが、その瞳には警戒心が滲んでいる。怪しんでいるようだ。
リオンはサラリと告げた。
「勇者だ。もうひとりは彼女の妹。ふたりとも俺様が捕らえ洗脳した。もはや危険はない。丁重に扱え」
「かしこまりました。近くに人間どもを集めた施設がございます。さっそく向かうことにいたしましょう」
ダルルーグはそう言ってこちらに背を向けると、スッと空に飛び立つ。
慌ててリーリアとユナを抱きかかえ、リオンもその後に続いた。
それから数秒後。
(ん? マジで近いな)
先行するダルルーグが早くも降下を始めていた。
彼が降り立ったのは、路地を抜けた先にある大通りだ。
立派な建物が並ぶが、このあたりも人の気配はなく、閑散としている。
リオンも続いて石畳に着地する――途端にバランスを崩しかけた。
(……っと)
慌てて両足で踏ん張り、事なきを得た。
足元の石畳は先ほどの場所よりさらにひび割れが激しく、もはや通行に支障があるレベルだ。
けれど軽く浮いたまま移動を続けるダルルグを見て、ようやくそれらが放置されている理由に思い至る。
(こいつらちょっとした距離でも空を飛ぶから、地面の状況を気にしてないのか……)
リオンもリーリアとユナを抱えたままふんわりと浮かんで移動する。
大通り沿いだからか、周囲には店舗らしき建物が多く並んでいた。
だがどこも営業はしていないようで店内は薄暗く、入口に板が打ち付けているところすらあった。
もっとも軒先に荷馬車らしきものが待機している店もあり、これについては現在も使われているようだ。
恐らく大量に荷物を運ぶ際は、今まで通り地上のルートを通っているのだろう。
(道が傷むっていう発想自体、魔族にはないのかもな……)
そんなことを考えていると、ダルルーグがこちらを振り返る。
「魔王様、中へどうぞ」
どうやら目的地に着いたらしい。
彼が恭しく扉を開けて待ち構えていたのは、大通りの中ほどにある赤い看板が目立つ2階建ての大きな店舗だ。
中に入ると、独特な熱気が出迎えてくれた。
どうやらここはもともと食堂だったらしく、建物の奥に広い厨房が見える。
蛇口があるところを見ると、あの宿屋とは違い給水設備はある程度整っているらしい。
出入口付近はもともとは客が入るスペースだったと思われるが、現在は大きな長テーブルが置かれ、人々が目まぐるしくその周囲を動き回り、包丁や食材を手に調理に追われている。
熱気はそこから来ているようだ。
ダルルーグはそんな光景を両手で示し、誇らしげに頷いた。
「ここで人間どもの食事を作っています。死なれても困りますからな。この街の各地に似たような施設が30か所。それぞれ魔族を3体以上配置しており、作り手に対する精神的な圧迫も万全です」
厨房の脇には扉がありその前に大柄な男が立っていた。
彼はダルルーグの言葉に応じるように頭を下げてくる。
見張りの魔族なのだろう。
そして厨房と長テーブルにも似たような背格好の男がひとりずつ。たしかに合わせれば3人が常駐していることになる。
彼らの会釈に軽く手を上げ応えながら、リオンは考えた。
(30か所。それが多いか少ないかは分からんが、どちらにせよ食事は満足に与えてない様だな)
この建物では人間らしき男女数人が働いているが、いずれもかなり痩せこけていた。
栄養失調といわれても納得できる見た目で、かろうじて生命を維持できる程度の食事しか与えられていないように思える。
そしてダルルーグの言葉から分かったことがもうひとつ。
(この街には最低でも90体は魔族がいる。全体の広さを考えれば、まさかそれだけってこともないだろう。……厄介だな)
と。
「……っ」
リオンのすぐ背後でユナが息をのむ気配がした。
横目で様子をうかがうと、食堂の端にボロボロの布をまとった男が力なく座り込んでいるのが見えた。
両手両足の爪は剥がされ血が滲んでいて、頬には殴られたような跡。
老人という歳でもなさそうだが、口は半開きで、遠くを見る目は濁りきっている。
生きてはいるようだが、これでは死人と大差ない。
ユナは、この男の惨状とダルルグの街の想像以上に厳しい状況に衝撃を受けたようだ。
そしてそれはリオンとて同様だった。
魔族が拷問を行う。意外ではないが、目の当たりにするとさすがにショックは隠せない。
魔族が恐れられる理由の一端を、今さらながら垣間見た気がした。
「ああ、その男ですか」
リオンたちの視線が集まっていることに気付いたのか、ダルルーグが半死半生の男を見て薄ら笑いを浮かべる。
「なかなか小うるさい人間でしたが、我々がきちんとしつけた結果この通り。深い絶望の底へと叩き落しております。調理の邪魔ですから場所を移動しても良いのですが、まあ一種のモニュメントですな」
(要は見せしめか……)
人間たちが痩せこけながらも必死に作業に勤しむのは、この男の悲壮な姿がプレッシャーを与えるから。
そのことに反感を覚えつつ、リオンは虚ろな表情を浮かべる男の観察を続けた。
絶望しているといえば、確かにそうも見える。
だが、生気を失った男の口から紫色の塊は出ていない。
(絶望がどうとかいう段階は過ぎてる感じなんだよな。これがダルルーグが冷や汗をかいていた理由か……?)
餌にするため人間を生かさず殺さず飼っているといえば聞こえはいいが、実際のところ絶望を取り出すことはあまりうまくいっていないようだ。
それは先ほどのダルルーグの行動からもうかがえる。
彼はこの街の支配者であるにもかかわらず、空に浮かんだ小さな絶望をわざわざ自らの手で回収に向かった。
現状、彼の手に見当たらないところをみると、どこかのタイミングで自分で食べてしまったのだろう。
魔王の前でそんな危うい行動に出るほど、彼らにも余裕は無い。リオンはそんな印象を受けた。
「……」
背後に立つリーリアが、静かに怒りの気配を発している。
ダルルーグの侮辱の言葉に反応したのだろう。
(頼むから暴発しないでくれよ……)
リオンは祈るような気持ちだった。
もちろん彼とてこの街の解放を望んではいる。
ただ、この街にいる魔族の総数すら分からない状況で戦闘に入るのは避けたかった。
(まずは情報収集が先決だ)
ダルルーグから聞きだす内容を考えながら、憔悴しきった男を見下ろしていると。
「……俺がやりましょう。そいつが絶望を吐き出すところを、魔王様にお見せしますよ」
なにを勘違いしたのか、見張りの魔族が腕まくりをしながらこちらに向かってきた。
ダルルーグの眉がピクリと動く。当然彼は分かっているのだ。この男から絶望が出るはずないと。
だが大柄な魔族はダルルーグが何か言うより早く座り込んだ男のもとに近寄ると、その顔面に全力の蹴りを――。
「っ!」
放つ寸前リオンが滑り込むようにして間に入り、その丸太のように太い脚を左腕で受け止めていた。
「ま、魔王様……!?」




