第八十八話 白い巨鯨
「ケートスよ! 大きいわ。気をつけて」
アグナユディテの声に、パーティーに緊張が走る。
確かに今しがた俺たちが倒したシードラゴンと比べても、現れた魔物はかなりの大物だ。
アグナユディテは海の魔物のことまでよく知っているなと思ったが、伊達に長生きをしている訳ではないようだ。
いや、年齢は俺とほとんど変わらなかったか。
「……ギヤムーカ トゥーリ イェバーラヒーヴァ パファーゴ」
その時、トゥルタークの呪文が完成し、
「アイシクル・ストーム!」
再び氷の嵐が吹き荒れ、海面を凍結させていく。
ケートスはますます怒り狂ったようにトゥルタークの張った巨大な流氷のような氷に体当たりをし、氷がグラグラと揺れている。
俺は皆を氷の上に降ろそうかと思っていたのだが、あれだけ揺れるとなるとかなり危なそうだ。
それに氷の上は滑りやすそうだから、立っているだけでやっとだろう。
「とりあえず陸地へ戻るぞ」
俺はそう言うと、レビテーションの魔法で皆を浮かせながら、少しずつ岬の方へと移動していく。
八人のパーティーに対して、ずっとレビテーションを使っているから、それだけでも思っていた以上に魔力を消費してしまう。
しかも本来、移動を目的とする魔法ではないから、陸地まで戻るのにも時間が掛かりそうだ。
(海の上での戦いには、もう少し工夫が必要だな)
俺はそう思ったが、それ以前に、魔力が増えたのをいいことに、今回は戦術が雑になってしまった気がする。
さっきの『ダークネス・アポカリプス』なんか、どう見てもオーバーキルだしな。
その点、トゥルタークの『アイシクル・ストーム』は見事だった。
さすがは俺の師。やっぱり伊達に三百年生きている訳ではないよなと思う。
トゥルタークに関しては、俺よりずっと長生きで間違いないからな。
上の岬を見ると、俺たちとシードラゴンとの戦いに気がついたのか、かなり多くの人が集まってきているようだった。
声援を送ってくれているのだろう、レビテーションでゆっくりと岸に戻っていく俺たちに人々の声が届く。
「あぶないっ!」
エディルナが叫んで、俺が顔を上げると、岬の上から放たれた大きな矢が俺たちをかすめ、トゥルタークの張った氷に突き刺さる。
あの矢の大きさだとバリスタでも使ったのだろうか。
それにしても矢を放つ方向がいくら何でもおかしいだろう。もっときちんと狙いを定めてほしいものだ。
そうしているうちに、俺たちはやっと陸地にたどり着いた。
奇しくもそこは、チジャム岬の崖の下のくぼみで、どうやら俺たちはあのケートスへの生贄の立場になったようだ。
実際にはこちらは役者が揃っているから、倒されるのはケートスの方に決まっているのだが。
奴はトゥルタークの張った氷を粗方、破壊して、海中に戻ったが、このまま俺たちを逃す気はないようだ。
俺たちだって、このまま奴を逃す気はない。
「アスマットよ。次は二人で『アイシクル・ストーム』じゃ」
銀色の髪の少女の顔に不敵な笑みが浮かび、俺にそう呼び掛ける。
トゥルタークもここでケリをつけるべきだと思っているようだ。
巨大な黒い影が水の中を俺たちに近寄ってくるのが見える。
そして、
ザババババーン!
ケートスはジャンプして俺たちに襲い掛かり、その水しぶきでずぶ濡れになりながら、トゥルタークと俺の魔法が発動する。
「アイシクル・ストーム!!」
ソプラノとテノールで見事にハモったなと俺は思ったが、トゥルタークの声はそこまで高くはないから、メゾソプラノくらいかもしれない。
俺は氷雪系の魔法はそれほど得意ではないのだが、それでもトゥルタークの詠唱に遅れることなく結構素早く唱えられたから、二人の呪文は唄うように聞こえたことだろう。
そんな表現はちょっと自信過剰のような気もするが、たまには俺だって、そのくらいの表現を使ったっていいだろう。
巨大なケートスの攻撃にアリアの加護だけで大丈夫かと思ったが、エディルナとアンヴェルが俺とトゥルタークをがっちりとガードしてくれた。
二人とも弾き跳ばされることもなく、踏みとどまったその姿は、実はかなり人間離れしているかもしれない。
俺とトゥルタークの『アイシクル・ストーム』の魔法はばっちりのタイミングで、ジャンプした奴の下の海面をかなり広範囲に凍りつかせた。
ドカーン! と音をたてて奴は俺たちの張った氷の上へ落ち、巨体をくねらせて氷の上から逃れようとする。
(なんだか、マグロみたいだな)
俺はそう思ったが、音もビチビチではなくドカンドカンに近いし、スケールはまるで違う。
「行くぞ!」
アンヴェルがそう言ってリューリットとエディルナに声を掛け、氷の上に飛び降りて、奴に向かって行く。
いや、あれに近接攻撃はちょっと危ないんじゃないのかと思ったが、さっきの攻撃もガードしてくれたし、アリアの加護の力は生半可なものではなくなっているようだ。
俺も念の為、防御魔法を三人に掛けていくが、これも余計なことかもしれない。
アグナユディテが放った矢が正確に奴の右目を射抜き、巨大な身体の動きがますます激しくなる。
また、岬の上から放たれた矢が、今度は奴に向かうアンヴェルたちの前に落ち、前を行っていたリューリットが少し速度を落とすことを余儀なくされた。
「本当に危ないわね」
アグナユディテがそう言って岬の上を見上げるが、俺たちの位置からだと人々が上げている歓声が聞こえるだけで、上で何が行われているのかまでは分からない。
そうしているうちに、まずは先を行っていたリューリットがサマムラで斬り掛かる。
俺は彼女が久しぶりに奥義を使うのかと思っていたのだが、彼女は俺より余程冷静なのだろう、そこまでする必要はないと判断したようだ。
通常の攻撃でもサマムラの威力は抜群で、彼女の一太刀で、ケートスの胴体に驚くほど大きな傷が口を開ける。
続けてエディルナがバスタードソードを奴に叩きつけるようして、斬りつけていく。
サマムラには見劣りするかもしれないが、彼女の剣もシキシーの名工が俺の魔力を使って強化した魔法剣だ。
その一撃は奴にとって相当に堪えたようで、悲鳴のようにも聞こえる咆哮が上がる。
そして、最後はアンヴェルだ。
彼の得物は『英雄の剣』だった。
その創造者であるドラゴン・ロードが倒され、依り代が入れ替わったアンヴェルに扱えるのかと思ったが、特に問題はないようだ。
巨大な黒い刃を担ぐように振りかぶり、アンヴェルがそのまま奴の首筋に叩き込むと、刀身よりもはるかに長く、魔物の身体に傷がついた。
そして、アンヴェルが返す刀でもう一度『英雄の剣』を振るうと、「ゴリッ」という嫌な音がして、巨大なケートスは断末魔の叫びを上げ、そのまま動かなくなった。
(成る程。アルプナンディアが魔王との戦いで、バルトリヒの子孫は何をしていたのだと言うわけだ)
俺がそう感心してしまう程、『英雄の剣』の威力は凄まじかった。
カルスケイオスに足を踏み入れたところで、アンヴェルを喪ってしまった俺たちは、これまでその威力をあまり目の当たりにする機会がなかったのだ。
俺たちに比べ相当レベルが低いはずのアンヴェルが、巨大なケートスとここまで渡り合えるのは、彼自身がこれまで積んだ鍛錬による剣の腕前もあるのだろうが、やはり『英雄の剣』の力が大きいだろう。
(でも『英雄の剣』って、ドラゴン・ロードの、ひいては女神の思惑による影響をもろに受けそうなんだよな)
この世界にとって、いや、ゲームのストーリーの進行にとって都合が悪ければ、急に威力が半減することだって、あり得る気がして恐ろしい。
まあ、今のところはそういった懸念は必要ないようで、アンヴェルの攻撃でケートスを倒すことができたようだ。
俺を含むパーティーの後衛の五人も、チジャム岬の崖下から海に張った氷の上に降り、ケートスを倒したアンヴェルたちに近寄って行く。
「アンヴェル。さすがだな」
俺がそう声を掛けると、彼は、
「実戦は久しぶりだったから少し心配だったが、エディルナやリューリットに助けられたよ。ユディの矢も効果的だったな。ありがとう」
そう言って嬉しそうだ。
彼がエルフのアグナユディテに、そんな風にお礼を言ったことなんて、これまであっただろうか。
「どういたしまして」
そう答えるアグナユディテも気分が良さそうだ。
「この力が湧き上がるような感覚も、本当に久しぶりだな」
シードラゴンとケートスを連続して倒したことで、どうやらアンヴェルはレベルが上がったようだ。
俺にはそんな感覚はないから、実はケートスを含め、それ程、経験値が得られる強力な魔物ではなかったのかもしれない。
レベル上限が解放された後、エンシェント・ドラゴン・ロードまで倒しているから、またカンストしてしまった可能性もあるのだが。
レベルが比較的低いアンヴェルに、俺やトゥルタークを守ってもらったり、足場の安定しない氷の上を巨大な魔物に突撃するがままにしたりして、実はかなり危なかったのかもしれない。
今度、アンヴェルに何かあったら、俺はティファーナに顔向けできないからな。
まあ、エディルナもついているから大丈夫だとは思っていたが。
だが、そんな巨大な魔物を倒した俺たちを待っていたのは、人々の歓呼の声ではなかった。
氷の上で話す俺たちに向かって、崖の上から、たくさんの石が飛んできたのだ。
「危ない! 何をするの!」
岬からそれなりに離れているので、ほとんどの石は届かないのだが、中には俺たちのすぐ側まで届くものもあって、危険なことは間違いない。
アグナユディテが怒りを込めた目で崖の上を睨みつけるが、岬の先端に集まった人たちは、それに怯むこともなく、次々と辺りの石を拾っては俺たちに投げつけてくる。
どうやら声援を送ってくれていると思っていたのは、俺の勝手な思い込みだったようで、送られていたのは罵声だったようだ。
せっかく魔物を退治して、海峡の安全を取り戻したというのに、どうしてこんな仕打ちを受けなければいけないのだろう。
そんなに王都の人間の世話になりたくないのだろうか。
「付き合っていられないな。さっさとカルロビス公に報告して、王都へ引き上げよう」
このまま岬の突端にレビテーションで戻ったりしたら、袋叩きに遭いそうだ。
まさか町の住民を消し飛ばすわけにもいかないだろう。
俺たちはベルティラの瞬間移動で、サマーニの町の政庁へと跳んだのだった。




