第七十二話 生命の石板
「神聖なこの地を汚すのは何者だ!」
そう言って洞窟から姿を現わしたのは、巨大な金色のドラゴンだった。
その大きさは、パーヴィーでさえ余裕のあった巨大な洞窟が窮屈そうに見えるほどだ。
あれ程広く見えた断崖の上も、そのドラゴンがいると、あまり余裕はなさそうだ。
「はーい。僕でーす」
ロードのことをあんなに恐れていたのに、その割には相変わらずの軽い感じで、パーヴィーはそう言って彼の前に降り立った。
当然、彼の背中に乗っている俺たちもロードの前に姿をさらすことになる。
「ねえ。ロード。人間の大きな町を焼き払うのは止めてくれない」
『黒い壁』を文字通り消滅させたさっきの火球を見てしまい、おそらくはそれを放ったのであろうドラゴン・ロードを前にして、俺はもう生きた心地もしなかった。
だが、パーヴィーは何だかんだ言って慣れているのか、ロードを説得しようとしてくれているようだ。
それに対してドラゴン・ロードは俺たちのことが目に入っているのかいないのか、パーヴィーに向かって一言、
「ダメだ」
厳かな様子でそう言った。
「えー。どうしてダメなの? 僕これまでいっぱい我慢してきたのに。ひとつくらいお願いを聞いてくれてもいいじゃない」
いや、そう言う奴は絶対そんなに我慢していないからと俺は思ったが、ここはパーヴィーに頑張ってもらわないと困る。
だが、ロードが、
「盟約の代償は支払われねばならない」
と発した言葉にパーヴィーは、
「じゃあ。パントロキジアだけでいいから。パントロキジアを巻き込むのは止めてね」
あっさりとそう譲歩してしまう。それはいくらなんでもいきなり譲歩が大幅すぎだろう。
それを聞いて、じゃあ最悪パントロキジアを盾にすれば助かるかもしれないなと思ってしまう俺も、相当にどうしようもない奴なのだが。
それでもドラゴン・ロードはパーヴィーの言い分を聞いてくれる気が少しはあるのか、「パントロキジアとは何者だ?」と聞いてくる。
「僕の大切な相棒だよ。どこへ行くのも一緒で、とても頼りになったんだ」
パーヴィーがそう答えるとロードは、
「人間に心を奪われるとは。お前を人間の世界へ遣ったのは間違いだったか」
不愉快そうな声を出す。
だが、パーヴィーは平然と、
「僕は人間に心を奪われた訳ではないよ。パントロキジアは僕の愛馬。とても賢くて脚も速いし、信頼できる奴なんだ」
そう言い返すが、それはロードの怒りを買ったようだ。
「すべてを焼き払う町から、馬一頭を除外することなどできるはずがあるまい! 何を言っておるのだ!」
俺の魔法もその傾向があるが、力が増すと微調整って難しいからな。その気持ちは分からないでもない。
ドラゴン・ロードの怒りの声に俺は肝を冷やしたが、以前あれ程、ロードに怒られることを恐れていたパーヴィーは憮然とした様子を見せる。
「僕のお願いはひとつも聞いてくれないんだ。ひどすぎるよ。僕はロードのために、これまでどんなことでもやってきたのに」
そう言って、今度は泣きそうな声を出した。
「いや、聞けることと聞けないことがあるのだ。お前の願いは無茶すぎるのだ」
ロードはそう言ってパーヴィーを宥めるような様子を見せる。俺にはこのふたりの関係がよく分からなくなってきた。
「じゃあ。必ず聞いてもらえるお願いをするね。それなら大丈夫だよね」
パーヴィーは、今度はそう楽しそうな声を出す。ロードは渋々といった様子で「言ってみるがいい」と応えた。
「僕がいいと言うまで目を瞑ってじっとしていてくれる。そのくらいならできるでしょ」
パーヴィーがそう言うと、ロードは「分かった」と言って目を瞑るが、「だが、あまり長い時間はダメだぞ」と注文をつける。
俺は(チッ、気がついたか)と残念に思った。
ドラゴン・ロードが目を閉じるとパーヴィーは背中の俺に向かって、
「ここまでお膳立てしたから、賢者アマン、後はよろしくね。楽しみだなあ」
本当に楽しそうに、そう言った。
「えっ。よろしくって、どうするんだ?」
俺がそう聞き返すとパーヴィーは、
「ジャーヴィーを倒した方法を試すんじゃないの。さっき、リューリットはそうしたそうに見えたけど」
皆の視線がリューリットに集まる。
「いや。だが、ロードはあの赤い竜とは次元の違う存在だと言ったのはそなたではないか」
彼女はそう反論するがパーヴィーは、
「僕は無理だって今でもそう思っているよ。でも、ロードが町を焼き払うのを止めるには、他の方法はないんじゃない? パントロキジアのことは残念だけど、ロードがあそこまで言うのなら僕はもう諦めるしかないと思うし」
「確かに他に方法はなさそうじゃな」
トゥルタークがそう言って俺の方を振り返る。
俺も覚悟を決めて頷いた。
「ファモーヨ ヨファ フォノノース キュロファエーム トゥロローマ」
「ギマローラ パファーゴ ヴァキージ ポヴァージャ トンキネーセ ヴェネローリ」
「ヴァディーヨ ヴォキュモーフィ トゥペワーラ……」
アグナユディテとトゥルターク、それに俺の詠唱の声が響く中でもドラゴン・ロードは律儀に目を瞑り続けている。
俺は女王様におまじないをするからと言われて目を閉じたことを思い出したが、やっぱりそう簡単にそんなことをするべきではないようだ。
魔法使い三人の呪文が完成する前に、まずはリューリットがその奥義をドラゴン・ロードに叩きつける。
「真・焔天翔龍斬波!!」
彼女の掛け声とともに、波のような衝撃が高速でロードに向かう。
だが、その衝撃は、ギンッ! という音とともにロードの金色の鱗に弾かれてしまう。
「なっ! 傷ひとつつかぬとは」
リューリットが驚きの声を上げる。
赤い鱗のエンシェント・ドラゴンはこの奥義で羽を斬り落とされたというのに、ロードの実力はやはり彼とは隔絶したもののようだ。
「ワールウィンド、精霊王の旋風よ、刃となりて、敵を切り裂け!」
アグナユディテの精霊魔法が完成し、強力な旋風がロードを襲う。
対象が人間のサイズであったなら、幾人かをその効果範囲に巻き込み、一気にズタズタにしてしまうのであろうその精霊魔法も、古竜王に対してはいかにも小さく感じられる。
旋風が何度もロードの身体に当たるが、その度に硬い鱗がそれを跳ね返す。大きなダメージは与えられてはいないようだ。
そして、しばらくすると呪文の効果時間が経過し、旋風は消え去ってしまった。
「メテオ・ストライク!!」
続けてトゥルタークが召喚した流星が至近距離からドラゴン・ロードに向かう。
俺たちだってすぐ側にいるのだから、かなり危険な使い方で、俺だったらここまで軌道をコントロールできる自信はない。
だが、そのために角度が浅かったのか、隕石はロードの鱗に弾かれてしまう。
彼は少しよろめいたものの、瞑っていた目を開くこともなく平然としている。
「しまった」という表情を浮かべるトゥルタークの前で、跳ね返された隕石は洞窟の入り口に当たって大きな崩落を起こし、そこを完全に塞いでしまった。
「パーヴィーよ。もう良いか?」
ロードがそうパーヴィーに問い掛けるが、俺の呪文がまだ残っていることに気づいているからか、彼は「もうちょっと待ってね」と時間を稼いでくれる。
「……刮目せよ! 開闢以来繋がれし、冥闇の桎梏より、将に解き放たれんとす、昏き宿命の真円よ、遮る者尽く覆滅せよ!」
次々と放たれたパーティーの皆の攻撃がいずれも失敗に終わる中、俺は闇魔法ならと、わずかな望みをかけて呪文を完成させる。
「ダークネス・アポカリプス!!」
闇の巨大なリング、暗黒の刃がドラゴン・ロードに向かう。だが、
ガガガッ! ガガガガッ!
そう不快な音を立てて、禍々しく黒い炎を噴き上げる円環が何度もロードの身体に当たるものの、それを断ち切ることはできていない。
遂にはそれが空しく消え去ってしまうと、ドラゴン・ロードの金色の鱗には、わずかに擦ったような跡が残っているだけだった。
(そんな。禁呪でさえ、わずかな傷しか与えられないなんて)
俺はショックを受けたが呆然としている時間はない。
「ベルティラ。頼む!」
俺が右手を差し出すと、彼女は頷いて左手で俺の手を握り、そのまま右腕を振り上げる。
アグナユディテもその刹那、俺の左腕に手を伸ばしたようで、俺たち三人はパーヴィーの背中から跳び、ドラゴン・ロードの足下に姿を現わした。
俺は懐からあの石板を取り出した。パーヴィーはそれを見て、
「ああ。やっぱり『生命の石板』を使ったんだ。そうだよね」
と余計なことを言ってしまう。案の定、ロードが目を見開いて、
「なっ。貴様。それをどこで!」
そう驚愕の声を上げた。
その声を聞きながら俺は石板をロードに向けると、右手をその表面に滑らせた。
「これで終わりだ!」
俺がそう叫ぶように言うと、
「聞くまでもないか。パシヤトめ。余計なことを」
ロードはそう苦々し気に呟いた。
赤い鱗のドラゴンを滅ぼしたときと同じように、石板の左端から右端へ淡い緑色の棒が次々に現れ、幾重にも並んで石板の表面を埋め尽くしていく。
(早く終わってくれ)
そう思う俺の心をあざ笑うかのように、黄緑色の棒状の線はあの時のように途中で止まることなく、遂に石板の表面を埋め尽くしてしまった。
そしてその直後、『生命の石板』は真っ白に輝き、俺の手の中でそのまま粉々に砕け散った。
「ふははは……残念だったな。そのような小道具で我を滅ぼすことはできぬ」
ドラゴン・ロードの高笑いを聞きながら、彼の足下で今度こそ俺は呆然としていた。
「盟約を破るだけでは飽き足らず、まさか我を滅ぼそうとするとはな。だが、わが生命力は無限。何者も我を滅ぼすことはできぬ」
ロードの足下で為す術なく佇み、俺はここで彼に殺されるのだと覚悟した。
彼が少し足を動かして俺たちを踏み潰そうとすれば、俺はそれを避けることさえできなかっただろう。
だが、彼はそもそも俺なんかには興味はないらしかった。
「人間たちに宣言したとおり、お前たちが王都と呼ぶ町をすべて焼き尽くしてやろう。お前たちはこの世界最大の町が一木一草を残さず、すべて灰燼と化した様を目撃するのだ。そして、絶望とはどんなものか思い知るがいい」
そう宣言するように言葉を残すと大きく羽ばたき、もはや俺たちには目もくれず、西の空へと飛び去って行った。




