第七十一話 エレブレス山の洞窟
再び古竜王への連絡手段を失ってしまい、俺はかなり焦っていた。
エディルナとアリアもそれを知って、また真っ青になっていた。
「パーヴィー。もう少しだけでもロードと話をしたいんだ。ロードの巣穴まで連れて行ってくれないか?」
もう後は頼れるのはパーヴィーしかいない。俺は彼を拝むようにして頼み込んだ。
「えー。だってロードはもうアマンとは話をしたくないんだよね。連れて行ったら僕が確実に怒られてしまうよ」
「いや。俺はもうだめかもしれないが、皆で揃ってお願いすればロードも心を動かすかもしれないじゃないか」
俺がそう言って皆を見ると、その中からアリアがゆっくりとパーヴィーに向かう。
「パーヴィー。あなたは三百年、王都で暮らして、王都には何の未練もないのですか? お世話になった方や、好きだった場所も何もないのですか?」
彼女はそう問いかけるように言うと、その水色の瞳でパーヴィーを見詰める。
「私はあなたの十分の一も王都で過ごしていません。それでもあの場所には、私にとってかけがえのない物が溢れています。
アンヴェルと私がまだ小さな子どもだったころのアンヴェルのお父様。それはあなたの依り代だったのではないですか。
その彼が教会に贈ってくださったリンデンバウム。教会の庭に植えられるのをアンヴェルと私が並んで見守ったあの木も、今では大きくなって本を読むのにぴったりの木陰を恵んでくれています。その木陰さえ、私にとっては大切な宝物なのですよ」
俺にはアリアの気持ちが痛いほどよく分かったが、パーヴィーはどことなく憮然としているように見える。
アリアの説得が効かないなんて、さすがはエンシェント・ドラゴン。恐るべしだな。
だが、そんなパーヴィーの様子を見てエディルナがアリアの後を引き受ける。
「シュタウリンゲン家の人たちはアンヴェルが亡くなったのをあんなに悲しんでいたのに、パーヴィーはその人たちが死んでしまっても悲しくないのかい?」
そう問いかけられるとパーヴィーは急に思い出したように、
「えー。じゃあ、シュタウリンゲン家に仕えていた執事のミハエラや、従者のランシムも死んじゃうのかな。女中頭のリスティナやメイドのフィディアも」
そう言い出した。
俺が(お、これは脈ありか?)と思って見ていると、だが彼は、
「でも、そんなこと言っていたらきりがないよね。人間の寿命は短いから、僕はこれまで沢山の人たちとお別れをしてきたし。みんな僕によくしてくれたけれど、ずっと一緒にはいられない。それは初めから分かっていることだからね」
彼の言葉に、俺がやはりダメなのかと思ったとき、急に思い出したように、
「そうだ。パントロキジア。パントロキジアはどうなるの? 僕、今までの乗馬の中でも一二を争うほど気に入っていたんだ。いやだよ。パントロキジアがいなくなるなんて」
そう言って慌て出した。
ドラゴンも馬も人を乗せることができるから、人間以上に親近感があるのだろうか。
「ねえ。アマン。パントロキジアはどうしているの? 大丈夫だよね? 他のみんなも元気にしているよね?」
パーヴィーにそう言われて、俺はそう言えばアンヴェル亡き後、シュタウリンゲン家はどうなったのだろうと考えた。
お家断絶、家禄没収、屋敷を明け渡しの上、家臣たちは浪々の身となって散り散りにといった情景が頭に浮かぶが、いや、シュタウリンゲン家に限ってそんなはずは。
それにあのお優しい女王様がそんな酷薄なことをされるはずがない。うん、きっと大丈夫だよね。たぶん。
「ねえ。早くロードのところへ行こう。みんなも人間のことばかりじゃなくて、ちゃんとパントロキジアのこともロードに頼んでね。約束だよ」
そう言うと、パーヴィーは待っていられないとばかりに身体から鈍い銀色の光を放ち始めた。
そして次の瞬間にはもう、木々の上に緑色の鱗の巨大なドラゴンの姿があった。
俺がまた空を行くことを思ってまごまごしていると、トゥルタークが一刻の猶予もないと言うように、
「見つかると厄介じゃ。さっさと行くぞ」
そう言って、俺を含めて皆をパーヴィーの背中に乗せてしまう。
俺の心の準備が整うまでパーヴィーが待っていてくれるはずもなく、彼は大きく羽ばたいて一気に上昇すると、東へ向かって猛スピードで飛び始めた。
俺は必死にパーヴィーの鱗に掴まりながら、彼を説得できたのもアンヴェルが屋敷の皆に愛される存在だったおかげだなと思った。いや、彼がパントロキジアを愛馬にしてくれたおかげかな。
シューアギアン地方からカルスケイオスを横断し、カーブガーズの奥深くエレブレス山まで、パーヴィーはわき目もふらず一気に進んでいく。
そんな中でも「寒くない?」と俺たちに聞いてくれる。こういうところは彼は本当に気のいいやつだ。
「いや。寒くはないぞ」
珍しくリューリットが皆を代表して、そう答えていた。
エディルナとアリアは、さっきは必死の思いでパーヴィーを説得していたが、今はもうこうしている間にも王都が古竜王に襲われているのではないかと気が気ではないのだろう。すっかり無口になっていた。
「ドラゴン・ロードとは、いったい如何なる者なのだ」
相変わらずリューリットが、そう言ってパーヴィーと話している。
「うーん。オーラエンティア最強の存在? でも、わがままだし、気まぐれだし、人の言うことを聞かないし、おまけに人使いは荒いし……」
パーヴィーの評価を聞いていると、ますますドラゴン・ロードはとても説得できる相手とは思えなくなってくる。
でも、説得が効かない相手って……
(NPC?)
そうだ。確かにこちらが何を言おうと同じように拒否する言葉を繰り返し、結論を変えることのない彼の様子はNPCのそれに似ているような気がする。
俺はサマーニで領主を説得しようとするアンヴェルのことを、相手はどうせ態度を変えることがないNPCなのに無駄なことをすると思っていた。
この世界に来てかなり時間が経ち、俺もここでの生活に慣れてしまったからか普段はなにも感じなくなってしまっているが、やはりここはRPG『ドラゴン・クレスタ』の世界なのだ。
だが、もし古竜王がNPCで、こちらの説得に一切耳を貸さないとすると、彼を止める手段は一つしかなくなってしまう。
「オーラエンティア最強の存在か……」
リューリットの呟きを耳にして、俺は彼女が「自分よりも強い男」が好みだと言っていたことを思い出した。
聞いた時はそれは無理な条件だろうと思ったが、人外まで範囲を広げれば行けるかもしれない。
ドラゴン・ロードに嫁いでもらって、彼女から説得してもらえば。そうすればあるいはフラグが立ってNPCであっても行動を変えるかも。
だが、それを人は「人身御供」と言うのだろう。やっぱりリューリットをそんな目に遭わせるわけにはいかないな。
チラとでも仲間を売ろうと考えた俺こそ、人の道に外れているのかも知れない。
そうすると、やはり俺たちの進むべき道は一つしかなくなってしまうのだが、それを見越したかのようにパーヴィーがリューリットに言葉を返していた。
「リューリットのその言い方、なんだか気になるな。まさかジャーヴィーを倒せたから、もしかしたらロードもって思ってないよね? 絶対に無理だから。ロードは僕やジャーヴィーとは、まったく次元の違う存在だからね」
そうして話をしながらも、パーヴィーは全速力でエレブレス山に向かってくれていたようで、間もなく山の中腹の巨大な洞窟の前に張り出した断崖の上に降り立った。
断崖の上はかなり広く真っ平らで、ここなら大勢が集まるイベントやスポーツの大会なんかもできそうだ。ここまで来るのは難しいだろうが。
そしてその断崖の奥にあるエレブレス山の山腹に開いたドラゴン・ロードの巣穴は、見たところ特に何の変哲もない岩の洞窟のようだった。
奥は暗くて見通せないが、半円形の巨大なトンネルがずっと奥まで続いているようだ。
ふと入り口の左に目を遣ると、そこには「hello,world」と刻まれた石板が掲げられている。
こんな山の奥深く、人跡未踏の地にしかも横文字の石板なんて、嫌な予感しかしない。
それでも入り口で立ち止まっていても仕方がないので、俺はライトの呪文を唱え、中へ入ってみる。ただし先頭はパーヴィーにお願いした。
ライトの魔法に薄明るく照らされた洞窟の中は、やはりひたすら真っ直ぐに続いているようだった。
中の空気はひんやりと乾燥している。
少し進むと、ごつごつとした岩だった壁や床が急に真っ平らになり、材質が明らかに変わっていた。
(これは、まさか金属?)
俺がそう思って床を触ってみようかと思った時だった。
急にエディルナが頭を抱えて呻き声を上げ、リューリットも片膝を床についてしまった。
アリアは錫杖で身体を支えているが、その顔色は真っ青で汗が吹き出し、今にも倒れてしまいそうだ。
「どうしたんだ!」
そうしているうちにエディルナもリューリットも倒れてしまい、今度はベルティラが両手で頭を抱え苦しみだした。
トゥルタークでさえ為す術もなくうずくまり、今にも倒れてしまいそうだ。
そして俺の横にいたアグナユディテが俺に向かって倒れ込んで来た。
「ユディ! どうしたんだ。大丈夫か? しっかりするんだ」
俺が彼女を抱きとめて、そう声を掛けると、彼女は顔を上げ俺と目を合わせる。
「私のこと二十年も放っておいて、今さら何を言っているの?」
だが、彼女は俺がこれまで見たことのない貼りつけたような笑みをその顔に浮かべ、そう皮肉のような言葉を投げかけてきた。
そしてもう立っていられないようで、そのまま俺に身を預けてきた。
「パーヴィー。皆がおかしいんだ。一度外へ出よう」
俺がそう言うと、さすがに彼も皆の様子に気がついていたらしい。珍しくまぜっかえしたりすることなく素直に従ってくれる。
俺はレビテーションの魔法で自分も皆と一緒にパーヴィーの背中へ上がると、彼は洞窟の出入口へと向かってくれた。
そして、洞窟を出た瞬間、
「なにか来る!」
パーヴィーはそう言って急上昇した。
彼の言ったとおり、俺たちがいた場所を一瞬、金色に輝く何かが通り過ぎた。
それは俺たちの側を通り過ぎただけだったが、その衝撃で宙に浮いていたパーヴィーの身体が大きく揺らぐ。
それでも背中の俺たちが落ちないよう、彼は何とか体勢を保ってくれた。
「アマン。私たちいったい……」
アグナユディテが俺にそう問い掛けてきたが、俺が答えるよりも早く、
「見ろ! あれを」
ベルティラが西の方を指さした。
先ほどの光はそのまま西の方へ消えたように見えたのだが、その消えた先、遥か西の彼方のカーブガーズとカルスケイオスを隔てる『黒い壁』の一部が真っ白に輝いていた。
そして輝きはそのまま巨大な火球となって、揺らめくような様相を見せる。
(なんだ、あれは!)
それはもう天災、いや神の下された審判ではないかとさえ思えるような光景だった。
揺らめく火球が徐々にその光を失うと、そこにあったはずの黒い山塊が正に消滅していた。
今、起きたことと比べたら、俺やトゥルタークが操る「メテオ・ストライク」の魔法など児戯に等しい。
やがて、そこにあったすべてを消し去ったものが発した遠雷のような響きが、俺たちの耳に届いた。その時、
「ロードが来るよ」
パーヴィーが呆然とする俺たちにそう声を掛けてきた。




