第五百五十九話 聖域到着
「あれって『混沌』なんだよな?」
俺はアルジヤンに尋ねた。
「ああ。さすがは冥王だな。我が呼び起こしたものなどとは桁違いだ」
奴は感心していたが、それで事態が好転するはずもない。
「さすがにあの中に突っ込むのは無謀だな」
アンヴェルが言ったとおり、兵たちはかなりレベルが上がってはいるものの、混沌の影響を免れることができるとは思えない。
人間の兵なんてあの雨に打たれたらすぐに骨だけになってしまいそうだ。
「聖域まであと少しなのだがな」
アルジヤンは悔しそうだが、ほかの道を探すしかないのではと俺が思った時だった。
「ライトネス・リヒトゥヴァンデゾン!」
俺の前でいきなりララティーの声が響き、光の魔法が混沌の雨の中で爆発した。
きらきらと魔法の光の輝く部分だけは、周囲に広がる暗黒の中、別世界のように明るく見える。
「やったわ! やっぱりこの光の中では混沌は力を失うのよ」
確かに彼女の魔法の輝きの内部では、混沌の雨は消え去っているようだった。
だが、それでどうするというのだろう?
「ドラゴンたちとミセラーナさん。それにアマン。行くわよ!」
「えっ。俺?」
突然のご指名に間抜けな声を出した俺に、ララティーはキッと強い視線を投げてきた。
「私とミセラーナさんが魔法を使うからアマンが魔力を提供して! あなたそのくらいしか役に立たないんだから」
それが人にものを頼む態度かよって思ったが、魔法が効かないポーンや、吹き飛ばすわけにはいかない傀儡たちを相手に、俺が役に立たなかったことは事実だ。
「確かにな。ここは少人数で突破するしかなさそうだ」
ここまで散発的にポーンが襲って来ることはあったが、その頻度も現れるポーンの数も徐々に減ってきているように思えた。
アルジヤンが言ったとおり、聖域まであと少しなら、俺たちだけでもたどり着くことはできそうだ。
「私も当然、行くわ」
アグナユディテは真っ先に同行を申し出てくれた。
「私がいなければ万が一の時に退避もできないからな。私も行くぞ」
ベラティラも続いてくれる。
「加護の魔法が役に立つかは分かりませんが、ご一緒させていただきます」
アリアもそう言ってくれたし、
「待て待て。敵の兵卒への備えが必要だな」
リューリットも行動を共にしてくれるようだった。エディルナも、
「ここまで来ておいて留守番はないね。困った時はお互い様。持ちつ持たれつだよ」
なんて言って、前衛を務めてくれるらしい。
「リズ、ヨラン、アデーレ! 私と一緒に行ってくれる?」
ララティーが呼び掛けると三人は同時に頷き、
「当たり前ではないですか。私たちはララティーの仲間ですから」
リズが紅潮した顔を見せて答えた。
「お母さまが行くのですから私も……」
最後にはペルティリャまでもが遠慮がちにそう申し出て、結局、聖域へ向かう人数はかなりのものになってしまう。
ジョバターキはイアーク・アラガンと頷きあうと、
「行きたい気持ちはありますが、ここで軍をお預かりしています。姫巫女さまとご一緒に」
なんて言ってくれてプロメイナを絶句させていた。
「先生はここでお待ちいただけますか?」
本当はトゥルタークだけでなく、ほかの仲間たちにももう少し残ってほしいのだが、迷うより行動だろうと俺は考えることをやめた。
ララティーの行動力に賭けてみようって気になったのだ。
「まあよい。アスマットよ。傀儡どもは任せておけ」
トゥルタークは「大魔法を使う機会もなさそうだからの」なんて言って、部隊とともに残ることを承知してくれた。
彼らにも無事に北の大陸へ帰ってもらわなければならないから、魔法使いの守りは必要だろう。
「そうするとミセラーナとララティーは俺の横だな」
メーオがいないから馬車の中で俺の両脇はアグナユディテとベルティラが座っていたが、ここから先は光の魔法を使い続けなければならない。
タイミングが遅れて馬車が混沌の雨の中に突っ込んだら大変だ。
「はい。賢者様。よろしくお願いします」
ミセラーナは美しい笑みとともに言ってくれて、俺は「永遠の王女様」の隣の席なんて緊張するなと思ったのだが、ララティーは、
「仕方がないわね。あまりくっついてこないでよね」
なんて言ってきて、俺は冷や水を浴びせられた思いだった。
彼女はミセラーナの子孫のはずなのに、どうしてこんなに性格が違うんだろう。
もしかしたら彼女が元居た世界の三百年前のミセラーナは、高慢ちきな王女様だったんだろうか?
「ライトネス・リヒトゥヴァンデゾン!」
馬車は飛ぶように走るから、行く先の混沌を消し去る魔法も次々と発動させる必要がある。
「次! 私も行くわ。ライトネス・リヒトゥヴァンデゾン!!」
馬車の進む街道の先を『ライト』の魔法で煌々と照らし、その上で馬車を『レビテーション』で浮かせつつ、二人の光の魔法にブーストを掛け続けるって、こんなのができるのは異世界広しと言えども俺だけだろう。
「賢者様。お願いします。ライトネス・リヒトゥヴァンデゾン!」
絶え間なく光の魔法を使って馬車の周囲から『混沌』を消し去りながら、俺たちは道を急いだ。
「随分と登るんだな」
ヴァンジーグからこの方、ほとんど上り坂が続いている気がしていた。
普通の馬車だったら道中、かなり大変だろう。
「ああ。聖域はこの先、峠を越えればすぐの場所だ。セヤヌス様がいらっしゃった頃はそれは美しいところだったのだ」
アルジヤンが教えてくれるが、彼はずっとすぐ先すぐ先って言い続けているような気がする。
俺の焦りがそう思わせているのかもしれないが。
「ポーンが来たよ!」
エディルナの声が響き、馬車が止まる。
「赤いポーンが七……、八体か。手強いな」
皆が馬車を降りると、リューリットが空を見て呟くように言った。
「時間も惜しいからな。一気に倒すとするか」
敵に向いて構えた彼女のサマムラから青白いものが立ち昇る。
俺は慌てて彼女にバフを掛けた。
本当に大忙しだよな。
「轟衝遍殲徹穿斬!!」
リューリットが大きく剣を振るうと、衝撃が真っ直ぐにポーンどもに向かう。
そして俺たちを襲おうと列をなしてこちらへ向かって来ていた奴らを次々と弾き飛ばした。
「すごい……」
リズは驚きにそれ以外の言葉もないようだったが、
「ちっ! 一体、討ち漏らしたぞ」
リューリットからの振り向いての指示に、
「てやあっ!」
気合いの声とともに得物の真っ黒な剣を一閃させる。
するとその切先から黒い炎のようなものが飛び出し、狙い違わずポーンへと向かい、そいつは掻き消すようにいなくなった。
「やるな」
リューリットが笑みを見せると、リズも頷きを返した。
リズのあの『闇の剣』みたいな武器から放たれるものは、冥王の配下どもにも有効だった。
俺の魔法は一切効かないのに、理不尽な気がする。
「着いたぞ。ここが『聖域』だ」
さらに馬車を走らせると、これまでかなりの上り坂だった道が急に平坦になり、そこが俺たちの目的地である『聖域』らしかった。
「真っ暗で何も見えないね」
突然、止まった馬車の中でエディルナが漏らした感想のとおりで、アルジヤンが教えてくれなかったら、ここが聖域だなんて分からなかっただろう。
「どうして止まったのかしら?」
もともと浮かんでいるから揺れもなく、音さえほとんどしないのだが、アグナユディテも馬車が停止したことに不安を覚えたようだ。
「いや。さすがに道が真っ暗闇に落ちていくように見えるから、進んではまずいって思ったんじゃないか?」
俺は馭者席にいるアンヴェルに尋ねようとしたのだが、
「アマン。サボってる場合じゃないわ。ライトネス・リヒトゥヴァンデゾン!」
ララティーが魔法を発動し、俺は慌ててブーストを掛ける。
確かにここが真っ暗なのは空を厚い雲が覆っているだけでなく、混沌が暴風のように吹き荒れているかららしかった。
「油断してはまずそうね。それで宝珠はどこに捧げればいいの?」
アグナユディテが尋ねるとアルジヤンは暗闇に目を凝らし、
「この先だ。この盆地の中央に透明に輝く三本の四角柱がある。その先端に宝珠を戻すのだ」
彼によれば、そこに安置された宝珠の力で、冥界への道が開かないよう封印が施されていたらしい。
「宝珠を戻せば封印できるのって……、ライトネス・リヒトゥヴァンデゾン!!」
ララティーも慌てていたが、俺も大慌てでブーストを掛ける。
ここは悠長に話しているにはあまりに危険な場所なのだ。
「それじゃあ馬車を進めるか?」
アンヴェルはどうしたんだろうと思って俺が馬車を降りようとした時だった。
「この先は進めないぞ」
アンヴェルが顔を出し、俺たちにそう告げた。
「この先は池、いや湖のようになっているんだ。さすがに飛び込むわけにはいかないぞ」
アンヴェルは不審に思って一旦、馬車を停め、慎重にこの先の様子を見てきてくれたらしかった。
「そんなことって……」
ララティーは呆然としていたが、アグナユディテは暗闇に目を凝らし、
「あそこ。正面に薄っすらと見えるがそうじゃないかしら?」
そう言って真っ暗な前方を指差した。




