第五十九話 ターコイズブルーの魔族
魔族の襲撃によってエルジャジアンの町が受けた傷跡は思っていた以上に深く、町の宿屋や領主の館は、町で焼け出された市民や周辺の村落からの避難民で溢れていた。
「やっぱり町に入るのは無理そうだね」
先行して町の様子を見てきてくれたエディルナがそう言って、ベルティラをちらりと見遣った。
「わしの言ったとおりであろう。まあよい。野営でもするしかないの」
トゥルタークが、町の人たちに魔族がいると気付かれればトラブルとなることが目に見えていると言ったので、エディルナに様子を見てきてもらったのだ。
せっかく結界の中に入ったものの、俺たちは結局、町の外で野営することにした。
「じゃあ。行ってくる」
野営の準備が整うと、俺は魔族に関する情報を求めて、アリアを伴い、改めて領主の館を訪れた。
「待って。私も行く」
「いや。ユディも危険だな。どうせベルティラはここに残らないといけないから、一緒に待っていてくれ」
俺の言葉にアグナユディテは不満そうだった。
ダークエルフと一緒にするなということなのだろうが、ディヤルミアでの出来事を考えると、エルフの彼女にも厳しい視線を向ける者がいることが十分に予想される。
「先生にも残ってもらうし、見咎められれば俺たちよりこちらの方が危険だと思うんだ。だからここで待機していてくれ」
どちらにせよベルティラを連れて行くわけにはいかないし、見た目は子どものトゥルタークにも残ってもらう。
本当は、俺に代わってトゥルタークが領主に面会してくれると助かるんだが、その気はまるでなさそうだった。
「では、私が護衛を務めよう」
アグナユディテが黙ってしまうと、リューリットがそう申し出てくれた。
「じゃあ。私も行くよ」
エディルナがリューリットに続けてそう言ってくれた。
(トゥルタークが残るのに珍しいな)
俺はそう思ったのだが、そうするとここに残るのは魔法使いだけになってしまう。
まあ、アグナユディテもベルティラも剣でも戦えるけど。
「いや。俺とアリアは大丈夫だから。ここを守ってほしいんだ」
「だめだ。リューリットが行くのなら私も行く。ユディは行けないんだろ」
エディルナはいつになく強硬で、リューリットだけを護衛として連れて行くことは頑として認めないって態度だった。
「じゃあ。いいよ。俺はアリアと二人で行ってくるから」
仲間内で揉めていても仕方ないので、俺はアリアだけに同行をお願いした。
別に敵地に乗り込むわけではないから二人だけで十分だ。
王宮が発行してくれた魔族討伐の女王の命令書を町の門を護る兵士に示すと、すぐに領主の館に案内された。
「魔族を退治していただけるのでしたら大変助かります。ご覧のとおりの有り様で、被害が続いておりますから」
領主のダルヴァール卿は、町の損害の把握や修復に加え、周辺の村落の被害の確認や避難民への対応に満足に眠れない程忙しい日々を過ごしているようだったが、それでも俺たちのために時間をとって、魔族の襲撃について説明してくれた。
「この付近に出没する魔族どもは、数はそれほど多くはないのですが、突然、東の方からやって来ては町や村を襲い、建物に火を放ったりするものですから、その数以上に被害は広がっているのです」
彼の下に集まっている情報によれば襲われた村落は町の東に集中しており、それらの村落やエルジャジアンの町での目撃情報でも、東の方から襲って来て、姿を消したのも東の方角という場合がほとんどだということだった。
俺たちと面会している間にも、彼の判断を仰ぐ部下が慌ただしく出入りするような状況だったので、俺は早々に領主館を出て、野営地に戻った。
野営地では五人が思い思いに過ごしていたようだったが、俺とアリアが戻ると、アグナユディテが東に見えるカルスケイオスとの境界、『黒い壁』と呼ばれる山並みを指さして言った。
「ねえアマン。あそこ。なんだかおかしくない?」
アグナユディテが指さした場所は『黒い壁』に真っ直ぐ縦に細い線が走っているように見える。
「そう言われてみると、確かにあそこだけ少し変な気もするな」
俺がそう言ってそこに目を凝らしていると、ベルティラもやってきて、厳しい顔でその場所を睨んでいる。
「ベルティラはあれが何か知っているのか?」
俺がそう尋ねると、彼女は厳しい表情を崩さないまま、
「いや。だが、あのようなもの、これまでは無かったはずだ。『黒い壁』は人間を守ろうとする神によって築かれたとも言われるくらい、我ら魔族の侵入を固く拒むものだったのだから。一点の傷もないものだったのだ」
「何だか怪しいみたいだし、行ってみるか」
俺がそう言うと、アグナユディテとベルティラがほぼ同時に頷いた。
そうして一瞬、顔を見合わせると、お互いにプイッと顔を背けてしまう。
そのタイミングもぴったりとシンクロしていて、示し合わせているように感じるくらいだ。
今回も含め意見の一致する場合も多いような気もするから、もう少し歩み寄ってくれるといいのだが、難しいのだろうな。
俺たちはエルジャジアンの町の東に広がる、広葉樹の疎らな林の中を、『黒い壁』と呼ばれる山肌に向けて歩みを進めた。
「これは足跡みたいね。誰かがここを行き来しているみたい」
林の中で、アグナユディテが下草に踏みしめられたような跡を見つけてくれた。
その跡を辿ると、それは曲がりくねりながらも、林の木々の間から時々姿を見ることができる先ほどアグナユディテが見つけた『黒い壁』に走る線を目指しているようだった。
俺たちの周りに見られる木々の姿はますます少なくなっていき、とうとう林が尽きて、俺たちの目にはごつごつとした岩が転がる荒れ地と、その先に聳える焼けたように真っ黒な急峻な崖の姿が入って来た。
だが、そこには他の場所では見られない異様な景色があった。
「何だい。これは?」
俺たちの目の前にある『黒い壁』には、巨大な斧を振り下ろし、ひと息に両断されたかのような一筋の亀裂が走っていたのだ。
「すごいわね。どこまで続いているのかしら?」
アグナユディテが言ったとおり、その亀裂は真っ直ぐどこまでも続いているように見えた。おそらくはカルスケイオス側まで達しているのだろう。
(そうか、大トンネルの入り口のあるピルト地方ではなく、シューアギアン地方にあるエルジャジアンの町が襲われた理由がこれか)
『黒い壁』に刻まれた巨大な亀裂を目にして、俺にはすぐにそれが分かった。
以前、俺たちがカルスケイオスに向かったときは、シューアギアン地方から東に見える『黒い壁』を北に大きく迂回し、ピルト地方にある大トンネルの入り口からカルスケイオスの北側に入っていった。
だが、カルスケイオスをぐるりと囲み、これまで魔族と人間とを隔てていた『黒い壁』の西の端に、切通しのような道ができていたのだ。
魔族たちはこの道を通って、エルジャジアンの町やその周辺の村落を襲撃したに違いない。
「足跡はここに向かっているわね」
アグナユディテも厳しい顔で亀裂の先を指し示す。
彼女の言うとおり、魔族どもが通った証拠に亀裂に向かって多くの足跡が残され、この先が行き止まりではないことを示していた。
そして亀裂に入る手前まで近づくと、そこには野営の跡だろうか、岩を組んだ竈のような火を使った跡が残されていた。
「どうしたらこんな風になるんだろうね?」
エディルナが亀裂を眺めて口にしたように、いったいどんな力が働いたらこんなものができるのか見当もつかない。
以前、ドゥプルナムの城塞で、俺とトゥルタークは人間戦略兵器だと思ったが、これは自然災害レベルだと思う。
そう俺が考えていると突然、岩の陰に隠れていた何者かが姿を現し、呪文の詠唱を始めた。
「ヴューフィヨー ヴォート ディライ……」
だが、黒くつばの広い三角の帽子に黒いマントとロングブーツ、そして黒く光るレザースーツに身を包んだそいつの詠唱の速度はいかにも遅い。
いや。レベルの上昇に伴って俺たちの敏捷度が高くなっているため、相対的に遅く感じているのかもしれない。
そいつの周りに魔物たちもバラバラと姿を現すが、魔法が完成するのを待っているのか、いきなり俺たちを襲ってくることはなかった。その間もそいつの呪文の詠唱は続く、
「……レルーヴィ ボーヴァ キヴォート トゥーズ」
俺とトゥルタークは顔を見合わせ、魔法防御の魔法陣を展開する。
俺が教えるまでもなく、アグナユディテにも敵の唱える魔法の種類が分かったようで、小声で精霊に呼びかけているようだ。そして、
「ファイアボール・マーヴェ!」
金色の瞳を輝かせるそいつの魔法が完成したときには、俺たちの対処の準備はすっかり整っていた。
俺とトゥルタークが張った防御の魔法陣によって、そいつの放った火球はほとんどすべてが防がれてしまう。
そして残った数少ない火球のうちのひとつがベルティラに向かい、彼女は思わずのけぞっていたが、それさえもアグナユディテが張った水の精霊の護りによって、すぐに消え去ってしまった。
ベルティラはアグナユディテを見て、悔しそうな顔をしている。
おそらく彼女の精霊魔法に守られたことは本意ではないのだろう。
だが、今起こったことにまったく気づいていないのか、ターコイズブルーの肌をしたそいつは腰に手を当て、金色の装飾のついたショルダーガードの着いた肩を聳やかして、宣言するように大きな声を上げた。
「アーハッハッハ。思い知ったか。愚かな人間ども。私はエンシェント・ドラゴンの右腕、大魔導士スタルボー・ド・ウィンリー。わが主が開いたこの道のことを知ってしまったからには、生かしては帰さないよ!」
そう高笑いとともに大口を叩いたのは、ボムドーの町を逃げ出した、あの残念な魔族だった。
「アスマットよ。そなた、奴を知っておるのか?」
俺のげっそりとした表情に気がついたのか、トゥルタークがそう尋ねてくる。
だが、その姿を見たウィンリーの顔に驚愕が浮かぶ。
「げっ。魔王様!」
彼女はもともと青い顔をしているので顔色が変わったかどうかは分からないが、相当びっくりしているようだ。
だが、その言葉にトゥルタークが、すぐに反応して、
「わしは魔王ではない!」
と反論すると、ウィンリーは、
「なんだ。偽物か」
と安堵の息を吐く。それに今度は、逆にトゥルタークが、
「偽物ではないのだ!」
と怒りの声を上げる。
まあ、確かにそうなんだが、何だかどうでもいい会話をしているな。
「スタルボー・ド・ウィンリーよ。久しぶりだな。だが、お前はいつからドラゴンの配下に成り下がったのだ」
今度はベルティラがウィンリーに声を掛けると、彼女は、
「げっ。ベルティラ・デュクラン! いや。貴様も偽物か?」
とベルティラに問いかける。
「残念ながら私は本物だ」
ベルティラは澄ました顔でそう言うと、ウィンリーが怯んだ隙に呪文を唱えていく。
「マデュー ボドゥフィー トゥラガーヴェ! 渺漠たる虚無より来りて、混沌たる冥府へと去る者よ……」
ベルティラの前方、彼女が伸ばした腕の高さに墨で描いたような巨大な黒い魔法陣が浮かぶ。
そして、その魔法陣の中にさらに小さな魔法陣が、まるで曼荼羅か、ある種のフラクタル図形のように姿を現す。
「……無謬なる汝と盟いし我に抗う、愚かなる者どもに、絶望の鉄槌を下せ!!」
「げっ。その呪文は!」
ウィンリーが再び驚きの声を上げるが、ベルティラはそれに構わず魔法を完成させる。
「ダークネス・ディザスター!!」
その言葉とともに魔法陣が急速に拡大し、その中にある小さな魔法陣が次々とウィンリーの周りの魔物を捉え、その瞬間、魔法陣から黒い炎の柱のようなものが立ち昇る。
そして、それが消え去った後には魔物の姿も見えなくなっていた。
最近、彼女の魔力は瞬間移動ばかりに使われていたから、ストレスが溜まっていたのかもしれない。
ウィンリーも魔法陣に捉えられたが、さすがに魔物とは違い、それを耐えきったようだった。
だが、大慌てで右足を引きずりながらも亀裂の中に飛び込んでいった。
俺はライトニング程度の呪文でも仕留められそうだなとは思ったが、彼女がカルスケイオスへ戻れば、俺たちがここまでやって来たことがエンシェント・ドラゴンに伝わるかもしれない。
そう思って、逃げるがままにすることにした。
相変わらず本当に残念な敵だ。
俺が小さくなっていくスタルボー・ド・ウィンリーの後ろ姿を見ながら、そう思っていると、ベルティラが独り言のように、
「ドラゴンの軍門に下り、その手先となった奴と、奴の炎の魔法からエルフの精霊魔法で守られた我と、どちらがより落ちぶれたものか」
そう呟いた。
ウィンリーの逃亡は見過ごしたが、また魔族が侵入してきても厄介なので、俺は『黒い壁』の亀裂に合わせた大きさで対魔族の結界を張っておくことにした。




