第六十話 再びカルスケイオスへ
俺たちは一旦、エルジャジアンの町に戻り、もう一度、俺とアリアの二人でダルヴァール卿を訪ねた。
「もう魔族を撃退してくださったのですか。さすがは魔王を倒された英雄ですな。ありがとうございます」
彼は相変わらず疲れた表情をしていたが、俺が町とその周辺を襲っていたのであろう魔族を撃退し、カルスケイオスからこの地方へと通じていた亀裂にとりあえず結界を張って、これ以上の魔族の侵入を防いだことを報告すると、喜んでお礼を言ってくれた。
(とりあえず応急処置は済んだかな。あとはカルスケイオスにいるはずのエンシェント・ドラゴンと交渉だな)
エルジャジアンの町からの帰り道、俺はそう思っていたが、それは甘い考えであったことにその夜、すぐに気づかされた。
その晩も野営をして夜半を過ぎ、俺とエディルナが火の番をしていた時だった。
「うわっ!」、「何だい? これは!」
一瞬、東の空が明るくなったかと思うと、地面が激しく揺れ、その後、バリバリと何かを引き裂くような恐ろしいほど大きな音が聞こえてきた。
「アマン。いまの何? なにがあったの?」
アグナユディテが跳ね起きて、見張りをしていた俺にそう聞いてくる。
アリアとリューリット、ベルティラも起きてきたが、皆、不安そうな表情だ。
「なんじゃ。アスマットよ。なにがあったんじゃ?」
最後にトゥルタークまで起きて来て、やはり俺にそう訊いてきた。
一瞬、地震かとも思ったが初期微動も感じなかったし、何度も地震を経験している元日本人の俺には、どうも地震ではないような気がした。
可能性が高いのは、もっと別の人為的なことのような気がする。あの揺れが人為的なものだとすると、それはそれで恐ろしいことなのだが。
「見ろ! あれは!」
だが、そうした俺の考えを肯定するかのように、ベルティラが指し示した先に、俺たちは再び東の空に閃光が走るのを今度ははっきりと見た。
そしてまた地面がぐらぐらと揺れ、先ほどと同じような轟音が辺りに響く。
その音にアグナユディテが俺の右腕を左手で掴み、少し身を寄せてきた。アリアもリューリットも呆然と光の消えた東の空を眺め、心細そうにしている。
「アマン。どうする?」
エディルナがそう俺に聞いてきたことで、俺は我に返って、
「夜が明けたら見に行ってみるしかなさそうだな」
そう答えるのがやっとだった。
よく分からないが、どう考えても碌でもないことが起きているとしか思えなかった。
その後は幸い同じようなことは起きず、俺は何とか朝まで眠ることができた。
それでもやはり不安で眠りが浅かったのか、少し睡眠不足のような気がする。
皆も今朝は早くから起きていたので早々に朝食をとると、再び東の『黒い壁』に向かった。
「昨日の場所まで跳ぶか?」
彼女も不安なのだろう、ベルティラが自分から瞬間移動を使うか聞いてきた。
「いや。そこまで遠いわけではないし、できるだけ魔力は温存した方がいいような気がするからな。歩いて向かおう」
そう言って歩き出して早々に、当たり前だが、異変が起きていることが明らかになった。
「ねえ。あれ。増えていない?」
アグナユディテが昨日まで一本しか見えなかった『黒い壁』にできた真っ直ぐな線が増えていることに気がついたのだ。
最初は、見間違いかな、そうであって欲しいと思っていた。だが、昨日と同じように疎らな林を歩いて行くと、ときどき木々の間から見える黒い山塊には、残念なことに明らかに大きな傷が三本、縦に走っていた。
「これは凄まじいの。まだできてすぐであろうて」
そして亀裂のあった場所までたどり着くと、トゥルタークが言ったようにその左右、それぞれ百メートルほど離れた場所に新たな亀裂ができていた。
真っ黒な岩盤を深く穿つ新たな亀裂の表面からは、まだ熱気が立ち昇っているようだった。
「アスマットはそちらを頼むぞ。わしはこちらに結界を張るからの」
俺とトゥルタークは手分けして、亀裂の出口にそれぞれ対魔族の結界を張って、すぐに魔族がシューアギアン地方に侵入できないようにした。
(でも昨日、結界を張ったことへの答えがこの亀裂なら、問題の解決には役に立ちそうにはないな)
俺は結界を張りながらそう思っていた。
結局、カルスケイオスへ赴いて、この亀裂を作った張本人であろうエンシェント・ドラゴンと対峙するしか根本的な解決方法はなさそうだった。
「ベルティラ。カルスケイオスへは行けるよな?」
俺はそう言ってベルティラに瞬間移動をお願いした。
さすがにあの亀裂を逆に辿って行く気にはならない。
途中で魔族に鉢合わせする可能性もあるし、そうすると逃げ場さえない。
それに行った先にはおそらくカルスケイオス側の宿営地などがあって、彼らが集まっている気がする。
俺たちの実力なら、そいつらを蹴散らすことなど造作もないような気もするが、わざわざ危険を冒したり、魔力を無駄遣いする必要はないし、ベルティラが俺たちと共にいる以上、魔族といえどもむやみに殺戮するのは避けるべきだろう。
あのなんとか・ド・なんとかって名の魔族の魔法使いに対してはベルティラも容赦がなかった気もするが。
「ああ。カルスケイオスの中心部でいいか?」
俺の依頼を受けてベルティラが俺たちを移動させたのは、魔王の城があった場所の側だった。
城は主である魔王バセリスが倒されたことにより基底部が崩壊し、跡形もなくなっていたが、彼女が言ったとおり、ここはもともとカルスケイオスの中心地だ。
「私の屋敷がこの側にある。まずは、そこを拠点にするのが良かろう」
ベルティラはそう言ったが、その直後、何か忘れていたことを思い出したようで、
「いや。お前たちは少しここで待て。私が先に行って様子を見てくる。決して動いてはならんぞ」
そう言って、何やら慌てて駆けていく。
俺はその姿を見て、これはあれだな、トゥルタークが備忘録を探したときと同じだなと思った。
ベルティラも自分の屋敷には、人には見せられない黒歴史が詰まっているようだ。
「何しているんだろうね。ここで待っているのって、かなり危ないんだけれどね」
エディルナが不満を述べたとおり、こんな魔族の本拠地みたいなところでは、外で待っているだけでも、俺たちにとっては結構危険なことなのだが。
幸い魔族に見つかることもなく、しばらくするとベルティラが戻って来て、俺たちを彼女の屋敷に案内してくれた。
「へえ。立派なもんだね」
エディルナが感心したように、案内された屋敷は、周りをぐるりと囲む高い塀の外から眺めても広い間口の大きなものだった。
建物の両側に黒い尖った屋根をもった塔があり、その屋根の先端にはカラスがとまって俺たちを見下ろしている。
「私はこれでも魔王様の腹心の一人であったからな」
ベルティラがそう返したが、何だか少し疲れているようにも見える。
屋敷の深い緑色の壁に開いた窓には先が槍の穂先のように尖った鉄格子が嵌っている。
また、二階のベランダの端には、片方の瞳が金色で、もう一方の瞳が銀色の黒猫がいて、こちらを睨んでいた。
「さあ。ここから入ってくれ」
何だか慌てているような彼女に案内された門も、アーチ型の両開きの鋼鉄製の大きなもので、そこにまた大きな鉄製の鍵が掛かっていた。
だが、ベルティラが近づくと解錠され、軋むような音を立てながら内側に向かって大きく開いた。
「うわっ! なんだ?」
「ただの明かりだ。入ってくれ」
門から建物に向かって進んだ先の玄関の扉はオーク材だろうか、これも両開きの立派なものだった。だが、ベルティラが言ったように照明の代わりなのだろうか扉の前にはジャック・オー・ランタンがいて、俺たちが近づくと、その両目が光を放ち、さすがに驚いた俺は少し後ずさってしまった。
だが、そんな俺に向かってエディルナが、
「なあ。アマン。ここってメルヘンチックな洋館のあった場所じゃないか?」
と問いかけてきた。
「やっぱりそうだよ。魔王の城はなくなってしまっているけれど、あの大きな門の場所から見て間違いない」
彼女にそう言われてみれば、あの門には見覚えがある。
ゲームでは魔王の四人の腹心のひとりである「ベルティラ・デュクラン」がパーティーを待ち伏せして、襲い掛かって来る場所だ。
俺はあの門の前で、「我が師、トゥルタークの仇。ベルティラ・デュクラン! いつまでも隠れていないで姿を現したらどうだ」と大見得を切ったのだが、結局、いくら待ってもベルティラは現れず、皆から冷たい目で見られてしまった。
ここは確かにあの場所だ。
(確かに言われてみれば、門の手前に魔王の統べる地には場違いの乙女チックな建物があったな。あの時のショックでこれまで忘れていたけど……)
建物の大きさは丁度、今目の前にあるものと同じくらいだが、壁の色はピンクで、窓にはト音記号のような曲線の面格子が施され、印象的な青と白のストライプの庇がその窓を飾っていた。
建物の高い位置には、エレガントな曲線の壁飾りが取り付けられてもいたはずだ。
「えーと。確か。『シュガー&シナモン・ハウス』だったかな?」
エディルナが記憶をたどるようにそう言うが、確かにそんな名前の看板が掛かっていたような気もする。
魔王の城の前のあまりに異質なその建築物は、まるでテーマパークの別ゾーンから移築されてきたように感じられるものだった。
俺とエディルナがそう話していると、アグナユディテが、
「ねえ。さっきからずっと強力な闇の精霊の力を感じているのだけれど、もう無理しない方がいいのじゃないかしら? そもそも魔力は大丈夫なの?」
そうベルティラに話し掛ける。
ベルティラを見ると彼女は確かに疲れた表情をしている。今朝は『黒い壁』まで歩き、ここまで七人を瞬間移動させたとはいえ、そこまで疲労困憊するほどではないはずなのだが。
「エフィロフュー ニューア フィロルーマ トゥーラツ」
アグナユディテが精霊魔法を唱えると、
「なっ。その呪文は、やめろ!」
ベルティラが叫ぶような声を出したが、その間にもアグナユディテの掌の間に現れた光る球体がその大きさと光度を増し、フワフワと漂って屋敷に向かって行く。
そして、その光球が屋敷の壁に触れた瞬間、
パキーン!
何かが割れるような音がして、ベルティラの屋敷は一瞬のうちに以前、この場所で見たメルヘンチックなローズピンクの建物にその姿を変えていた。
ベルティラは建物全体に闇の精霊による強力な幻影の魔法を掛けて、おどろおどろしい姿に見せていたらしい。
別に彼女がどんな屋敷に住んでいようと、俺たちの誰もそんなことは気にしないと思うのだが、魔王の腹心の彼女からしたら大事なことのようだ。
それなら最初からそういった屋敷を建てればいいとも思うが、そこは彼女にも葛藤があったのだろう。
以前は、家憑き妖精の結界が屋敷の真の姿を隠してくれていたらしいのだが、彼女が地下牢に幽閉されている間に妖精たちは逃げ出してしまったようだ。
「これというのも、お前たちが早々に王女を元の姿に戻してしまったことが原因だ。まあ、もともと妖精たちは気まぐれだからな。主が長い間留守にして荒れるに任せた家になど、いつまでも居てくれるはずもないのだ」
もう開き直ったのか、ベルティラは屋敷のダイニングでそう言った。
彼女の前のテーブルにはティーカップが置かれている。
そこにはトゥルタークに言われて俺が淹れたお茶が入っており、彼女は砂糖を入れて、シナモンスティックでゆっくりとかき混ぜながら美味しそうに飲んでいた。




