第四十三話 旧友との再会
「トゥルターク。生きていたのですね。良かった。何はともあれ、本当に良かった」
そう言ってアルプナンディアはトゥルタークに近づくと両手を広げ、そのまましっかりと抱きしめた。
小さなトゥルタークを抱きしめるため彼はしゃがみ込み、そして涙ぐんでいた。
古い友人との感動の再会といったところだ。
俺が再び訪れたエルフの森は以前訪れた時とは違い、とても穏やかな場所だった。
光のオーブの結界が、あらゆる災厄からこの地を守ってくれているということなのだろう。
アグナユディテの案内で、真っ直ぐアルプナンディアの屋敷を訪ねたのだが、途中で見たのは右手に籐でできた籠を提げ、かなり先をゆっくりと歩いて行く一人のエルフの姿くらいだ。
時折響く鳥の鳴き声や、風が木々を揺らし木の葉のこすれ合う音が大きく聞こえるほどで、まさに静謐という言葉が似合う場所だ。
アルプナンディアの屋敷は、森の中央のひと際大きな木を利用して建てられた立派なものだ。
簡素な造りが多いこの場所で、その建物だけはところどころに趣味の良い植物の模様が、見る角度によってはエメラルドグリーンに光って見える特殊な技法で彫り込まれ、この建物に住む者が特別であることを表していた。
「あの。ところでアルプナンディア様は、よくひと目で先生だとお分かりになりましたね」
アルプナンディアの屋敷でお茶をご馳走になりながら、俺が遠慮がちにそう聞くと、彼はにっこりと笑い、
「何を言っているのですか。どこからどう見てもわが最も親しき友、トゥルタークではないですか」
と言ったが、いや、どう見ても以前のトゥルタークではないと思うけれど。
「姿を変えても、私たちには分かるのです」
アルプナンディアは事もなげにそう言うが、この姿でトゥルタークと分かるなんてエルフは本当にすごい。
「私たちから言わせれば、人間が視覚に頼りすぎなのです」
そう言って、また、嬉しそうにトゥルタークに笑みを向ける。
「それよりも、わが友は別にして、ユディはよく光のオーブの結界の中、アマンさんをここまで案内して来ましたね。オーブの力は強力で容赦がありません。少しでも気を抜いたら大事になりますから」
少し注意するような声色で、アルプナンディアがアグナユディテにそう語り掛ける。
「光のオーブはひとつだけでも、わしの身に封印された魔王の力を完璧に抑え込むほど強力だったからの」
澄ました顔でお茶を飲みながらトゥルタークがそう言うと、アルプナンディアは少し声をひそめ、
「これは秘密ですが、光のオーブの結界に入った者は、結界の出口までの半分の距離を進むと、身体の大きさが半分になってしまうのです。
そして、そこから出口までの残りの半分の距離を進めば、さらにまた半分の大きさに……、それを繰り返しますから、真っ直ぐに進んでも決して出口に辿り着くことはできません。
まして途中で進む方向を誤った日には」
「それはわしも知らなかったの。まあよい。で、最後はどうなるのじゃ?」
「さあ、小さくなって消えてしまうのか、森の土に紛れてしまうのか。わたしにも分かりません」
そう言ってアルプナンディアは肩をすくめている。
お茶の時間の会話にしては、とても恐ろしい呪いのような内容だ。
俺は自分がここへ来るまでに踏んで来た森の土の中に、オーブの力に捕らわれた多くの人々が蠢いていることを想像して、少し気分が悪くなったような気がした。
ここに来る前にそのことを知っていたら、結界に足を踏み入れることを躊躇したかもしれない。
「まあよい。わしはナンディの真の名を知っておるからの。オーブの結界も怖くはないというわけじゃ。考えてみれば魔王の封印よりなにより、ナンディの真の名を知ったのが、わしの生涯最大の偉業だな」
トゥルタークはアルプナンディアのことを「ナンディ」と呼ぶようだ。なんだか親しみはわくが、彼に対する尊敬の念が少し失われる気もする。
「そして、それが私の生涯最大の過ちでした」
アルプナンディアはそう言って肩を落とす仕草をするが、すぐにトゥルタークと笑い合っている。
「真の名を知ることって、そんなにすごいことなんですか? ユディも俺に教えてくれたんですが」
もし本当にそんなにすごいことなら、お礼も言っていないし、悪いことをしてしまったのかなと思って俺がそう聞くと、アグナユディテが「あっ」と言って俯いてしまった。
途端にアルプナンディアが目を細めて彼女を見るが、彼女は俯いたまま、じっとしている。
アルプナンディアはそれを見て「ほうっ」と息を吐くと、俺に向き直って言った。
「エルフが真の名を告げるのは、相手を信じ、生涯守ると誓ったときだけです。真の名を告げた相手の呼びかけには必ず応える。それが守れなければ死すとも悔いはない。そのくらい大変なことなのです」
「でも、アルプナンディア様も先生に教えたのですよね?」
何だかアグナユディテが俺に真の名を教えたことを非難されているような気がしたので、少し強い口調になってしまったかもしれない。
「そうです。彼は『森の民の最も親しき友人』です。それは昔も今も変わりません。でも、まさか三百年以上も生きるとは思っていませんでしたけれどね。ちなみに私は『真の名』を妻にも教えていません。エルフは長命ですから、一生添い遂げられるか、よく考えないといけませんからね」
そうしれっと言うアルプナンディアの言葉を聞いていると、俺の中のエルフのイメージが、どんどん変わっていってしまう気がする。
「ところで、わが友が訪ねて来てくれたのはどうしてなのですか? 単に私に会いに来てくれたというだけでも、もちろん嬉しいのですが。何か目的があるのでは?」
アルプナンディアがそう聞いてくれたので、俺は半ば忘れかけていたエンシェント・ドラゴンのことを思い出した。
「アスマットが面倒ごとを引っ張り込んだのじゃ。まあよい。そなたが説明してやってくれ」
トゥルタークに促され、俺はアルプナンディアに今回、俺たちがグリューネヴァルトを訪ねた目的について話していく。
「先日、賢者の塔の側にダークエルフが倒れていました。彼女によれば、かつての魔王の統べる地、カルスケイオスにエンシェント・ドラゴンが攻め寄せて来て、かの地はドラゴンに支配されてしまったと言うのです」
ダークエルフと聞いてアルプナンディアの顔が嫌悪に歪む。それを見て、俺はアグナユディテにベルティラを介抱してもらったことは言わない方がよさそうだなと思った。
「相手はダークエルフですし、俄かには信じられませんね。魔王の策略、作り話ということはありませんか? 失礼ですが、魔王をアマンさんやユディが倒したのは間違いないのですよね」
相手がダークエルフだと、そこまで疑うのかと思うが、これも異世界の現実なのだろう。魔族の言うことを鵜呑みにするなんて、お人好しもいいところ、といったことなのだろうか。
もしベルティラが倒れていたのが魔王の策略なら、今頃、賢者の塔は灰になっているかもしれないなと考えたが、エディルナがいるから跡形もなくなっている方かもしれない。
俺は神剣ジェムフュレットでパーティーの剣士が何度も切りつけたこと、また、神官の大回復の呪文で魔王に大きなダメージを与えて倒したことを簡単に説明した。
「ほう。魔王にそのような弱点が。ですが、そのような苦労をしなくても、『英雄の剣』を使えば、もっと容易に魔王に勝てたのではないですか? バルトリヒの子孫は何をしていたのです」
「バルトリヒの子孫、アンヴェル・シュタウリンゲンは魔王との決戦を前に亡くなりました。カルスケイオスで、悪魔の放った死の呪文を受けたのです」
この経緯を話すのは俺には苦しいことだった。もっと上手くやれたはず。そう思うと胸を締め付けられる思いがする。
だからトゥルタークにも伝えていなかったのだ。
「なに! バルトリヒの子孫は死んだというのか! で、その者の子は!」
突然、それまで黙って俺が話すのを聞いていたトゥルタークが珍しく大きな声で言った。
「いえ。彼はまだ若く子どもはいなかったはずです」
「ではシュタウリンゲン家が絶えたというのか。まずい!」
大体のことには「まあよい」と言ってくれるトゥルタークが、何故か大そう慌てている。
見るとアルプナンディアも顔色を変え、誰が見ても動揺しているのが分かる程だった。
シュタウリンゲン家の祖、英雄バルトリヒ。実は彼はただの人間ではなかった。
エンシェント・ドラゴンがトゥルタークとの盟約に従い、バルトリヒを依り代にしていたというのだ。
「考えてもみよ。いくらバルトリヒが人並み外れた豪傑でも、ただの人間が魔王を封印することなどできようはずもない。わしはバルトリヒとともにエンシェント・ドラゴンの王に、魔王を滅ぼすために力を貸してほしいと頼んだのじゃ」
いや、俺たちに魔王を倒させておいて、今さらそれを言いますかと思ったが、そのまま黙って話を聞いていた。
「エンシェント・ドラゴン・ロードは彼の眷属の一人に、バルトリヒを依り代にして力を貸すようにしてくれると言ったのじゃ。『英雄の剣』もその時に古竜王が作り出したものじゃ。だが、その代わりとして、わしが彼に何を返してくれるのかと聞いてきた」
まあ、ギブ&テイクと言うことなのだろう。
エンシェント・ドラゴンにしてみれば人間が勝とうが、魔王が勝とうがどちらでもいいことなのかも知れない。
「わしは依り代となった者を王国貴族として遇すると言ってみた。人間にとっては大きな価値があることだが、古竜にとっては何の意味もないことなのだろうから、断られるだろうと思いながらな。だが、古竜王はそれで承知したと言ってくれたのじゃ」
確かにそんなことでと言うような内容だ。そもそも魔王をどうにかすれば、その者は貴族に列せられて当然だろう。俺はなっていないが。
「だが、わしと古竜王の考えは食い違っておった。と言うよりも人間の考えることと、古竜の考えることは、時間軸が違っておることに気付かされたのじゃ。
古竜王は『では、その者の子孫を代々、わが眷属の依り代としよう。少しの間、人間の世界で暮らすのも退屈しのぎにはなるだろう』と言ったのじゃ」
その時のことを思い出しているのか、トゥルタークは眉間に皺を寄せ、少し苦しそうな顔をしていた。
アルプナンディアも、
「わたしもその場にいたのですが、長い間生きるエルフでも、その発想はありませんでした。やはり彼は神にも等しい者ということなのでしょう」
そう言って、深刻そうな顔をしている。
「盟約に縛られなくなった古竜がどう出てくるか」
トゥルタークの呟きが、俺の心に重く圧し掛かった。




