第四十一話 仇敵との再会
今日もダイニングで三人で午後のお茶を飲んでいると、賢者の塔の外で何か物音がしたような気がした。
なんだかお茶ばかりしているようだが、たまたまだ。
毎日きちんと魔法の鍛錬はしているし、水汲みに薪割り、掃除や洗濯、炊事に風呂の火の番など、この世界で快適な生活を維持するのは結構大変なのだ。
魔法使いが三人で暮らしているから、かなり楽をさせてもらっているとは思うのだが。
「ねえ。なにかが落ちたような音がしなかった?」
耳の良いアグナユディテも気がついたようで、そう聞いてきた。
トゥルタークは今の姿には似つかわしくない分厚い本を読むことに集中していて、動く気はなさそうだ。
外に干しておいた洗濯物が落ちていたら面倒だなと思いながら、俺は塔の扉から外へ出てみた。
音がした原因はすぐに見つかった。
塔から少し離れた草原に、黒い布に包まれたような物が落ちているのが見えたからだ。
近づいてみるとどうも人のようだ。
うつ伏せに倒れた頭には銀色の髪が見え、黒く見えていたのは羽織っているマントだったようだ。
少し変わった格好だが、町の人か旅人が怪我をして動けなくなったのかもしれないと思った俺は、慌てて倒れている人に駆け寄ったが、直前でその正体に気づいて急ブレーキを掛けた。
褐色の肌に黒いレザードレス、人形のように整った顔。
倒れていたのはトゥルタークを倒したダークエルフ、「ベルティラ・デュクラン」だった。
俺は木の棒でツンツンとかしてみるべきかなとも思ったが、ベルティラはまったく動く気配がないので、さすがに心配になった。
魔族のことを心配するのは変なのかもしれないが、彼女は見た目は人間とほとんど変わらない。
いや、かなりの美貌の持ち主だと訂正しておこう。
もしかしたらもう死んでいるのかもしれないと思ったが、見ていると微かに胸が上下しているようなので、まだ生きてはいるようだ。
いや、別に邪まな考えで胸を見ていたわけではない。生きているのかなと思っただけだ。
本当だ。
俺は少しだけ迷ったが、思い切って彼女を抱き上げ、賢者の塔へ運び込むことにした。
非力な魔法使いの俺だが、ベルティラは小柄だったので一人でもなんとか運べそうだ。
そうして彼女を抱きかかえて塔の側まで戻ると、俺が遅いのを気にしたのかアグナユディテが扉を開いて出てきてくれた。
「遅いわね。どうしたの、アマン。その人は……えっ、ダークエルフ!」
途端に彼女の表情が厳しいものに変わる。
エルフとダークエルフは仇敵なのだろうから、当然の反応だろう。
「いや。気を失って倒れていたから、見捨ててはおけないなと思って」
「正気なの。彼女は魔族なのよ!」
やっぱりあの場でとどめを刺すべきだったのだろうか。
だが、元は現代人の俺に、襲ってきてもいない気を失った彼女を害することはかなり抵抗感があった。
目を覚ましたらすぐに襲い掛かって来るのかもしれないが。
それに攻略推奨レベル五十の彼女は、今の俺たちからしたら一人で余裕の相手だ。
銀のアンクレットは壊れてしまったから魔法が効くはずだし、不意打ちを受けたとしても負ける気はしない。
「げっ! その女は……」
俺が塔の中に入っていくと、抱きかかえられたベルティラを見てトゥルタークも絶句していた。
彼女はトゥルタークを葬った仇敵なのだから、当然の反応だろう。
「おい。アスマット。なんてことをするんじゃ。わしは許さんぞ。こら。師の言うことが聞けぬのか!」
なにか俺の後ろで小さな女の子が可愛らしい声で叫んでいるが、とりあえず無視をして、そのままベルティラを俺の部屋へ運び込む。
買ったばかりのアグナユディテのベッドを使うわけにはいかないし、予備もないから、俺のベッドを使うしかないだろう。元々、俺のベッドが来客用の予備だったのだし。
ベルティラをベッドに下ろしブーツを脱がせると、彼女の右手首にあの金のブレスレットを見つけた。
おそらくこのブレスレットの瞬間移動の力で、ここまで跳んできたのだろう。
そしてもうひとつ、彼女の首には真っ黒な枷が嵌められていた。
マントをどうしようかと考えていると、アグナユディテが来てくれた。
彼女はテキパキとベルティラのマントを外し、身体をベッドの中央に据えると注意深くベルティラの腕や脚、お腹や背中を確認してくれたようで、その後、すぐにブランケットを掛けてくれた。
エルフに看護されるダークエルフって、この世界で初めてかもしれないなと思いながら、俺は黙ってあっちの方向を見ていた。
「大きな怪我はなさそうね。腕や脚は擦り傷だらけだけれど、これはすぐに治るでしょうし。今は眠っているだけだと思うわ」
アグナユディテがいてくれて、とても助かった。
ブーツは脱がせたけれど、俺は医者ではないので診察はできないから、それ以上はちょっとまずいかなと思っていたのだ。
トゥルタークは知識はともかく、身体は小さいから彼女を運ぶことはできないだろうし、俺はベルティラを運ぶとき、なるべくマントに包んで、直接身体に触れないように注意していたのだ。
これ以上アグナユディテからの評価を下げて、彼女が今以上に不機嫌になるのは避けたいからな。
「ところで、アマン。どうしてレビテーションの魔法を使わなかったの?」
(そうだ。よく考えたら、こんな時こそレビテーションの魔法を使えば良かったじゃないか!)
元々魔法のない世界にいたから、まだ咄嗟の場合に魔法が使えることを考慮に入れずに動いてしまう。
本当だ。
「いや。あの。突然のことで、その、慌ててしまって」
しどろもどろに俺が答えると、アグナユディテは、
「ふーん。そう」
そう言ったきり、そっぽを向いてしまった。
やっぱり俺への評価が急低下している気がする。
その後、ベルティラは昏々と眠り続け、夜になっても目を覚まさなかった。
仕方がないが、俺はリビングのソファで寝るはめになった。
翌朝、アグナユディテが起きてきた物音で俺も目が覚めた。
どうせトゥルタークもすぐに起きてくるだろうと思って、かまどに炎の魔法で火を入れ、目玉焼きを焼き始めると、まだ眠そうに目をこすりながら可愛らしい少女がダイニングに現れた。
「アスマットよ。お腹がすいたの。なんじゃ、今朝も目玉焼きか。まあよい。早くするのじゃ」
フライパンからパチパチと卵の焼ける心地よい音がして、たっぷり使ったバターの良い香りがダイニングに漂う。
シヴァースの周辺には、かなりの規模の草原が広がっているので牧畜も盛んで、町で手に入れられるバターも質の良いものだった。
前世では、こんなにバターを入れたらコレステロールの値が大変なことになるとか、気にしなければならなかったが、この世界では健康的な生活が送れていると思う。まだ若いし。
一瞬そう思ったが、よく考えてみればアグナユディテはこの世界の俺より二十年は長く生きていると言っていたし、中の俺は四十歳オーバーだ。トゥルタークに至っては……。
そんなことを考えながら目玉焼きを焼いていると突然、廊下へ続く扉がガタンと音を立てて開いた。
その音に驚いた俺たちが扉に目をやると、そこにはトパーズのような瞳の目を大きく見開いたダークエルフの姿があった。
彼女はよろよろとトゥルタークに向かって歩を進めると、数歩手前で跪き、
「魔王様。よくぞご無事で……」
と頭を垂れた。
「貴様。どの面下げて、わしの前に姿を現したのじゃ!」
彼女はかなり疲労していたようだったし、今の声もなんだか泣いているようだったから、トゥルタークも少しはいたわってあげればいいのにと思うが、さすがに以前、かなり手酷くやられているから、そんな気にはなれないようだ。
トゥルタークの叱責に、ベルティラはさらに身を低くして答える。
「魔王様の下された九十年の刑期が終わる前に、勝手に城の地下の獄を抜けたこと、お詫び申し上げます。ですが魔王様が倒されたとのデマも流れ、その上……」
「あー。もう。わしは魔王ではないのじゃ!」
しかし九十年の地下牢幽閉って、さすがは魔王、容赦ないなと俺は思っていたが、
「アスマットよ。そなたが拾ってきたのじゃ。自分で最後まできちんと面倒をみるのじゃぞ。わしは知らぬからな」
そうトゥルタークに言われてしまった。いや、そんな捨て犬かなにかみたいに言われても。
彼女はここ数日、なにも口にしていないということだったので、パン粥を作ってハチミツを垂らし、とりあえずお腹に入れてもらった。
これだって最初は俺の問い掛けを無視して答えず、トゥルタークから「ベルティラよ。その者の問いかけに答えるのじゃ」と言ってもらって、やっと聞き出したことだ。
その後、今度は卵入りのパン粥を食べてもらいながら彼女がこの地にやって来た経緯を聞くと、容易ならざる事態が起きているらしいことが分かってきた。
どうでもいいが、どうして俺は今朝、調理ばかりしているのだろう。
ベルティラによれば、古竜がカルスケイオスに侵攻してきたと言うのだ。
そして、そいつは圧倒的な力で、あっという間にかつての魔王の配下を蹂躙、屈従させ、カルスケイオス全土を支配下に置いたとのことだった。
ベルティラは配下を率いて古竜の支配に抵抗しようとしたが、まったく歯が立たず、カルスケイオスから逃げ出すしかなかったようだ。
自分に残っていたすべての魔力を使い、とにかく今までに行ったことのある場所でカルスケイオスから一番遠いところへと、瞬間移動の力で跳躍した。
そこが賢者の塔だったというわけだ。
そこまで話を聞いたが、彼女はまだ辛そうだったので、もう一度ベッドで休んでもらうことにした。
寝室まで彼女を送っていったアグナユディテがダイニングに戻って来たところで、俺はトゥルタークに聞いた。
「先生は、エンシェント・ドラゴンについて何かご存じですか?」




