第三十九話 エンディング
魔王バセリスを倒してから、ほぼひと月にわたり、俺たちは王都で、魔王を倒し世界に平和を取り戻した英雄として大歓迎を受けた。
王宮をはじめ、いくつもの大貴族や大商人、教会やギルドとあらゆる方面から毎日、歓待を受け、贈り物が山と積まれた。
それらがひと通り終わった後も、地方の貴族や都市からの招待や魔王討伐の話を聞きたいという依頼が殺到した。
だが、すべてに応えるわけにもいかないし、また機会があればということで、丁重にお断りした。
また、多くの吟遊詩人からも、今回の俺たちの活躍をサーガにして唄いたいという要望が数多く寄せられた。
それに対して、俺はアンヴェルを貶めさえしなければ、他はどう唄ってもらっても構わないと答えた。
英雄の末裔の彼がその名誉のため、そして民衆のために、いかにその重責を果たそうとしたか、そしていかに勇敢に戦ったのか。できればそれを忘れずに唄ってほしいとお願いした。
俺は彼にアルプナンディアのような扱いを受けてほしくなかった。
バルトリヒが早世し、トゥルタークが隠棲して誰も誤りを正す者がないまま、世に広まった不当な扱いを繰り返すことなく。
エディルナは王宮からミセラーナ王女の親衛隊長にと打診されたが、受けなかった。
「わたしに王宮勤めなんてできるはずがないよ。報酬もたっぷりいただいたし、少し休ませてもらって気が向けばまた、気楽な冒険者稼業でもしようかね。わたしの父がそうだったようにね」
彼女は屈託なく笑ってそう言った。
「アマン。また、いい話があったらよろしく頼むよ。できればギルドのクエストボード経由ではなく、今回と同じように指名依頼でね」
そう言って、王都の家族のもとに帰っていった。
リューリットは王家の剣術指南役への就任の要請を断った。
「魔王と戦ったことで、私が王都へ来た『強者と試合う』という目的は十二分に果たされた。この上は一度、故郷へ帰ろうと思う」
彼女は落ち着いた、迷いがないという澄みきった声でそう言った。
「私はこれまで故郷で剣の天才と言われ、その言葉に縛られてきたように思う。
だが、今なら私は自分が凡人だと分かる。私は少し腕の立つ凡人なのだ。天才とは賢者アマン、そなたのような者のことを言うのだ。
天才と自負していたこの私が、そなたの振舞いに何度、戦慄を覚えたことか。神の如き者、『半神』と呼ぶ者もおるようだが、それもむべなるかな」
そう言った彼女の言葉に驚く俺に笑顔を見せると、彼女は王都から故郷へ向かい、旅立っていった。
アリアは聖カテリアーナ教会に戻った。
だが、すでに民衆の間では聖女と敬われ、王家からの信頼も厚い彼女は、将来の王都の大聖堂の大司教とも目されているようだ。
魔王に対してあれほど勇敢に対峙し、その強力な神聖魔法の力を振るった時と同一人とは思えないほど、教会を訪れる人びとに優しく語り掛ける彼女には、そんな気はないような気がするが。
「賢者アマン。私はあなたが神が私のもとへ遣わされた方だと確信しています。あなたは否定なさいますが、それは私にとって理屈ではなく、真実なのです」
彼女が何度も俺に向かって言う言葉に、そんな立派な人間でない俺は正直、困惑を隠せない。
俺はどうしたらいいのかという問いにも幸せそうな微笑みとともに、
「いえ。何もしていただく必要はありません。既にあなたは私を救ってくださっているのですから。言葉の重さと、真実の重さから私を解放してくださったのです」
そう言ってくれる。俺の方がその言葉の重さに押し潰されそうな気がする。
そして俺は、
示された莫大な褒賞のほとんどを辞退し、王宮魔術師への就任の要請も固辞して、王都の喧騒から逃れた。
流されやすく諦めの早い俺がと、自分でも驚いたが、アンヴェルの死が俺に教えてくれた。
ここがゲームの世界とは違うということを。
『ドラゴン・クレスタ』のエンディングでは、必ずパーティー六人全員が揃うのだ。
それは魔王戦で何人が倒されても同じ。エンディングになると全員が復活し、平和の喜びと勝利の栄光を分かち合うのだ。
俺はゲームでは何度も、パーティーメンバーの棺桶を引きずって魔王の玉座で戦ったのだから。
だが、アンヴェルは生き返ることはなかった。
真のエンディングで彼はミセラーナ王女と婚約し、エディルナは王女の親衛隊の長に、リューリットは王家の剣術指南役に、そして俺は王宮魔術師になって、皆でアンヴェルの治世を支え、彼の治める王国は末永く繁栄を享受するのだ。
とりあえず師の墓参りをし、魔王が滅んだことを報告したいからと俺は王宮を辞して、懐かしい街道をシヴァースの町に向けて歩いていた。
以前、王都へ向かったときは師のトゥルタークを失い、他にこの世界に知り合いもなく、ひとりぼっちの旅だったが、今、俺の傍らにはアグナユディテがいた。
そういえば王都で、彼女だけは王に対してゲームと同じセリフを言った。
「私は、わが一族の誇りと、友人のために戦ったのです」
そう言って、褒美を一切受け取らなかったのだ。
ゲームのキャラクターと一番違いが大きいと思っていたアグナユディテだけが、真のエンディングを迎えられるとは、皮肉なものだなと思っていると、彼女が俺の顔を覗き込んできた。
「何をひとりで笑っているの? 気味が悪いわね」
そう言って肩をすくめる。
「いや。褒美を全て辞退するなんて、アグナユディテは凄いなと思っていたのさ」
すると彼女はますます不機嫌そうに口を尖らせ、
「あなただって、ほとんど辞退したじゃない。そっちの方が驚きだわ」
俺の行く先を、こちらを向いて後ろ向きに歩きながら、大げさな身振りでそう言った。
「王宮魔術師まで断ってしまって。あなたが王都を離れると聞いて、王女様も寂しそうだったし。そっちを後悔しているのかしら?」
王女と聞いて、俺はまたアンヴェルのことを思い出す。
アグナユディテは俺の顔が曇ったのに気づいたのか急に真顔になり、前を向き、俺に背中を見せた。
「あなた程の知恵と魔法の力があれば貴族、いえ国王にだってなれるはず。あなたはこの世界を救った英雄なのだから」
(いや。もう宮仕えは前世だけで十分だ。これもある意味アーリー・リタイアメントになるのかな)
先を行く彼女の背中を見ながら、俺は少しの間、黙ってそう考えていた。
「有り難いことに、これから生きていくには十分な褒賞はいただいたんだ。平和になった後も、俺なんかが王宮にいたら、碌なことにならないさ。人は辛苦はともにできるが、富貴をともにするのは難しいからな」
俺がそう言うと、彼女はまた俺の方に向き直って、
「賢者様はすべてお見通しなのね。でも、私はあなたをどこまでも追いかけるわ。私から逃げきれると思わないことね。私たちが初めて出会ったときにそう言ったでしょ」
澄ました顔でそう言った。
「アグナユディテの好きにすればいいさ」
俺がこの世界に来て、一番長く同じ時間を過ごしたのは彼女だろう。そしておそらく俺が最も信頼できるのも。
「そして、あなたには私の真の名を知ってほしい。大賢者トゥルタークにアルプナンディア様がそうしたように」
「えっ。アグナユディテって偽名だったのか?」
王宮でも「アグナユディテ」と呼ばれていたと思うのだが、もしそうなら大胆だなと俺は驚いた。
だが、俺の問いにも彼女は動じた様子はなく、静かな、だがはっきりとした声で言った。
「いいえ。偽名ではないわ。我が名は……アグナユディテアラミアン。普段は前半だけを名乗っているの」
彼女の深いエメラルドグリーンの大きな瞳が真っ直ぐに俺を見詰めていた。
「そうだったんだ。それより、できれば他の仲間たちみたいに俺もユディって呼ばせてもらえると嬉しいんだが」
何だかここまで彼女はとても重大そうな雰囲気だったが、俺が遠慮がちにそう言うと、少し肩の力が抜けたようだった。
「なんだか張り合いがないわね。仕方ないわ。許してあげる」
そう言ってくれたので、俺は安心して彼女にお礼を言った。
「ありがとう。ユディ」
シヴァースの町を遠く見ながら左に折れて街道から外れ、賢者の塔に向かうと、塔から少し離れた林の側に、俺がシヴァースの町の人にしつらえてもらったトゥルタークの墓がある。
俺がまずはそこを訪れたいと言うと、アグナユディテは賛成してくれた。
「森の民の最も親しき友人にして、あなたに魔法を教えた大賢者。アルプナンディア様も喜んでくれるでしょうし。私もそうしたい」
そう言ってくれた彼女とともに俺が林へ向かう小道を進むと、遠くにこちらへ向かってくる人影が見えた。
その人影は小さく、まだ子どものようだった。
だが、それが誰か気づいたアグナユディテの顔に驚愕が浮かぶ。
「アマン。あれは。そんな……そんなはずは」
そして、その時には俺にもそれが誰か分かった。
「魔王バセリス……」
小道を歩いてくるのは、見た目は銀髪をツインテールにした可愛らしい少女だった。
だが、その恐ろしい力を俺たちはよく知っている。
俺はすぐに呪文を唱えはじめ、戦闘の準備をする。
だが、ここには神剣ジェムフュレットもなければ、大回復の魔法が使える神官もいない。
ゲームはエンディングを迎え、もうゲームの知識に使えるものもない。
レベルは最大とはいえ、俺とアグナユディテの二人だけで魔王に勝てるのだろうか。
(どうする。どう戦えばいいんだ)
だが、向こうも俺たちに気づいてしまったようだ。一瞬立ち止まると、笑顔で手を振りながら近づいてくる。
って、えっ。手を振ってる?
「おお。アスマットよ。遅かったではないか。まあよい。隣りにいるのはエルフ族の者か。宝珠は無事に返せたようだの」
声は可愛らしいが口調は老人だ。それも俺がよく知っている老人の話し方にそっくりだ。
「ええと。お前は。いえ、あなたは」
俺がそう言うと、女の子は不満そうな顔で、
「なんじゃ。師の顔を忘れたのか? 薄情なことじゃの。まあよい。お湯を沸かしてあるので、お茶でもどうじゃ。ハチミツをたっぷり入れての。そちらのエルフのお嬢さんもな」
(いや、師の顔って。まったく変わってしまっているんですけど)
俺はそう思ったが、口に出す気力は湧かなかった。
アグナユディテもまだ理解が追いついていないようだったが、相手に戦う意思が全くないことと、どうやら魔族ではないことが分かったようで、警戒を緩めていた。
俺たちは塔のダイニングで、エリスにそっくりな女の子が淹れてくれたお茶をいただくことになった。
台所にはご丁寧に木箱が用意されていて、身長の低い彼女はそれを踏み台にしてポットにお湯を注いだり、カップにお茶を淹れたりしていた。
何だか危なっかしくて見ている俺の方がひやひやしてしまった。
そうしてお茶が入ると、今度は戸棚からクッキーを出してお皿に並べてくれた。もちろん木箱はフル稼働だ。
彼女がテーブルに着くのを待って、とりあえず俺はいったいどうなっているのか事情を訊いた。
「先生。でよろしいのですよね?」
彼女は目をつむり、少し顎を上げ、腕を組んで偉そうに、
「うむ。いかにもわしはおぬしの師、大賢者トゥルタークである」
と答えた。だが、姿形はツインテールの女の子だ。威厳は全くと言っていいほど感じられない。
「ささ。そちらのお嬢さんもお茶が冷めないうちにの。このクッキーは絶品なのじゃ。
わしは、以前は甘いものはハチミツ入りのお茶以外は苦手だったのじゃが。やはりこの姿になったからかの」
アグナユディテも絶句している。それはそうだろう。ついこの間、死闘を繰り広げた魔王に、お茶とクッキーを勧められているのだ。
「先生。先生はどうやって復活されたのです。魔王はどうなったのですか?」
俺はトゥルタークを名乗る少女に尋ねた。
「あのダークエルフの魔法を受けて、いよいよわしの命も尽きるかと思った時、凄まじい力で、精神なのか魂なのかよく分からぬがわし自身の意識が、身体から引きずり出される感覚を覚えたのじゃ」
少女はそう語り始めた。
「気がつくと不思議なことに、自分が死んでいく姿を中空から眺めておっての。これは、魔王がわしの命の火が完全に消えるのを待ちきれず、ほとんど解けかけた封印を内からその強大な力で破って復活を遂げたからであろうと思うのじゃ」
そして、まだ完全に死んでいなかった彼の一部が、呪いによって魔王と絡まっていたことで、魔王の身体に引き寄せられたのではないかとトゥルタークは言った。
その後は気を失ってしまったらしく、細かいことは分からないようだったが。
そして次に気がついた時には全身に激痛が走っていたが、すぐに温かい光がぶつかって身体を包み、途端に痛みが和らぎ、楽になったとのことだった。
「おそらく大回復の魔法じゃな」
美味しそうにお茶を飲みながら、少女はそう言った。
魔王に最後の追い打ちを掛けようとアリアが放った魔法が、奇しくも魔王が滅んで、その肉体に復活したトゥルタークの身体を癒していたのだ。
「そうは言っても、その後、気が緩み、また少しの間、気を失ってしまったのだがな。だが、この小さな身体であったおかげで、魔王の城の大崩壊でも奇跡的に生き残ることができたようだ」
そう言って、ティーカップを手に、にっこりと笑う。
良かった。可愛らしい少女の笑顔を見て、俺は心からそう思った。
魔王バセリスと戦っている間は夢中だったから気がつかなかったけれど、絵面的には年端もいかない女の子を、大の大人が寄って集ってボコってたから、現代人的にはまずいよな。
良かった。エリスが生きていて本当に良かった……ってエリスじゃないけど。
「だが、その後は大変じゃったぞ。この小さな身体では一日に歩くことのできる距離もたかが知れておるし、魔王は滅びたとはいえ、カルスケイオスはもとより、まだまだ治安の悪い地方は多い。このトゥルタークでなければ、到底この塔まではたどり着けなかったであろう」
少女はそう言って自慢気に胸を張る。
「わが身に巣くっていた魔王は滅び、その呪いも消え去った。身体も若返ったし、実に爽快じゃ。こんな気分は三百年ぶりじゃの」
(いや、姿はその魔王そのものなんですけれども)
俺はそう思ったが、やはり口には出せなかった。
「それに実はこの身体も結構、気に入っておる。老大賢者が小さな女の子に転生して大冒険するなどという話、考えただけで実にワクワクするではないか」
いかにもラノベにありそうな設定だが、実際に異世界で体験するとなると、俺はかなり微妙な気がした。
話題は俺たちが魔王と戦うまでの出来事に移り、俺はトゥルタークに掻い摘んで話していった。
途中、俺が王命を授かり、儀式を行ってパーティーの皆の力を最大限まで引き上げたことを伝えたところ、トゥルタークは驚きもせず、お茶を飲みながら、
「そうか。アスマットもわしと同じ場所まで到達したか」
事もなげに言った。
「えっ、先生もそうだったんですか」
俺が驚きの声を上げると、トゥルタークはまた自慢気な顔で言った。
「当り前じゃ。わしは三百年も生きておるのだぞ。このトゥルターク。寿命を迎えておらなんだら、あのダークエルフになど遅れをとりはせんわい。彼奴は、ほとんど死にかけておったわしに最後のひと押しをしたに過ぎん」
トゥルタークの言葉に、俺は深く納得していた。
(まあ、確かに三百年も生きていれば、毎日スライムを倒しているだけでもレベルMAXになるよね)
「それよりもおぬしら、グリューネヴァルトを訪ねるのであろう。わしも一緒に行くぞ。久しぶりにアルプナンディアにも会ってみたいしの。あやつもわしが訪ねてきたら、さぞかし驚くであろうて」
トゥルタークは、いたずらが楽しくて仕方がないといった風な笑顔だ。
(いや。そりゃあ驚くでしょう。その姿で会いにきたら)
でも、アルプナンディアはきっと喜ぶだろうな。俺はそう思った。
『ドラゴン・クレスタ』は何度も何度もプレイしたし、エンディングも数えきれないほど迎えた。
けれどエンディングの後のことなんて、「魔王がいなくなった平和な世界で、末永く幸せに暮らしました」程度のことしか考えたこともなかった。
このゲームのことなら、すべて知り尽くしていると思っていたし、ゲームとの違いにずっと戸惑っていたけれど、こんな違いがあるのなら現実の異世界も悪くないな。
テーブルの向こうでお茶を飲んで楽しそうに話すトゥルタークとアグナユディテを見ながら、俺はそう思っていた。
俺のティーカップから立ち昇る湯気といっしょに、ハチミツの甘い香りが流れてきた。
【第一章・完】




