エピローグ ある島にて……
翡翠色を孕んだ浅瀬が、砂浜に寄せては返していた。
潮騒は穏やかだ。海辺近くの村には赤瓦の家々が並び、熱を運んだ風が椰子の葉を揺らしている。
そのうちの一軒、縁側に腰掛けていた青年が退屈そうに頬杖をついていた。
暗褐色の髪。十八歳になったばかりの若者だ。
彼はしばらく海を眺めていたが、やがて草履を手繰り寄せて履き、石の衝立と石垣を抜けると丘の方へ歩き始めた。誰にもついてこいと言った覚えはないが、気づけば弟や妹たちがぞろぞろと青年の後ろをついて来ている。
青年は丘の中腹で一度振り返った。下方では幼い兄弟たちが必死について来ている。転びそうになりながら、笑いながら、騒ぎながら。青年は呆れたように息を吐き、再び前を向いた。丘の上、少し離れた場所に建つ同じく赤瓦の家へ向かう。青年は石垣を抜けて衝立を回り込むと、赤瓦に鎮座する二体の獅子を見上げた。家の中から金属が擦れ合う音がし、青年は獅子から目を背けると庭先で大声を張り上げる。
「おじさん、いるー?」
家中の作業音が止まり、薄暗い空間から人影がぬるりと現れた。頭のバンダナを外して出てきたのは、剣を振るうには小柄だが身軽さを補える体格の男だった。三十代半ば、童顔。剣士というより職人に見える。
「……なに。今日は何の用」
男がバンダナで額を拭うと、青年は不満そうに唇を尖らせた。
「家に居ても暇なんだよ。父ちゃんさ、朝帰ってきたと思ったら『今日は急遽休み』とか言って母ちゃんと出かけてった」
男は眉を顰めると、青年は盛大に顔を歪めて腕を組む。
「普通そこ、子供の相手じゃないのかよ」
その時、やっと丘を登り切った弟妹たちが庭に雪崩れ込む。
「着いたー!」
「疲れたー!」
「暑い!」
男は額の汗を再び拭いて縁側に腰を下ろす。
「だからって全員で来ることないだろ」
「いや、ついて来たのはこいつらの勝手」
「あっそう」
男は興味なさそうに答え、青年も彼の隣に座った。一番下の少年が駆け寄ってくると満面の笑みを浮かべる。
「コリーン! 今は何作ってるの?」
男——コリンは苦笑した。気づけば、また来ている、いつものことだ。子供達が庭に散らばり始めると、コリンは青年をチラ見した。
「んで? 放ったらかしにされて、なんでうちに来るの。気になる娘のところに行けばいいじゃん」
青年は腕を組んで唸り出した。
「いや、行きたいのは山々だけど……父ちゃんが漁休みなら、ニールも休みってことじゃん? コリンも、みんな休み」
「うん、そうなるね」
コリンが頷くと、青年はバツが悪そうな顔で囁く。
「あの子の父ちゃん、怖いんだよ。笑ってるんだけど、笑ってねえの。目が」
コリンは苦笑した。あの爽やか仮面、そのうち娘からも呆れられそう。まあ、他人の家庭だ。自分には関係ない、たぶん。コリンは庭を見渡した。
木陰に吊るされたハンモックには、銀色の髪をした少年が寝転び、本を読んでいる。次男だ、母親の面影を色濃く受け継いでいる。物静かで、少し夢見がちなところもある。
ハンモックの近くでは、褐色肌の少女が弟妹たちの面倒を見ていた。東南アジア系の顔立ち、血の繋がりはないが誰が見ても長女だ。面倒見が良く、叱る時は叱り、守る時は守る。
石垣に登って海を見つめる少女もいる。次女だ。最初に生まれた娘、父親譲りの気質を持っている。何か考え事をする時は決まって海を見る。彼女の姿を見ていると、コリンはつい笑ってしまう。
男女の双子は今日も騒がしい。長女に叱られても止まらない。コリンの足元では四男が木の枝を使って、地面に絵を描いていた。この子は妙にコリンに懐いている。理由は未だによく分からない。
コリンは隣を見ると長男がぼんやりと海を眺めていた。
「……やっぱり似てる」
コリンが思わず漏らすと長男が振り向く。
「急に何?」
「似てきたなって」
長男は嫌そうな顔をして大げさに肩を落とす。
「あー、やめてくれよ。最近さ、マテオにも言われたんだよ。『やっぱ似てるわ』、嫌味な言い方ぁ。ジャスパーなんか隣でケタケタ笑ってたし。オレはマテオみたいな男になりたいんだよ。顔も綺麗だし、渋くて格好いい」
長男の言葉にコリンは吹き出した。顔立ちは似ている。髪も瞳も、もしあの男に傷がなかったなら、きっとこんな顔をしていた。だが、性格はまるで違う。喩えるものがない、とにかく眩しいくらいに真っ直ぐ育った。庭では子供たちの笑い声が響いている。風が吹き、遠くで波が砕けた。変わらない海があそこにある。
長い旅だったけれど……誰も辿り着けると思っていなかった未来が、今はここにある。
笑い声があって、穏やかな風がある。帰る場所がある。
何より、明日を生きようとする人々がいる。それだけで十分だ。
コリンは穏やかに微笑み、潮騒に耳を傾けながら瞼を閉じた。
空と海はいつだって青い。境界は曖昧で、けれど繋がっている。
人と人の想いのように、別れと出会いのように、終わりと始まりのように。
風は今日も海を渡っていく。誰かの夢を乗せて、誰かの願いを乗せて。
遥かな水平線の、その先へ。
——第二作「ルー・ブレス」 完
「浜辺で一緒に船に乗ろうと約束をした幼馴染二人が、大人になって港で別々の道を歩む」
この構想を高校の時に思いついてから、ここまでくるのに随分時間をかけてしまいました。
まずは……最後まで読んでくださり、感謝を申し上げます。10巻分の物語を、私の執念を見届けてくださったことに頭が上がりません。
最初はただ海賊の冒険活劇を書きたかったのに、気づけば海軍とバトらせたくなったり、史実ベースで海賊像を創ったり、復讐テーマまで絡んできたり……さらにサスペンスやミステリーや恋愛やアクションまで、たまーにホラーやオカルト要素も入ったりして、一時期ジャンル迷子になってしまいましたが。
キャラクターたちの関係性や生き様に付き合ううちに、「これはヒューマンドラマだ」と胸を張って届けることができました。
さて、第二作「ルー・ブレス」は記憶喪失モノでしたね。ソフィーの物語である第一作「リ・ブラン」と違い、血生臭いし泥臭かったと思います。(一作目を未読の方は気にせず)
私は記憶喪失モノをミステリー仕立てにしたくなかったです。これは高校の時から、そう。というのも、アニメーション映画「アナスタシア」の物語構造に多大な影響を受けてまして。私もいつか記憶喪失モノを書きたくなったら、「アナスタシア」みたいなシステムでキャラクターの人生を描きたかったです。ついに叶いました。
「報復の航路」シリーズですが、一旦は新作の執筆をお休みします。本当はマクシムことアントワーヌとか、ジャスパーとマテオの過去を保管する作品に取り掛かりたいんですけど……まず「リ・ブラン」をブラッシュアップさせたくて。というのも、地の文が下手すぎて硬いんですわ。非常に読みにくいので、今の自分の文章でまた改稿したいです。それと、一本化計画ね。現在、一作目も二作目も分割投稿していますけど、いずれは同じ投稿ページで一本化計画も視野に入れてます。こちらに関しては、またお知らせいたします。
改めまして……「報復の航路」シリーズ、第二作「ルー・ブレス」をここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。
別の作品でお会いしましょう!
セキユズル




