7話 太陽の香り
月明かりが眩しい。春を終えたコンクリートは昼の熱を蓄え、足の裏に還元する。
越野は月を見上げると、住んでいるアパートの近くに立つ、背の高いマンションの明かりを見つめる。
「ここの家賃、今の倍くらいすっかな……」
越野の給料はさほど高くない。一人暮らしもぎりぎりのラインだ。贅沢も出来ず、ボーナスを地道に貯金している。
「……メガバンなら、住めたかな」
深いため息をつき、コンビニの袋を握りなおす。中に入った唯一の贅沢品が徐々に溶ける音がした。
「……一留?」
懐かしい声に続く犬の鳴き声に、越野は足を止める。
「輝……」
今にもこちらへ向かってきそうな大型犬をリードで制しながら、輝はこちらをじっと見た。
袋の中のアイスの状態すらも忘れてしまうほど、頭は言葉を探していた。
*****
背の高いマンション近くの公園で、二人ベンチに並ぶと、越野は遠慮がちにアイスを取り出した。
「食っていいよ。ごめんな、呼び止めて」
「あ、いや……」
越野はソフトクリームのカップを開けると、コーンから垂れるクリームを舌で舐めながら必死に言葉を探す。
「こっちにいつ帰ってきたんだ」
「……こないだメッセージ送ったの、見てない?」
気まずい、と慌てて視線を逸らせる。
アイスを一齧りすると、車止めのポールに繋がれている犬の顎を撫でる。
「先月くらいかな。ちょうど事務所との契約が三月で切れたからちょうどいいと思って」
「事務所って、芸能事務所……?」
「うん」
本当に芸能事務所にスカウトされてたんだ……と越野は項垂れる。
「親父が体調悪くてさ、キリいいし、帰ってこようかなって。一留は働いてんだよな、公務員?」
「いや……銀行」
「AFG銀行?」
隣の市にあるメガバンクの名前を出してくるあたり、都会帰りなんだな、と実感する。
「あ、ああ……」
誤魔化すように、コーンを一齧りする。
「えー、すっげーじゃん!ボーナスとか百万くらいもらえんだろ」
「い、いや、そんなにもらえねーよ……」
「でも銀行っていうと、かなりもらえんだろ?いいなー、でも俺も自由にやってっからなー」
ブランコにすればよかった、と手持無沙汰な足で土を掘る。
「輝は何してたんだよ。モデル?ドラマ?アイドル?」
「モデルを少々、とドラマも出てたぜ」
そう言って笑う輝の顔は、高校時代よりも随分と垢抜けて男前になったと胸がときめく。
変わらないのは柔らかそうな短い髪と、輝く瞳。そして立派な体格。
「本当かよ、そんなに有名だったら、こっちで有名になってんじゃねぇの」
皮肉めいた言葉を浴びせると、輝は吹き出し笑いをする。
「変わんねーな、その性格の悪さ」
変わらないのは、お前の方だ。
そんなことを呟きそうになって、胸に留める。
「どうせ、うまくいかなくて逃げてきたんじゃねぇの」
ふやけてきたコーンを引きちぎると、視線を泳がせながら悪態をつく。
すると輝は越野の手を取り、アイスを大きく一齧りした。
「あっ、てめぇっ」
「よくやってたよな、お前が悪態つくたびに俺が仕返しするやつ」
大きな笑い声をあげると、越野は目を伏せてじっと輝を見つめた。
「お前さ、相変わらずなのな」
「お前ほどじゃないけど」
越野は輝に齧られ、見るも無残な形になったアイスを憐れむように見るとため息をつく、再び食べ続けた。
「間接キスだな」
「お前が勝手に食ったんだろ」
「あの頃もさ、よく仕返しにお前の飲んでたジュース奪って飲んだりしてただろ」
「あ、ああ……」
高校時代、よく紙パックのジュースを自販機で買っては出し合った値段の割合で飲みあいをしていた。しかし、越野が輝の神経を逆なでると、輝にジュースを奪われ、全部飲み干されていた。
「あれさ、わざとやってたって言ったら、どうする」
アイスを食べる口の動きが止む。
「わざと、って、何……」
犬の吐息が近く感じる。
「俺、一留のこと好きだった、って言ったら、どうする」
間に手をつき、身を乗り出す輝に、越野は茫然として輝の顔を見つめる。
自信がない自分とは違う、お日様の香り。
「どう、す、るって……あっ」
アイスを奪われると、片腕で背中を抱かれ、引き寄せられる。手慣れたように唇を重ねると、何度か啄むように上唇を吸われる。
「……拒否らないってことは、それが答えってことで、いい?」
吐息に乗った声が瞳を通して脳へ直接響く。
こんなにも人に身を委ねたくなるのは、久々だった。




