3話 動き出した秒針
週末の残業を終え、自宅へ帰ると、道中コンビニで買ってきたハイボールとスモークチーズを開けながらパソコンを開いた。平日見れずにたまっていた動画を消化しながらハイボールをちびちび飲む。
蓬田はもう、子供とのテレビ電話を終えただろうか。
時刻はもうすでに二十二時を回っていた。
蓬田とはかれこれ二年ほど関係を持っている。彼がまだ結婚する前からの関係だから、不倫とは認めたくはない。そもそも自分はゲイで女と結婚をするつもりはない、と断言していたのに、ちゃっかり取締の娘と授かり婚をしたのが去年の話だ。それからあれよあれよと言わんばかりの出世街道で、怒りよりも先に呆れてしまった。
現在は単身赴任で自由の身だが、それもいつまで続くかわからない。すぐ本店に引き抜かれてもおかしくはない。
蓬田曰く、妻に愛情はないらしいが、部屋を見る限り関係は良好としか思えない。子は鎹とはよく言ったものだ。
ならば、男同士ならどうなる。愛情が覚めたら、性欲が失せたら、関係は終わるのだろうか。
地に足のつかない不安定な感情が体の中を暴れまわっている。
越野は嗚咽を吐いた。その時、スマートフォンの通知音が鳴り、そっとホーム画面を開く。
すると、そこには見慣れぬ人物の名前が書かれていた。
時計の針が、ぐるぐると逆回転を始めた音がした
いつもなら心躍る週末の逢瀬の輝きが、少し鈍って見えた。服も適当に選び、半分寝ぼけた顔で寝ぐせを付けたまま家を出た。
結局、昨日のメッセージに返信できず、既読無視を続けている。
「何だぁ、その顔は」
蓬田の部屋のドアを開けると、歯ブラシを咥えたままの蓬田が出てきた。
「……お邪魔します」
瞼に漬物石を乗せたまま部屋に乗り込むと、欠伸をテレビに吸い込ませた。
「俺とのデートが楽しみすぎて寝れなかった?」
うがいをすると、蓬田は顔を洗い、リビングに戻ってくる。
「……いや、別に」
「じゃ何、飲みすぎた?やけ酒?」
「……やけ酒じゃないですよ、でもまぁ、寝不足は寝不足ですね」
「……俺のせい?」
隣に座り、顔を覗き込まれる。心の裏側を見られているように感じてむず痒い。
「違います。ちょっと、別件で……」
視線を逸らすと、蓬田はソファに大の字に寝転がり、越野の膝に頭を乗せると口を開けた。
「なーんだ面白くねぇな。仕事のことなら忘れろ、仕事中以外はな」
「違います……ちょっと、昔の、友、達……から、いきなり連絡きて、その、なんて返信したらいいかわからなくて」
「友達?」
「高校の同級生です」
「ただの?」
蓬田に詰め寄られ、越野は口を捩じらせる。
「……高校の頃、好きだった、相手、です」
そう正直に話してしまったのは、蓬田に嫉妬してほしかったからなのか、それとも、ただ理解者がいて欲しかっただけなのか。
そんな越野の浅はかな思慮を見透かしたのか、蓬田は心底つまらなさそうな表情をして
「ふーん」
と呟いた。
コーヒーがわく音が恐ろしく感じる。その音が最大限に鳴り響くと、蓬田はようやく立ち上がり、二人分のコーヒーを入れ、テーブルに並べた。
「それ話して、なんて言ってほしかったわけ。嫉妬してお前に襲い掛かればよかった?それとも他の男の話なんかするなって可愛く怒ってほしかった?」
静かな怒り、これが蓬田なりのしっとなのかもしれない。別に駆け引きをしたつもりはなかったが、結果として子供じみた駆け引きに失敗した形になってしまった。
「……ごめんごめん、お前があまりにも可愛いこと言い出すからさ、ちょっといじめたくなっただけだから、そんな悲しそうな顔すんなよ~」
蓬田が肩に顔を乗せ、耳元で囁くと、越野は悔しさと悲しみに襲われ、力強く蓬田の後頭部をわしづかみし、噛みつくように口づける。それはこの人を自分のものにしたいという独占欲ではなく、この人を食べて自分の血肉にしたいという欲望に近かった。
口内を自分色に染め上げると、スウェットの中へと手を通し、肉がこけた肋と、へそ回りに就き始めた贅肉を混ぜるようにこねる。ちらりと目を開けると、微かに笑う蓬田の奇妙な余裕が見え、背筋が震えた。
「お前はそれでいいんだよ」と言われている気がした。
事を終えると先にシャワーを浴びる。こんなことなら着替えをもって来ればよかった、と自分の思慮の浅さと自制心の弱さに腹が立ち、シャンプーの泡が付いた顔をシャワーの中に突っ込み、泡立てながら顔ごと洗った。
いつまで関係を続けるつもりだろう
自ら発せられる問いに、ため息を水音で隠す。
”実家戻る”
約束ですらないただのつぶやきに、心臓が捩じり切れそうになる。
大体、実家戻るからってなんだよ、俺になんて返信してほしいんだよ、普通「実家帰るけど会える?」とかじゃねぇの?いつまであいつは世話が焼けるわけ?会いたいって欲しいならそう言えよ、それとも俺が会いたいと思ってるって思い上がってるわけ?
頭をかき乱しながら泡を洗い流すと、シャワーを止め、我に返る。
会いたいのは自分。会いたいのに言い出せないのも自分。世話が焼けるのも自分
時が止まれば、関係が形を変えることはないと信じていたから。




