11話 別に行ったっていいけど
あの日からもう1か月たつ。越野が毎秒通知を確認する癖も1週間も過ぎると次第に回数も減り、今となっては終業後、風呂上がりにSNSを周回するついでに確認する程度となっていた。
「……連絡していい?って言ったんなら、すぐ連絡すんだろ、ばーか」
スマートフォンをソファに投げると、無線イヤホンを耳に入れ、音楽を聴きながらソファに横になる。
何を聞いても心が沸かない。こうやって人は感受性を失っていくのか、と年を感じてため息をつく。
「……あれ、これ……」
聞きなれたイントロに、上半身を起こし、スマートフォンを確認する。
画面には、青空に自転車を二人乗りする高校生二人のジャケットが映っていた。
高校時代、このバンドにハマっていた越野と輝は、このジャケットをまねして自転車を二人乗りしながら帰っていた。下手な歌を口ずさむ輝に越野が
「お前歌下手すぎ」
と突っ込みを入れると
「じゃ一留が歌えよ、うまいのにもったいないよ」
と前を向きながら豪快に笑った。
今となっては、歌のスキルは飲み会の場で上司が女子行員に昭和のデュエット曲を迫った時などに発揮されている。
その時、音楽が中断され、スマートフォンが揺れた。
上に表示されるSNSの通知
越野は手が震え、通知を押すのを躊躇った。
”今月末の花火大会行かん?”
1か月待たせたことへの謝罪もなく、たった一言だけ要件を述べるだけの連絡に、越野は深いため息をついた。
「なーにが花火大会行かん?だ。俺が絶対行くって思って連絡してんだろこいつ」
心がかき乱される。濡れた髪を爪で掻きまわすと、ソファを転がりまわる。
これでは高校時代と何ら変わらない。
越野はそっと”別に行ってもいいけど”と、返して、またソファにスマートフォンを投げつけた。
*****
「えっ、俺が休日当番!?」
突然蓬田に打診されると、越野は大声を上げ、すぐ口を塞いだ。
「仕方ねぇだろ。住宅ローンの担当が体調崩したんだから」
「だからって、他に住宅ローンの担当いるでしょ、何で俺が……」
「いや、お前近くに住んでるし、独身だし、経験積むいい機会じゃないかって住宅ローンの課長が言ってる」
「……住宅ローンセンターの職員なんで全員既婚者にしたんすか……」
今週末の土曜日、花火大会の日も住宅ローンセンターだけは臨番の職員が出勤し、開いている。
普通、住宅ローンセンター以外の職員が対応することなどないはずなのだが。
「まぁ、そんなこないと思うからさ、まぁ、最低限の対応だけ覚えといて」
「えっ、あの、俺も予定が……」
そう口にすると、蓬田の表情が変わった。
「予定?何お前、俺以外の誰と予定あんの」
強い口調で睨まれると、それ以上何も言えなかった。
「あ、いえ……わかりました……」
そう言ってマニュアルを手に取ると、蓬田は笑みを浮かべた。
「午前だけなんだから別にいいだろ、暇なんだし」
「……たまには、予定くらいありますよ」
「えー、お前地元の友達みんな東京から帰って来ないって言ってなかったっけ」
越野は黙ったままマニュアルをめくる。この時代に紙のマニュアルなんて勘弁してくれよ、と思いながら深いため息をつく。
すると、蓬田が耳元で囁く。
「例の元カレ君と元サヤにでも戻ったの」
吐息交じりの声に驚き、慌ててマニュアルを閉じる。
「仕事中ですよ」
「何が?」
しらを切る蓬田に、越野はこれ以上否定しても無駄だ、と諦めた。
それにしても人手不足とはいえ、ずぶの素人によくも休日の当番など任せるつもりになったものだ。ましてや自分のようなうだつの上がらない職員に。
「大丈夫だよ、お前なら出来る。出来ない仕事なんて最初から預けない」
蓬田の何気ない言葉が、魔法のように越野の心に降る。
「……できなかったら、課長のせいっすからね……」
「んー?なんなら賭けるか?」
そう言って軽口を叩く小さな背中は、越野には眩しく見えた。
今すぐスーツをはぎ取って、シャツ越しに強く抱きしめたい。
マニュアルを見る目が強くなる。心の中の邪な欲望を押し込めるように、越野は頭を仕事で埋め尽くした。




