10話 なんで素直に言えねーんだよ
「ビール一つ」
「あっ、俺も」
慌てて後追いで注文するも、今日はビールの気分じゃなかったな、と届いてから思った。
「飲まねぇの」
「あっ、いや、今日はビールの気分じゃなかったな、って」
そう言って眉を下げると、蓬田はテーブルに肘をつき、頬杖をつくと、俺のビールジョッキを力強く奪い、一気に飲み干す。
「あっ、なっ」
「ほら、次頼めよ」
「あ……りがとうございます」
次第に言葉を先細らせながら額で返事をすると、メニュー表を寄こす。
アルコール類のページを見ても心が沸かない。越野は烏龍茶に心を決めると、注文のボタンを押した。
「何にしたの」
「烏龍茶っす」
「烏龍茶?なんだその女子みてーな選択は」
焼酎にしろ、と勝手に頼もうとする蓬田の手を止める。もう酔っているのだろうか、少し顔が赤くなり始めている。
「課長って酒飲む割に弱いっすよね」
「ああ、うん。別に好きで飲んでるわけじゃねぇし。付き合いで飲むようにはなったけど」
「じゃ、俺の前でまで飲まなくても」
呆れてため息をつくと、お通しの水を差し出す。
すると、蓬田はコップを掴む越野の手に手を重ねて、指を絡ませる。
「お前の前じゃ、可愛い俺でいたいの」
指先で、越野のかさついた爪を撫で回す。
蕩けた瞳が、越野の生唾を飲み込んだ。
「烏龍茶のお客様ー」
その声に、反射的に手を離すとジョッキが倒れた。
「お客様、大丈夫ですか」
慌てて烏龍茶をテーブルに下ろし、台拭きで手際よく机を拭く店員の無骨な手に、見覚えがあった。
見上げると、そこには店員の制服を着た輝がいた。
「輝……」
目が合った輝は、信じられないものを見た、と言った様子で瞳孔を潜めた。
ジョッキを下げ、烏龍茶を越野の前に差し出すと、ごゆっくりと頭を下げて逃げるように出ていく。
「あれ、今の店員……こないだの、お前の元カレじゃね」
「……よく覚えてますね、っつか元カレじゃないですし」
「職業柄、人の顔は一度見たら忘れないもんでね。……バイトしてんの?」
「さぁ、こっち帰ってきたばっかだし、仕事見つかるまでバイトしてんじゃないっすか」
適当に返すと烏龍茶に口をつけ、やっぱり酒にすればよかった、ともう一度メニュー表を開く。
「男前だよなぁ、タッパもあるし」
「そりゃ元芸能人ですから」
「……なるほど、そういう人ってやっぱ物が違うっつーか、雰囲気違うよな」
「でも、あの程度、都会にはいっぱいいるんじゃないですか、あいつだってうまくいかなくて帰ってきたんだし」
「ふーん、夢破れて、って感じか」
「さぁ、夢破れたんだか何だか知りませんけど。あ、そういえばあいつ、今日カウンターに来てた清瀬電機さんの息子っすよ」
「清瀬さんの?ふーん、じゃ、夢破れたわけじゃないかもな」
越野の手からメニュー表を奪うと、蓬田は即座に焼酎をロックで頼み、すぐに越野へ戻す。
「……どういうことっすか」
「清瀬さん家、今日来てただろ。電気屋畳むみたいなんだよ。体調が悪いみたいだって次長が言ってた。ほら、次長って地元出身だからさ、そういうの詳しいわけ」
親父さんの体調不良で帰ってきた……
越野は注文のボタンを押すのを躊躇った。
「……焼酎ロックのお客様」
あからさまに小声で店員が入ってくる。輝は体を縮めて視線を外した。
「はーい俺。ついでにこいつに梅酒ロックお願い、元カレ君」
「元カレ、君……?」
輝に絡む蓬田に、越野は大きな声を出して誤魔化す。
「あー!俺トイレに行きたくなっちゃったなー!店員さんちょっと案内してくれる!?」
そういって輝のエプロンを掴み、引っ張る。もう何度も来ている店のトイレの場所など知らないわけがない。
廊下まで出ると、心臓を抑えて辺りを確認する。端へ寄り、邪魔にならないように壁にもたれる。
「お前何でこんなとこで働いてんだよ」
「いや、経験者だし……」
「は?何お前居酒屋でバイトしてたの」
「うん、まぁ……」
「つかこっち帰ってきてもう2か月近くたつんだろ?ちゃんと仕事探してんのかよ」
「……探してるけど、未経験だし色々と厳しいんだよ」
「まだ若いんだからなんでもできんだろ」
違う、こんなことを言いたいんじゃない。そうは思ってもつい厳しく責めてしまう。
昔から、変わらない……
「ごめん、トイレ行くわ」
「……待って」
足を踏み出す越野の手を掴む。
「今度、飲み行かん……?ここじゃないとこ。つか、連絡して、いい……?」
輝の手が震えている。
連絡していい……?そんな当たり前のことを。
「当たり前だろ、ばーか。たまにはお前から連絡してこいよ。じゃ、小便漏れっから」
輝の手を振り払うと、トイレに入っていく。一度も振り返らずにドアを閉めると、ドアノブを握ったまま壁にもたれた。
「……なんで素直に言えねんだよ、ばーか……」
手のひらを額に当て、天井に深いため息を吐く。
薄汚れた鏡に映った自分は、随分幼く見えて、こんな顔をして戻ったら蓬田にすぐ察されるだろうな、と思うとしばらくトイレから出ることが出来なかった。




