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第2話 上の者

全国喧嘩会 第2話


上の者


 六月に入った。

 矢野の夜から二週間で、赤前はさらに二人の番長格を倒した。一人はB市の駅前を仕切っていた滝本恭一。もう一人は隣町の頭だった男である。どちらの経過も例によって記述できず、結果だけが入会届になった。

 束は、二十三枚になっていた。

 そして、止まった。

 やってみて分かったことだが、喧嘩というものは、申し込みの段階が一番難しい。相手の連絡先が分からない。出向けば不在である。話がついたはずの夜に、相手が現れない。おまけにこの頃から赤前の名は妙な速度で売れ始めていて、着く前に解散している集団すらあった。

 全国制覇は、開始からひと月、三つ目の市で渋滞していた。


   *


 校舎の北側に、使われていない部室がある。

 プレートには「写真部」とあるが、部員は数年前から存在しない。いつからか赤前たちの溜まり場になり、入会届の束は、この部屋の棚に置かれていた。

 その日の放課後、相沢学はその部室にいた。

 いたくて、いたわけではない。昼休みに目が合い、「来い」と言われ、来てみたら、入会届の枠を量産する作業が待っていた。コピー機はないので、一枚ずつ手で線を引く。なぜ俺が、という問いは、口に出すだけ無駄だと、もう学習していた。

 五枚目の枠を引いている時、山口のガラケーが鳴った。

 「ういっす。滝本っす」

 二週間前に倒した、B市の男だった。

 「バイク盗まれたんすよ。うちの若いのが」

 「……で?」

 「手ェ貸してほしいんすけど」

 山口は一瞬、耳から電話を離して画面を見た。表示は通話中のままだった。

 「は? いや、待て。バイクって、おめえ」

 「マジ頼みます。多分、足ねえと探せないんで」

 何の説明にもなっていなかったが、滝本の中では話がすでに決まっているらしく、押し返す隙間がどこにもなかった。

 「……で、どうすりゃいいんだよ。お前んとこ集めて、探しに行きゃいいのか」

 「あ、俺は今、盗まれた奴んとこ向かってるとこなんで。まず話聞いてきます」

 「おう」

 「なんで、その間に、うちのメンバーの招集と指示、そっちでお願いします」

 「……は? なんで俺らがやんだよ。おめえのチームだろうが」

 滝本は、不思議そうな間を置いた。

 「だって、あいつらの上の者って、赤前さんすよね?」

 山口は黙った。

 それから、棚の束を見た。

 知っていた。二十三枚、全部の上の者の欄に、赤前竜巻と書いてある。書かせたのは自分たちだ。書類の上で、滝本は誰の上でもない。滝本が自分のチームを呼んでも、来る義務のある者は、一人もいない。

 筋は、通っていた。

 通ってしまっていた。

 ついでに言えば、規則の上では、赤前たちにも動く義務はない。呼ばれたら来る、の「呼ぶ」のは上の者である。下から上が呼び出される事態を、あの夜の規則は想定していなかった。

 だが、行かない、という選択肢が検討されることはなかった。下が困っていて、上が知っていて、知らん顔をする。それが通る世界なら、そもそも誰も人の下になど入らない。

 「……分かったよ」

 電話を切ってから、山口は呟いた。

 「分かんねえ」


   *


 まず、滝本のメンバーの紙を探すところから始まった。これが難航した。上の者の欄は全員「赤前竜巻」であり、紙のどこを見ても、誰が滝本のチームなのかは書かれていない。

 学校の欄で絞れるかと思えば、滝本と同じ高校の入会届は、他に一枚しかなかった。チームは、学校で切れているわけではないらしい。駅で繋がり、中学で繋がり、バイト先で繋がる。紙は、そのどれも知らない。

 結局、滝本に電話をかけ直し、メンバーの名前を一人ずつ言わせ、束と突き合わせる。

 「タカハシ? タカハシ二枚あんぞ。どっちだよ」

 「背ェ高い方す」

 「紙に身長は書いてねえんだよ」

 三十分かけて、それらしい六枚が抜き出された。

 次は、電話である。

 山口が、そのうちの二枚を、枠を引いていた相沢の前に置いた。

 「電話しろ」

 「……俺がですか」

 「手ェ足りねえんだよ」

 「俺、関係なくないですか」

 関係の有無が考慮されたことは、これまで一度もなかった。今回もされなかった。

 部室の机に、六枚の入会届と三台のガラケーが並んだ。

 一枚目から、つまずいた。

 「これ、5ですか、6ですか」

 相沢が紙を掲げた。電話番号の三桁目が、5にも6にも見える。書いた本人は敗北直後で、手元が相当に荒れていたものと思われる。

 「知らねえ。かけてみろ」

 5でかけた。知らない大人の男が出た。相沢は無言で切った。

 6でかけ直した。今度は本人が出た。バイクは持っておらず、ついでに今日は家の手伝いだと言った。規則の絶対は、家庭の事情に敗北した。

 二枚目は、番号の桁がひとつ足りなかった。

 「桁が、足りないです」

 「どういうことだよ」

 「自分の電話番号を、間違えてるんだと思います」

 「なんでだよ」

 「俺に訊かないでください」

 考えてみれば、入会届とは常に、打ちのめされた直後の人間が、夜の屋外で、凄まれながら書く書類である。字と数字の品質に期待する方が間違っていた。

 三枚目は、一度で繋がった。

 「滝本の若いのだよな、おめえ」

 「……自分、滝本さんのチームじゃないっす」

 「あ?」

 「会ったことはあるっすけど」

 「向こうは、チームだと思ってんぞ」

 「マジすか」

 所属の認識が、双方で食い違っていた。そして、それを確かめられる紙はない。上の者の欄には全員「赤前竜巻」。誰がどのチームなのかは、各自の感覚に委ねられている。

 だいたい、電話の向こうに紙への思い入れなどない。書いた本人にとって、入会届はボコボコにされた夜の出来事のひとつである。あの紙に意味があると思っているのは、今のところ、書かせた側だけだった。

 四枚目は「ういっす! ……バイクすか。原チャも持ってないす。……行けばいいすか」と言った。持っていないのに、来る気ではあった。

 紙には、乗り物に関する欄がなかった。誰が走れて誰が走れないのか、束を何度めくっても、どこにも書いていない。

 五枚目も繋がり、事情を三割ほど理解した状態で「行きます」と言った。バイクも持っていた。規則一が、初めて完全な形で作動した音だった。

 六枚目は、出なかった。かけ直しても出なかった。


   *


 結局、集まったのは二人だった。

 バイクを持つ一人と、原チャすら持っていないが呼ばれたので来た一人である。

 コンビニ前で作戦を立てかけたところで、山口の電話が鳴った。滝本だった。

 「あ、解決しました」

 「は?」

 「盗まれてなかったす。話聞いたら、同中のダチが黙って借りてっただけでした。もう戻ってます」

 喧嘩にすら、ならなかった。正確には、盗難ですら、なかった。

 事件は発生から約四時間で解決した。うち三時間半は、電話に費やされていた。

 集まった二人には、事情が最後まで説明される機会がなかった。二人は炭酸を一本ずつ飲んで帰った。呼ばれたから来て、何もせずに帰る。規則上は、何の問題もなかった。


   *


 解散のあと、三人は部室に戻った。正確には、赤前と山口が戻り、相沢が戻された。帰るタイミングは、今日も訪れなかった。

 棚から、束が下ろされた。

 山口が束をめくりながら言った。

 「……全員おめえの下ってのは、無理あんだろ」

 赤前は答えなかった。

 「誰がどこの奴かも、紙見て分かんねえ。電話も、毎回おめえが全員にかけんのか。二十三人だぞ。これが百人になってみろ」

 百人、という数字に根拠はなかった。だが、誰も笑わなかった。この人たちは本気で百人を想定している、ということだけを、相沢は横で理解した。

 赤前が口を開いた。

 「滝本のとこは、滝本の下にしろ」

 それだけだった。

 矢野のところは矢野の下、ということも続けて決まった。

 決めるのは、一瞬だった。

 整理は、一瞬ではなかった。誰が誰の下なのかを確定させるため、滝本と三十分、矢野とも三十分、電話で突き合わせることになった。「そいつ、うちじゃないす」「おめえのとこだろ」という押し付け合いも数件発生した。

 途中で嫌気がさした山口は、電話番号の桁が足りない男の件を、忘れることにした。どうせ、かける手段がない。

 書き直しは、相沢がやらされた。上の者の欄の「赤前竜巻」を二重線で消し、「滝本恭一」と書き入れていく。

 「これ、本人に書き直させなくていいんですか」

 「いい」

 よくないのではないか、と相沢は思ったが、そもそも誰の許可が要る書類なのかを考え始めたら分からなくなったので、やめた。

 ついでに、運用がひとつ増えた。

 「次から、書かせたらその場でその番号にかけろ。鳴るか確かめろ」

 山口が言った。三時間半の怨念であった。


 こうして、上の者の欄は、赤前専用ではなくなった。

 誰もそれを役職とは呼ばなかった。任命式もなく、手当も出ない。ただ、滝本のチームのことは滝本に訊き、矢野のチームのことは矢野に言えば済むようになった。

 それだけのことが、発明だった。


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