第3話 電話のかけ方
全国喧嘩会 第3話
電話のかけ方
七月に入っても、全国制覇は渋滞したままだった。
放課後の部室には、四人いた。赤前と山口、集めた入会届を持ってきた矢野、そして枠の量産をやらされている相沢である。
矢野が机に置いた入会届は、二枚だった。
先月は、六枚だった。
「それにしても、喧嘩ができねえっすよ」
矢野が言った。
「第一、連絡先が分かんねえ。たまに分かる奴がいても、かけたら向こうが冷めちゃってて。なんで知らねえてめえと喧嘩すんだっつわれて、終わりっす」
「近場はだいたい潰れたか、勝手に消えたかしてるからな」
山口が言った。負かした集団は傘下に入り、噂を聞いた集団は会う前に解散する。狩り尽くした猟場で、獲物の番号も分からない。それが現状だった。
「番号、今いくつあんだ」
「えーと……三つっす。中坊ん時の知り合いの、また知り合いとかで」
「……俺がかけてみっか」
*
山口はガラケーを耳に当てた。全員が、なんとなく寄った。
三コール目で出た。
「おう。全国喧嘩会の山口っつうもんだけどよ」
「……はい」
「おめえ、強えんだって?」
「……まあ、そこそこっすけど」
「今度、喧嘩しようぜ」
間があった。長い間だった。
「……なんでですか」
「なんでって……全国行くからだよ」
「知らねえっすよ。なんで知らねえ人と喧嘩しなきゃなんないんすか。すんません、切りますね」
切れた。
丁寧にすら、された。
「な?」と矢野が言った。「なるんすよ、これに」
山口は通話の切れたガラケーを、しばらく睨んでいた。睨んでも、何も起きなかった。
*
相沢は、枠を引く手を少し前から止めていた。
「あの」
全員がこちらを見ないことを確認してから、続けた。見られていた。続けるしかなかった。
「今の感じの電話が山口さんに来たら、山口さん、喧嘩するんですか」
「あ?」
「再現してみてくださいよ。俺、かける側やるんで」
なぜか、やることになった。
相沢は、持っていないガラケーを耳に当てた。
「もしもし。俺、E高の相沢ってもんですけど。そこそこ強いんで、今度、喧嘩しませんか」
敬語の勧誘だった。
山口は受けた側として、腕を組んで真剣に考えた。ふざける、という選択肢がこの部室には存在しない。
「……しねえなあ」
「ですよね」
「目の前にいたら、するかもしんねえけど」
「目の前だと、なんでするんですか」
「だってむかつくじゃねえか。ぶっ殺したくなんだろ」
「電話だと、ムカついてないんじゃないですか」
「はあ?」
「いや、だから」
相沢は、自分の言っていることを自分で確かめながら言った。
「ちゃんとムカつかせれば、喧嘩できるんじゃないですか」
部室が、静かになった。
赤前が、相沢を見ていた。長かった。相沢は目を逸らしたが、視線は外れなかった。
*
「矢野さん」と相沢が言った。「山口さんに電話してるつもりで、喧嘩申し込んでみてください」
「は? なんで山口さんに」
「練習です。受けた側の気持ちは、さっき山口さんが一番分かってたんで」
理屈は通っていたので、やることになった。矢野は、持っていない電話を耳に当てた。いない電話を耳に当てる文化が、この部室には育ちつつあった。
「……おう。全国喧嘩会の矢野だ。てめえ、強えんだってな。喧嘩しろ」
山口は受けた側として、目を閉じて検討した。
「……うーん。『で?』って感じだな。知らねえし」
「ほかのパターン、ないですか」と相沢が言った。
矢野は少し考えた。
「てめえ、逃げてんじゃねえぞ」
「うーん。むかつくが、そこまでだな。知らねえ奴に、逃げるも何もねえだろ」
「てめえが逃げたって、周りの奴全員に言いふらすからな」
「なんだこの野郎」
山口の腰が浮いた。目が据わっていた。
「待ってください。練習ですよ、練習」
相沢が両手を出した。山口は座り直したが、まだしばらく矢野を睨んでいた。練習で生まれた怒りは、練習では消えなかった。
つまり、効いた、ということである。
「……今の、なんで効くんすかね」と矢野が言った。
「『逃げた』が、俺だけの話じゃなくなるからだろ」と山口が言った。「周りに言われんのは、別だ。面子の話になる」
「じゃあ」と相沢が言った。「この感じで、効いたやつを足してったら、いいのができるんじゃないですか」
そこからは、作業になった。
矢野が投げ、山口が受け、効いたものだけを相沢が紙に書き留める。
受けた側を続けるうちに、山口は逃げ道の在処に詳しくなっていった。
「『やんのか』って聞かれたら、『やんねえ』って言える。これが一番でけえ逃げ道だ」
「言えなくするには、どうすりゃいいんですか」
「……日にちの方を聞きゃいいんじゃねえか。今日か明日か、みてえによ」
試した。
「今日の夜か明日の夜か選べ」
「——どっちか、選んじまうな。これ」
やる・やらない、という答えが消えていた。残っているのは、今日か明日か、だけである。問いの形はしているが、出口が二つとも同じ場所に繋がっている。
「あと、『誰だてめえ』で流せるな」と山口が言った。「知らねえ奴は、怖くねえ」
「最初に、向こうの名前と学校を言ったらどうすか」と矢野が言った。「自分だけ知られてんの、気持ち悪いし、むかつくっすよ」
試した。流せなくなった。
場所も、先に決めて言うことになった。場所の相談は、頭が冷える時間だからである。
名乗りは、削られた。一番最初の、名乗った一本が一番効かなかった、というのが理由だった。知っている団体に勧誘されるより、知らない誰かに名指しされる方が、ずっと不気味で、ずっとムカつく。
「これ、規則三は大丈夫なんですか」と相沢が言った。「喧嘩の前に全国喧嘩会と名乗る、って」
「電話は喧嘩じゃねえだろ」と山口が言った。「現地で名乗りゃセーフだ」
規則に、解釈というものが生まれた瞬間だった。相沢は何か言いかけたが、規則を清書したのは自分なので、黙った。
日が落ちる頃、効いたものだけを並べた一枚が完成した。相沢が清書し、名前と学校と場所のところは空欄にして、括弧をつけた。
——(学校)の(名前)だな。今からテメーをぶっ殺す。今日の夜か明日の夜か選べ。場所は(場所)。来なかったら、(地元)のヤンキー全員に、(名前)は逃げたって言って回る。ぶっ殺すからな。やんのか、やんねえのか。
「読んでみろ」と山口が言った。
相沢が、棒読みで読んだ。敬語の抜けきらない、平坦な読み方だった。
「……ムカつくわ」と山口が言った。「おめえが読んでも、ムカつく」
誰が読んでもムカつくなら、誰がかけても喧嘩になる。キレるのが上手い人間を待つ必要は、もうない。
この一枚に、名前は付かなかった。誰も付けようとしなかった。以後それは、ただ「電話の紙」と呼ばれることになる。
*
残っていた番号は、二つだった。
一本目の相手は、H工の沼田。名前と学校は、矢野が番号と一緒に聞き込んであった。山口がかけた。今度は、紙を見ながらである。
「H工の沼田だな、てめえ。今からテメーをぶっ殺す。今日の夜か明日の夜か選べ。場所は陸橋下の駐車場。来なかったら、G駅前のヤンキー全員に、沼田は逃げたって言って回る。ぶっ殺すからな。やんのか、やんねえのか」
受話器の向こうで、何かが沸騰する音がした。
「——上等だよ!」
成立した。
通話を切った山口は、紙を見たまま言った。
「……俺、一回もアドリブ入れてねえぞ」
読んだだけである。読んだだけで、喧嘩が生まれた。
念のため、二本目は矢野がかけた。同じように、受話器の向こうが沸騰した。型は、人を選ばなかった。
*
翌週、沼田は陸橋下の駐車場で三十秒で終わり、入会届を書いた。
電話の紙が作った、最初の入会届である。
電話の紙はさらに二枚に写され、一枚は矢野が持ち、一枚は滝本に渡った。読むだけでいい、と電話で説明された滝本は、深く納得した声を出した。
「で」と矢野が言った。「かける番号は、どうやって増やすんすか」
山口は黙った。赤前も、何も言わなかった。
怒らせる技術は完成した。だが、かける先がなければ、紙はただの紙である。
その問題は、宿題になった。
こうして全国喧嘩会は、喧嘩を製造する技術を手に入れた。
怒りは、電話で配達できるようになった。




