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瀬戸内神戦譚 ー守護者歴代最弱ですが、八海神「要」として瀬戸内を守りますー  作者: 黒木のゆ
第2章 瀬戸内の守護者「八海神『要』」 編

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第8話 因島の武魁 元要「村上 蒼玄斎」

 港での戦いを終えて、蓮は神谷兄妹と共に家に戻った。

 夜の帳が落ち、神社の境内には蝉時雨の余韻と、かすかな潮の匂いが漂っている。

 大山神社、そこは因島の北、緑深い丘の中腹に、その社は静かに息づいている。境内を覆う見えざる結界は、完全な形を持ち、外界と切り離され、風は止み、音は閉ざされ、世界そのものがこの場だけで完結する。それは、古より続く“要”の力。この大山の杜は、その起点にして、核。因島の中心であり、瀬戸内を巡る力の、静かな心臓部でもある。その奥座敷は薄明かりの灯籠が揺れ、縁側の外には波の音が遠く響く。

 座布団にどっしりと腰を下ろしてまっていたのは、村上蒼玄斎むらかみそうげんさい

 かつて「因島の武魁ぶかい」と呼ばれた男は、白髪混じりの長い髪を背に垂らし、未だ衰えぬ眼光を放っていた。今は隠居の身だが、背筋は真っすぐで、その眼光は海そのものの深さを宿している。

 小さな蒼蛇そうじゃが彼の膝元で鎌首をもたげ、揺れる灯明に瞳を光らせる。

 藍に近い蒼色の鱗がかすかに光を帯び、まるで呼吸をするかのように波打っている。


「じいちゃんも、昔はあんな奴を相手してたのか?」


 蓮は縁側に正座し、目を逸らさずに問いかけた。蒼玄斎は口元をわずかに緩め、低い声で答える。


「想像以上に手こずったようじゃな。念のため神谷の兄妹をやっといてよかったわい。こやつは“蒼蛇”。わしの神獣よ。潮を統べ、荒波を裂く蛇神へびがみじゃ。名は蒼綯そうとう。生涯を共にして75年になるか。わしらも多少のざわめきを覚えておったが、蓮もそろそろ次の段階に行かねばならぬと思ってのぉ。」


 蒼蛇はまるで言葉を理解しているかのように首を持ち上げ、蓮をじっと見つめた。瞳の奥で蒼い光が瞬き、蓮の背筋にひやりとしたものが走る。


「じゃあ、やっぱり俺が戦ったあの妖怪…、ただの偶然じゃないのか?」


 蓮の声には迷いと苛立ちが混じっていた。蒼玄斎は重く息を吐き、静かに頷く。


「潮の気配が乱れとる。長らく沈黙していた妖どもが、再び海底から這い出してきおったようじゃ。詳しくはわからんが、お前の兄が命を落としたのも、その兆しの一つに過ぎん。」

「兄貴の……。」


 蓮は拳を握りしめた。思い出すのは、兄が最期に見せた背中。要という名の重さ。蒼玄斎は蓮の横顔を見据え、低く、しかし確かな声で告げる。


「蓮。お前は兄のとうと同じ“村上の血を継ぐ者じゃ。その力を恐れるな。拒むな。受け入れ磨き上げれば、お前はわし以上の“海の守り手”となる。」

「俺が?俺なんか…。」


 蓮は視線を落とした。未だに刀を振るえば手が震える。兄のようにはなれない、そう思ってきた。

 その時、小さな蒼蛇がすうっと蓮の足元に滑り寄り、とぐろを巻いた。冷たい鱗の感触が伝わり、同時に不思議と心のざわめきが和らいでいく。


「これは…。」

「蒼蛇もお前を認めとる。わしが若い頃は、こやつと共に戦場を駆け抜けたものよ。だが今はお前の番じゃ。」


 蒼玄斎の声は、波のように重くも穏やかに響いた。蓮はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと何かを確認するかのように2度3度頷きながら、覚悟を決めるかのように言った。


「俺は逃げない。今日みたいな奴らから皆を守りたい。もう、俺しか守れないんだろ?」


 俺しか守れない…根拠はなかったが、半分は自分に言い聞かせるようだった。

 蒼玄斎は満足げに目を細め、肩の力を抜いた。


「それでいい。だが焦るな。力は急いて掴むものではない。潮の流れのように、時を重ねてこそ形になる。」


 見透かしているかのように言うと、蒼蛇が再び蒼玄斎の足元へ戻り、小さなあくびをした。縁側を吹き抜ける夜風が潮の香りを運び、二人の沈黙を優しく包んだ。

 蒼玄斎と蓮の会話が一段落した頃、障子が静かに開き、二人の影が差し込んだ。神谷義久と颯月――兄妹であり、蓮の戦いを支える仲間だ。

 義久は落ち着いた表情で座に入り、妹の颯月も静かに正座する。二人の間に漂う空気は凛としていて、ただの客人ではなく、この家に深く関わる存在であることを示していた。


「じい様。我らも一緒に話の続きを聞かせてもらえますか?」


 義久が低く、だが芯のある声で問いかけた。


「瀬戸内の海に妖が跋扈ばっこし始めた理由を、きちんと知っておく時が来たようじゃな。」


 低く重たい声に、蓮と神谷兄妹、義久と颯月は自然と姿勢を正した。


「遥かいにしえ、この海は妖どもの領分であった。龍蛇、海鬼、鯨の化生……潮の流れも、風の道も、すべて奴らの支配下にあった。」


 蒼玄斎は遠く、しまなみ海道の影を見やるように目を細める。


「だが、人が舟を漕ぎ、網を張り、港を築いた。海路を拓き、巨大な橋で島々を繋げた。人が海に進出しすぎたのじゃ。妖どもは“己らの海を奪われた”と感じておる。」


 義久が腕を組み、重々しく頷く。


「つまり、俺たち人間が海を切り拓いたこと自体が、奴らの恨みを買ったと。」

「そうじゃ。奴らにとっては、我らの文明の発展そのものが侵略だったのよ。」


 蒼玄斎は頷き、縁側から遠く夜の海を一瞥する。潮騒の音が、一層強くなったように感じられた。


「蓮にだけ話すつもりじゃったが……これからは蓮を、村上の子孫を、因島の要をお前たちに支えてもらえねばならぬ。お主らにも聞いておいてもらおう。因島を囲む海は、古より“龍と蛇の海”と呼ばれておった。」

「龍と蛇……。」


 颯月が小さく呟く。


「うむ。村上水軍が力を振るったのは、人の才覚だけではない。潮の流れを読み、霧を操り、嵐すら越えてきたのは、背後に“海の神獣”たちの加護があったからよ。じゃが、力を振るうたびに海に潜む妖どもは恨みを募らせた。人が海を支配しようとすること、それ自体が奴らの逆鱗に触れたのじゃ。」


 蓮が息を呑んだ。


「別に俺たちは海を支配しようとか、そんなこと思ってない。そうだろ、じいちゃん!」

「今の平和がすべてを覆い隠しているだけなのだ。一部の奴らは“人が海を奪った”と信じとる。そして取り返さねばならぬと。わしら村上一族は、その恨みを受け止める役目を担った。結界を張り、剣を振るい、海の安寧あんねいを保ってきた。」

「特に村上水軍の時代は熾烈しれつでな。海を制すということは、妖を斬り祓うことでもあった。」


 蒼玄斎の瞳に、遠い戦の炎がちらりと宿る。


「潮流を読み、海を鎮めるというのは、人の才覚だけではない。多くの命を賭けて、妖どもを退けてきたからこそ、我らは“海の覇者”と呼ばれたのじゃ。」


 蓮は無意識に拳を握りしめる。


「でも、その分、妖からすれば、俺たち村上は海を奪った敵ってことになるんじゃ…。」

「我らから見れば、海と“共存した”つもりだった。じゃが、妖から見ればそれはただの強奪に過ぎぬ。」


 蒼玄斎の目が細くなり、口調が重く沈む。


「ここ数十年、血が薄れ、力は弱まった。平和が続きすぎたのかもしれぬ。その間にも、妖たちは力を蓄えて機会を狙っておったようじゃ。封じられていたはずの妖が、海底から再び顔を出し始めておる。」


 颯月が唇を噛んだ。


「つまり、この因島が狙われるのは、偶然じゃないってことですね。」


 蒼玄斎はゆっくりと頷いた。


「うむ。奴らの狙いは“海の覇権の復活”よ。瀬戸内を再び妖の支配下に置くつもりじゃろう。瀬戸内を支配下に置くためには、因島を落とすことが必然。しかも、その背後に、おそらくじゃが、まだ姿を現しておらぬ“大いなる存在”がいる。」


 その言葉に、座敷の空気が一層重くなった。義久の眼差しが鋭く光る。


「……大いなる存在?蒼玄斎さまからそんな言葉が。ただの妖ではないと?」


 蒼蛇がとぐろを巻き直し、かすかに舌を出して空気を舐めた。蒼蛇が尾を打ち、燭台の火が揺れる。


「奴らは飢え、憎しみに沈み、人を呪う存在へと堕ちていった。そして、それを利用しようとしておるものがおる。先日、わしが倒した妖が“大いなる存在”と呼んでおったのじゃ。わしが呼ぶわけなかろう。だが、蒼綯もただならぬ何かを感じておる。それだけは確かじゃ。」


 颯月が眉をひそめる。


「人間の欲が、妖を怨霊に変えてしまった?」

「そうじゃ。すべてが一方的に奴らの悪ではない…かもしれぬ。」

「そして、妖を統べて覇権を取り戻そうとしている者がいると?妖を統べられる…まさか、神の…。」


 蒼玄斎は深く息を吐いた。


「わからぬ…。じゃが、忘れてはならぬ。瀬戸内を護る海神は、本来は人にも妖にも恵みを与える存在じゃ。だが、多くの神は“豊饒”と“荒ぶり”の二つの顔を持つ。海神とて例外ではない。人の行いに呼応して、心が傾くのよ。人を守る心と、人を憎む心。もし憎しみが勝てば、瀬戸内は地獄と化す。」


 蒼玄斎の言葉は確信めいていた。義久が低く呟きつつ、


「海神は二つの心を持つ。つまり、人が慢心すれば、神も妖も敵になる。」

「その通り。今、血が薄まり、結界が緩んだことで、奴らは再び好機とばかりに“海を取り戻そう”と動き始めおった。」


 蓮は拳を握りしめた。


「まだ神が、敵になったわけじゃないだろ?妖の憎しみだけなら、俺たちが戦って鎮めればいい。俺たち以外、この海を守れる者はいないんだから。」

「そうじゃ。だが、真相はわからぬ。まずは、その真相を確かめねばならぬじゃ。蓮一人では荷が重い。義久、颯月。お前たち神谷の血もまた、この地を守る柱のひとつ。共に道を歩む覚悟はあるか?」


 義久は深く頭を下げ、力強く答えた。


「無論。我ら神谷も、因島の守り手として命を懸けてきました。これからも!」


 颯月も続ける。


「兄上と共に、必ず。」


 蒼玄斎は蓮の目を真っ直ぐに射抜く。


「蓮。お主が心の中に持つ刀も、神谷の神器も、すべてはその歴史の果てにある。忘れるな。戦は“ただ妖を斬ること”ではない。お主が言う通り、“鎮めるとは何か?”“なぜ斬るのか”を問われ続ける戦いとなるのだ。」


 蓮は責任の重さを実感しながら言葉を失い、再び拳を膝の上で強く握った。胸の奥に、冷たい海風が吹き抜ける感覚が走る。颯月がそっと言葉を添える。


「それでも、私たちは進むしかないんですね。彼らの憎しみを越えるために。」

「うむ。逃げては何も解決せぬ。お主らは進まねばならんのだ。海が荒ぶる限り、人も妖も救われぬ。」


 蒼玄斎は満足げに目を細め、ゆっくりと口を開いた。


「皆、良い顔をしておる。ならば明日より、蓮と共に修練を重ねよ。海の覇を奪わんとする妖どもを退けるために。そして、海を鎮めるためにな。」


 夜風が障子を揺らし、遠くで波が砕ける音が響いた。それは、これから始まる戦いの前触れのように思えた。


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