第7話 大妖との邂逅 2
「っ、まだだっ!」
蓮は必死に足を踏ん張って力を振り絞った。
その時だった。
海が裂けるような轟音が響き、ひときわ巨大な影が現れた。甲羅のように硬い鱗を背負い、角の生えた巨体。すでに、棍棒のような腕を振り上げていた。右腕にサビ付いた巨大な刀を抱え、目は炎のように赤く光っている。
「われ、海鬼将なり。お前ごとき、我が刀で押しつぶしてやるわ。」
名を口にした瞬間、蓮の胸に重い圧がのしかかる。じいちゃんから聞いたことがある。兄が命を落とした妖怪の一派。潮風に混じる生臭い妖気。目の前の「海鬼将」は、常人なら一瞬で腰を抜かすほどの威圧を放っていた。
「なっ!こいつが親玉か!」
蓮は叫び、構え直した。海鬼将は、蓮を一瞥するなり、蓮をめがけて右腕を振り下ろした。海鬼将の一撃が地面を叩き割り、石畳が砕け、破片が飛び散る。が、蓮は飛び退き、間一髪でかわす。だが、すぐに追撃が来る。巨大な棍棒のような左腕が迫り、今度はよけきれず、刃で必死に受けるも衝撃で全身に痺れが走った。
「ぐっ!次は俺の番だ!」
必死に斬りつけるが、鱗に阻まれて浅くしか切れない。攻撃は重く、防御は硬い。圧倒的な力の差を、身体で思い知らされる。雑魚妖怪の群れは辛くも斬り払ったが、その奥から現れた大妖は想定外だった。
息が詰まる。目の前が揺れる。
「なんでこんな…。」
刀を握る手が震え、兄の姿が、心に浮かぶ。
<お前はまだ未熟だ。>
その言葉が耳の奥で反響する。ズシン、と地響きとともに、漆黒の甲冑をまとい頭には兜をかぶった大妖が蓮めがけて突進してきた。
「お前らの血が薄れた今こそ、我らの時代よォ!」
海鬼将が吠え、力任せに刀を横に薙ぎ払った。さっきは何とか受けきれたが、今度はあまりのパワーに、刀だけではなく蓮の身体ごと吹き飛ばされ、港の地面に打ち付けられた。背中に走る衝撃。息が止まりそうになる。
海鬼将は口を裂けるほどに嗤った。
「まだまだ若いな、小僧。時を経て、お前ら“守り手”は弱った……昔のようにはいかんのだ!」
海将鬼の声は、まるで瀬戸の潮そのものが嘲笑っているように響く。
蓮は必死に刀を構え、飛び込む。
「引くわけにはいかない。はあああっ!」
白刃が光を放ち、海将鬼の胸を狙う…だが、
ガキィンッ!!
巨大な腕と巨大な刀の割には早い動きで受け止められ、その反動で蓮の腕がまた痺れる。
(くそ……力が違いすぎる……!)
必死に踏ん張るも、海将鬼の膂力に押し潰される。錆びついた刀が振り下ろされるたび、足元の石が砕け、何とか避けるが、体力の限界が近づいているのか膝が沈む。だが、それでも蓮は立ち上がった。足はふらつき、腕は重い。それでも、前に出る。
「俺は……守るものがある限り、俺の役目を果たす!」
その時だった。
ヒュッ。
夜空を裂くように、一筋の光が飛んだ。鋭い矢が海将鬼の腕をかすめ、血煙が舞う。
「何だぁ?」
海鬼将が振り返る。そこに立っていたのは、颯やかな長髪を夜風になびかせた女。弓を携え、淡い月明かりを背負うように立つ。
「我が名は神谷颯月。わが神器、弓の導きに従い、蓮、加勢する。」
矢をつがえると同時に、背後に白鷺が羽を広げている。
神獣・玉藻。
その赤い瞳が妖を射抜く。
さらにもう一つ、重い水音が響いた。港の海面が盛り上がり、巨影がのしかかる。現れたのは、逞しい体躯の青年、神谷義久。その背後で、海鯨が悠然と姿を現した。
「おい蓮、無茶しすぎだ。一人で何とかなる相手じゃないんじゃねーか?」
義久は、こちらも海にルーツを持つ様に見受けられる濃い蒼色の柄を片手に、神器:蒼槍<蒼鯨>を肩に担ぎ、口の端を上げる。
「こっちは、神谷義久だ。ここは俺たちに任せとけ。」
海将鬼が唸り声をあげる。
「神谷の一族か。まだ残っておったか!ちょうどよい。まとめて滅してやるわ。」
そんなことも構わず、颯月が冷ややかに矢を放つ。
「村上家を支えるのが我が血族の役目。古より村上様と共に戦ってきた我ら神谷家、軽く見ると後悔することになる。もう手遅れだが。お前は、ここで仕留めさせてもらう。」
「オラオラ、そんなもんかぁ?」
義久の槍が海将鬼を吹き飛ばし、瓦礫と波しぶきが散るとともに、港に轟音が響く。
しかし、海将鬼はまだ立ち上がる。鎧に亀裂を走らせ、鬼の咆哮が夜を震わせた。
「この程度で……、我を屠れると思うなぁあああっ!」
力づくで巨刀振り回し、怒涛の勢いで突進してくる。
蓮は思わず一歩退いた。
(くそ……俺じゃ止められない!)
だが、颯月は冷静だった。
風のように舞いながら蒼弓を構え、白鷺「玉藻」が肩に舞い降りている。風に揺れる髪と真剣な眼差し。
「蓮!一人で突っ込むなんて無茶しすぎ!」
「颯月さん!?」
「玉藻、矢を。神因弓術:連星矢!」
彼女は玉藻が作り出した輝く矢を4本まとめて弓を引き絞ると、同時に放つ。放たれた矢は、まるで星座のごとく連なりながら光の軌跡だけをのこして夜空を駆けると、鬼の四肢を鎧ごと貫き、空間に縫い止め海将鬼の動きを封じた。
「ぬうううっ……!この程度の矢など、我の力をもってすれば。」
海将鬼が暴れ、区間が若干ピキッと割れるような音が響いた。だが、束縛は緩まない。
「おのれ、小娘がッ!」
その隙を突いて、颯月が叫んだ。
「兄さん、今!」
波間から響く低い唸り声。漆黒の海面が盛り上がり、巨大な鯨が姿を現す。義久が、槍を構えて走りこんでいた。その背に宿るのは、海を統べる力そのもの。白鯨が寄り添うように並走する。
「この海を好き勝手に荒らしてもらっては困るな。お前みたいな亡霊が支配していい場所じゃねぇんだよ。」
「ほざけェ!人間風情が海を制するなど思い上がりも甚だしい!」
海将鬼が叫び、全身を震わせて束縛を破ろうとする。だが義久の目は揺るがない。槍の切っ先を鬼へ向け、声を張り上げた。
「神因槍術:潮顎断凱!」
瞬間、白鯨が大顎を開きながら、義久の突きと同時に海将鬼に突撃した。先に義久の突きが海将鬼の胸に穴を穿ち、すぐさま轟音と共に白鯨の顎が海将鬼を飲み込み、全てを粉砕した。
「ぐあぁぁぁぁぁ、なぜ……この海は……我らの……もの……!」
鬼の体は粉々に砕け、断末魔と共に闇に溶けて消えた。港には潮の音と、三人の荒い呼吸だけが残る。
颯月が弓を下ろし、義久が肩に槍を担ぐ。蓮は力が抜け、膝をつきながらもその光景を見つめた。
「すごい……。」
義久は軽く笑い、蓮を見下ろす。颯月が矢を収め、弓を背にかける。
「意外とすぐに、終わったわね。」
義久は槍を担ぎ直し、にやりと笑った。
「ま、序の口だろ。これからが本番だ。蓮、この程度でへばってるたぁ、まだまだだな。けど、いい目をしてる。ここからだ。」
蓮は呆然と立ち尽くし、やがて唇を噛んだ。
(俺は、何もできなかった。だけど、必ず追いつく。二人に、兄に……そして、この因島を守るために。)
夜空に白い月が昇る。その光が、まるでこれからの未来の道筋を指し示すかのように、三人を照らしていた。




