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瀬戸内神戦譚 ー守護者歴代最弱ですが、八海神「要」として瀬戸内を守りますー  作者: 黒木のゆ
第2章 瀬戸内の守護者「八海神『要』」 編

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第5話 瀬戸内 因島の要「村上 蓮」

「蓮?」


 芽衣が怪訝そうに声をかける。蓮は慌てて笑顔を作った。


「いや、なんでもない。」


 平静を必死で装いながら、明るく答えた。それでも、海の奥底から、視線のようなものを感じていた。

 ひとしきり海ではしゃいだあと、五人は砂浜に引き上げた。肌にまとわりつく潮風と、まだ熱を持つ砂の感触。だが、海翔がタオルで頭を拭いながら、得意げに笑った。


「で、次は俺の番だな。」


「番?」


 陽太が首をかしげる。海翔は親指で岸の向こうを指した。そこには小さな漁船が係留されていた。


「親父から船借りてきた。沖にちょっと出てみようぜ。」

「え、ほんとに?大丈夫なの?」

「大丈夫だろ。免許取り立てだけどな。」


 芽衣が目を丸くするが、どこか楽しそうだ。


「漁師の息子ナメんなよ。ちょっと走らせるくらい余裕だって。」

「よっ! 海翔キャプテン!」


 陽太が調子よく親指を立て、即座に芽衣に叩かれた。


「沈められたいの?それとも、沖で沈む?」

「いやいや、縁起でもねぇ!どっちにしても、沈められてるやん!」


 やがて船は軽快なエンジン音を響かせ、青い水面を滑り出す。砂浜が遠ざかり、波間のきらめきが視界いっぱいに広がった。


「うわ、すげぇ!」


 陽太が両腕を広げ、潮風を胸いっぱいに吸い込む。船が進むにつれ、因島大橋が視界に現れた。白い吊り橋が夏空の下、悠然と海峡をまたいでいる。橋の向こうには、大小の島々が重なり合い、緑の丘が柔らかく続いていた。


「これが“しまなみ海道”。地元なのに、こうして見るとすごいね。」


 芽衣の声は、少し感嘆に染まっていた。


「なかなか、橋の下の海から見ることはないからな。」


 澪はデッキに座り込み、膝を抱えて景色を見つめている。彼女の黒髪が潮風に揺れ、その横顔は淡く遠い光に包まれていた。


「空と海の境目がなくなって、島が浮かんでる。海の上から見る景色って、水面に近くて、飛んでるみたい。」


 ぽつりとこぼれたその言葉に、蓮は思わず耳を傾ける。船は波を切り、因島大橋の向こうへ進んでいた。陽太が、


「釣れた!空気が。」


 と声を張り上げ、空っぽの針を得意げに掲げて笑いを取る。芽衣は、


「はいはい、バカ。」


 と再び容赦なく叩き、海翔は舵を取りながら呆れ顔。青春の笑い声が潮風に溶けていく。

 その瞬間だった。

 蓮は、海の色が変わるのを見た。透きとおる青の下に、まるで墨を垂らしたような濁りが広がっていく。水面の下で、巨大な影が、ゆっくりと、確かにうごめいた。


「なっ…!?」


 息を呑む。けれど次に瞬きをしたときには、何もなかった。陽光を反射する夏の海が、ただ穏やかに広がっているだけ。

(俺にだけ、見えた?見間違いか?)

 胸の奥がきしむ。兄を失ったあの日の記憶と同じ影、浜辺でも感じた気配で、蓮の背筋に真夏にもかかわらず、ゾクッと氷のような寒気が走った。


「ねぇ、蓮。」


 少し間を置いて、小さな声が背後から届いた。振り返ると、澪がじっとこちらを見ていた。その瞳は静かで、何かを測るように深い。


「今、何か見えなかった?黒い大きな…。」


 蓮は答えに詰まった。澪の声は囁きのように小さいが、不思議と確信めいていた。他の三人はまだ賑やかに言い合っている。

 陽太が、


「絶対クジラだって!」


 と騒ぎ、芽衣が、


「ボケに頭使いすぎて、幻覚でも見てんじゃないの?あっ、ボケじゃなくて、天然か。」


 と笑う。その喧噪の中で、澪だけが、蓮に近い感覚を共有している。


「黒い?」


 蓮は曖昧に返すしかなかった。澪はそれ以上追及せず、ただ小さく視線を伏せる。風に揺れる黒髪が頬をかすめ、彼女の横顔はどこか遠い。澪は小さいころ蓮の近所に引っ越してきた幼馴染だ。出会ったころから少しミステリアスな雰囲気でおとなしく、時折不思議なことを言う女の子だった。そんなことを思い出しているうち、笑い声が遠ざかっていく気がした。蓮の耳には、代わりに小さなざわめきが残る。波音とは違う、海の底から響くような、低い囁き。

 こっちにおいで。

 おまえもまた、継ぐ者。

 錯覚か、幻聴か。蓮は首を振るが、心臓の鼓動は速くなるばかりだった。


「……っ。」


 無意識に手を見つめる。そこには刀の形が思い浮んでいた。けれど、この仲間たちの前で、それを持ち出すことはできない。平和な夏を、壊したくない。その思いが強く胸を締めつける。


「おーい、蓮!景色見ろよ、最高だぞ!」


 海翔が陽気に叫んだ。振り返れば、因島大橋の白いアーチが間近に迫り、夏空に映え、島々の緑が柔らかく重なり合っている。

 陽太は船首に立って両手を広げ、芽衣は、


「落ちたら、放っていくからね!」


 と笑っている。眩しいほどの青春の光景。だが蓮の心の奥には、消えない影が居座っていた。


 陽は西へ傾き、海は茜色に染まっていた。船が港へ戻るころ、しまなみ海道の橋脚が長い影を海に落としている。昼間は眩しいほど青かった波が、今は静かに金色と橙を映して揺れていた。


「今日は遊んだなー!」


 陽太が甲板に寝転がり、両腕を広げて叫ぶ。


「お前、ほとんど食ってただけじゃん。ちゃんと景色とか覚えてんのかよ。」


 海翔が笑い飛ばすと、またひとしきり笑い声が船上に広がった。

 澪は縁に座り、静かに夕日を見つめている。風に揺れる髪と横顔はどこか遠く、誰も気づかぬまま別の世界を見ているようだった。同じように、蓮は手すりに肘をかけ、目の前の景色をただ見つめていた。沈みゆく陽の中に、昼間の“影”がまだ瞼に焼き付いている。その記憶だけが、仲間たちの笑い声の中で浮かび上がり、孤独を生んでいた。


「蓮…大丈夫?」


 ふいに隣から声がする。振り向くと、芽衣が立っていた。


「今日、ちょっとぼーっとしてたよね。」


 軽く笑って見せるが、その目は真剣だった。


「ちょっと、船酔いしただけだ。」


 蓮は視線を逸らす。


「ふぅん。」


 芽衣はそれ以上追及せず、ただ隣に並んで手すりにもたれた。潮風が二人の間をすり抜けていく。


「でもさ、そういうときは無理すんなよっ!」


 その声は、友達としての気遣いに包まれつつも、ほんの少しだけ柔らかい温度を帯びていた。蓮は返事をしなかった。けれど、芽衣の気配が隣にあることで、胸のざわめきがわずかに和らいだ気がした。

 港に近づくと、島の家々の灯りが一つ、また一つと点り始める。誰もが笑い、今日の思い出を語り合っている。それは確かに、平和で、かけがえのない夏の一日だった。


 4人と別れた後の海からの帰り道。夕暮れに朱色の光が伸び、しまなみ海道を渡ってきた車のライトが遠くにちらちらと見える。坂を登り切ると、視界に現れるのは大山神社の鳥居。石段を上った先に、社家として代々仕えてきた村上家の屋敷がある。

 蓮は肩のカバンを担ぎなおすと、境内を横切って家の玄関を開けた。木の香りが残る古い家は、潮の匂いとどこか懐かしい気配をまとっている。


「ただいま。」


 声をかけると、奥から母・由姫ゆめが顔を出した。


「おかえり、蓮。少し遅かったわね。海どうだった?」


 笑顔は柔らかいが、瞳の奥にはかすかな強さが覗く。村上水軍の血を引く母の気配だ。


「久しぶりに船に乗って沖に出たし、楽しかったよ。」


 蓮はごまかすようにカバンを置いた。友人たちと海で過ごし楽しかった一方で、不意に見えてしまった“影”のことを、今は言えなかった。居間に入ると、畳の上で父・弦也げんやが本を読んでいた。穏やかで線は細いが、元は厳島の血を継ぐ結界師。弦也は顔を上げ、軽く頷いた。


「おかえり、蓮。夏の海は楽しかったか?」


 母と同じ質問を繰り返す。


「ああ、まあ。楽しかったよ。」


 曖昧に笑う蓮に、父は目を細める。嘘を見抜いているようでもあった。その時、奥からゆっくり現れたのは祖父・蒼玄斎。年老いてはいるが、全身に宿る威圧感は隠しようがない。かつて、妖怪を退け続けた因島最強の男。


「ほう。」


「顔色が曇っておるな、蓮。何を隠しておる?」


 低い声に、蓮は背筋を伸ばす。


「別に。なんでもない。」


 祖父は一歩近づき、蓮の肩に手を置いた。その手は重く、しかし不思議と温かい。


「お前は隠せぬ。村上の血を継ぐものじゃ。いつもとは異なる影を見たな?」


 蓮の心臓が跳ねた。父と母が振り向き、部屋の空気が張りつめる。


「弦也さん。」


 母が眉を寄せる。


「まだしばらくは静かに過ごさせてやりたいのに。」


「影…。そういうわけにもいかないということか…。宿命を背負わせてしまった俺たちにも責がある。」

弦也はため息をつきながら首を横に振った。

「いつかは向き合わなければならない。蓮、お前はまだ未熟かもしれない。だが、その未熟さこそが“光”を呼ぶ時もある。」


 母・由姫も口を開く。


「蓮、覚えておいて。私たちの血には、“海を切り開く力”が眠ってる。でも、それは力だけじゃ扱えない。心がなければ、刃は暴れる。」


 祖父が深く頷く。


「兄は武で進んだ。蓮、お前はどの道を進む?その刃は歩む道によって、必ず他の誰とも違うものになる。」


 蓮は黙って俯いた。兄を思い出す。強く、豪快で、誰よりも前を走った兄の背中。自分には到底届かないと思っていた。

 けれど。

 母の手がそっと肩に触れた。


「蓮。あなたは兄の代わりになるんじゃない。あなたは“蓮”として、自分の道を見つけて。」


 その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。


「今日、影が見えた。何かよくわからないけど、家族を、友達を、瀬戸内を守らないといけない。守りたいと今日海に出てよくわかった。でも、兄さんの背中は追わない。俺は、俺のやり方で。」


 小さな声で答えた。蒼玄斎は満足げに膝を手でたたきながら笑った。


「それでよい。しばらくは、要見習いとして、精進せい。その時が来たら、我らの血が応えてくれる。」


 家の外では、潮騒が夜風に溶けていた。村上蓮の“日常”は、まだ続いている。だが、その背後には確実に非日常の気配が近づいていた。


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