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第50話 あと七日

 蓮は返事をしない。いや、しないのではなかった。できなかった。

 俺が?

 まだ、結界すら安定しない。水龍の名前も知らない。兄の背中には、到底届いていない。そんな思いが駆け巡っているのを見透かされているのか、蒼玄斎はそれ以上何も言わなかった。

 ただ。



「逃げ場はないぞ。宿命にはあらがえん。いや、違うな。お主しかおらぬのじゃ。」

「俺に、何を期待しているのかわからない。結界も張れない。俺でいいのか?ほかにいないのか?」


 喉から絞りだしたが、蒼玄斎は無言のまま、じっと蓮を見ていた。


「修行はどうじゃ?」


 蓮は、必死に次に発する言葉を探していた。


「未完です。なっ、蓮。こういうのはさらっと答えた方がいいんだ。」


 義久が代わりに答えた。蓮は眼を伏せる。その姿を見ながら、蒼玄斎は小さく笑った。


「よい。」

「未完であることを知る者は、自分の位置を知っているということじゃ。まだ伸びる。」


 だがその言葉は、蓮の胸に優しくも重く残った。蓮は気づかなかったが、義久と颯月に頼んだぞと訴えるような目で一瞥し、去っていった。



 その夜。因島の海は、月明かりに照らされている。蓮は一人、浜へ出た。潮の音だけが、耳に入ってくる。深く息を吸い、一言声を発した。


「蒼海に響け、滄牙丸。」


 淡い水光が、手のひらに集まり、青白く光る一振りの神器が現れた。

 滄牙丸を見つめながら


「……なあ。」


 蓮は座り込む。砂を握る。


「俺でいいのか。」


 海は答えない。蓮は苦笑する。


「結界すら、まともに張れねぇ。あんな小さな結界では瀬戸内は守り切れない…。」

「兄貴なら」


 言いかけて、やめる。比較しても意味はない。分かっている。それでも。


「要会議だぞ?」

「要が全員揃うんだぞ?」

「俺が、一番ガキだろ。」


 自虐的な独り言が止まらない。海面に波紋が広がる。月が揺れる。

 蓮は立ち上がって、もう一度、刀を構え結界を張ってみる。

 足元に水の輪が広がる。半球の薄い膜。そのまま上まで立ち上げようとした瞬間、またもや途中で崩れた。蓮が歯ぎしりをしながら、


「くそ!なんでだ!」


 自分の太ももを殴る。


(焦るな、俺。分かっている。だが時間がない。八海が揺れている。)


 要会議まで、7日。自分は、まだ半端もの。


「怖ぇよ。」


 初めて、口に出した。要として、立つこと。八つの海を背負うこと。兄の代わりではなく、“自分”として立つこと。波が、静かに返す。まだ未熟でもいい。だが逃げるな。蓮は深く息を吸った。


「あと7日。」


 拳を握る。焦りと不安を抱えたまま。因島の夜は、静かに更けていった。



 2日後の朝。光はまだ柔らかい。因島の浜辺に、ゆっくりと波が寄せていた。蓮は一人、刀を振っている。

 砂を踏みしめる音。呼吸。刃を払う風。それだけが、静かに繰り返される。

 今日を入れて5日。焦りだけが、蓮を支配している。

 その時。


「れーーーん!!」


 場違いなほど明るい声。振り向くと、防波堤の上で大きく手を振る芽衣がいた。


「朝から一人で青春してんじゃん!バトル漫画かね?」


 隣には澪。白いワンピースの裾を押さえながら、静かに立っている。芽衣が勢いよく飛び降りる。

 砂が舞う。


「特訓? 特訓?ねぇそれ必殺技の練習?アニメみたいに必殺技出したりするの?」

「うるせぇ。」


 蓮は肩で息をしながら刀を下ろす。


「お前は朝から元気すぎだろ。」

「健康優良少女だからね!」


 胸を張る芽衣。くるっと回って海を見た。


「うわー今日の海めっちゃキラキラしてる!ねぇ泳ごうよ、泳ごうよ!」

「却下。俺は忙しいんだ。」

「えー!」


 不満そうに頬を膨らませる。その様子を見て、蓮は小さく笑った。その横で、澪が静かに歩いてくると、波打ち際で足を止めて、少しだけ海を見つめた。澪は少し迷うように言葉を探した。指先で砂をなぞる。


「ねぇ、蓮。少し聞いてくれる?」

「どうした?」

「この前から、変な夢を見るの。」


 蓮の足が止まりかける。波の音が急に強くなった気がした。不安というより、確かめるような声。蓮は視線を外す。


「どんな?」

「小さい頃、夜の海で変な光見たって言ったこと、覚えてる?最近、同じ光景が、夢に出てくる。ぼぅっとだけど、島と島のちょうど真ん中ぐらいが光ってるの。」

「ああ。覚えてる。」


 小学生の頃。幼馴染だった澪と夜の海を見に行って、親にこっぴどく怒られたことも。澪が、海の上に灯りが浮かんでると言ったことも。全部。忘れてはいない。


「怖い夢か?」

「ううん。」


 澪は小さく首を振る。風に髪が揺れる。


「怖くはないの。ただ、呼ばれてる感じがする。」


 澪を見ていた蓮の視線が驚きに変わる。アマビエの言葉、「あの子、要チェック」と言われたことが思い出され、胸の奥がざわつく。


「そこに何かあるのかもしれない。」


 波が静かに寄せる。足元の水が、ほんの少しだけ冷たく感じた。


「夢の中でね。海の音がすごく近いの。ここより、もっと深いところの音。」


 蓮は息を吐いた。笑おうとするが、うまくいかない。澪にまで、草薙剣の件が影響を及ぼしているのか。要として、守らなければならないのに、まだ結界すら張れない自分が情けない。いや、要以前の問題か。


「考えすぎだろ」


 わざと軽く言う。


「こんな平和な世の中で、何もおこらないだろ。」

「そうかな。」


 澪はにこりとしながら素直に頷く。その様子が逆に、蓮の胸を締めつけた。昔からだ。澪は、変なことを言う。でも。全部が全部、外れていたわけじゃない。今回も、みんなは知らないけど、とんでもないことが起こるかもしれない。


「蓮は、何も感じないの?」


 ふいに聞かれる。まっすぐな視線。逃げ場がない中、蓮は少しだけ笑った。


「感じねぇよ。俺はそういう体質じゃないからな。」


 嘘だった。草薙剣が見つかり、何者かに奪われた。いにしえより瀬戸内の海を守ってきた、八海神の末裔、要たちが一堂に会する要会議が迫っている。だが、言わない。いや、言えない。言えば、みなを巻き込むかもしれない。友達に言っても理解されない。知らない方が幸せなんだ。澪はそれ以上聞かなかった。ただ海を見つめる。


「ねぇ。」

「ん?」

「もし本当に呼ばれてたら、どうすればいいと思う?」


 蓮は答えに詰まる。風が、少し強く吹いた。遠くで波がぶつかる音がした。


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