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第45話 守りたい日常

「蓮、少し気分転換してこい。力ばかりはいって、そんな調子では、結界は一生張れん。友達の顔でも見て、考えを整理するのも大事だ。」


 真夏の空は、柔らかな橙色に染まり始めていた。


 商店街の角にある小さな喫茶店、古びた木の看板には「潮風」と書かれている。観光客よりも地元の人間が集まる場所で、蓮たちにとっては昔からの溜まり場だった。


「はぁ~、生き返る。」


 陽太がソファに沈み込み、アイスコーヒーを一気に飲み干す。


「大げさすぎ。まぁ、今年は異様に暑いしね。」


 芽衣がストローをくるくる回しながら笑った。


「いや、マジで今日の補習きつかったって!」

「寝てただけでしょ。」

「目閉じて考えてたんだよ!」

「そもそも、補習に引っかかってるのが悪いんでしょ?耐えたって試験終わった時言ってたけど、全然耐えてなかったよね?」


 即座にツッコミが飛び、店内に笑い声が広がる。窓の外では、夕方の港へ向かう車がゆっくりと流れていた。潮の匂いがわずかに入り込み、島特有の時間が静かに進んでいる。蓮はその光景をぼんやり眺めていた。

 要、結界、神威…。

 自分にのしかかる重圧と、先が見えない状況に、気が重くなるばかりだった。


「蓮、聞いてるか?」


 海翔の声に我に返る。


「え?あぁ。」

「だから、残りの夏休みどうする?って話。」

「あー、行く行く。」


 適当に答えると、陽太がにやりと笑った。


「どこに行くんだよ?お前絶対聞いてなかっただろ。顔が修行モードだったぞ。お前の爺さん、剣道の達人だって聞いたけど、しごかれてんじゃないの?お前も、この道場の跡を継げ―!!って。」

「なにそれ。」


 笑いが起きる。くだらない会話。何気ない時間。だけど…。

(これが……)

 胸の奥で言葉が浮かぶ。

(守らなきゃいけないもの、か)

 義久の言葉が重なる。

 《要は守る覚悟を持つ者》

 颯月の言葉も思い出す。

 《力は出すものではない。感じるもの》


 目の前では芽衣が笑い、陽太が騒ぎ、海翔が呆れ顔でまとめ役をしている。そして。窓際の席で、澪が静かに外を見ていた。


「きれい。」


 澪がぽつりと呟く。全員の視線がそちらへ向く。夕陽が港の海面を金色に染めていた。

 だが。

 次の瞬間、


 ドゥン


 衝撃波のようなものが海全体に広がった。澪の表情がわずかに変わる。


「……あれ?」

「…なんだ?」


 二人が顔を見合わせる。澪は、海を見つめている。


「今、海、揺れなかった?」

「波じゃね?」


 陽太が軽く言う。


「違うの。」


 静かな声だった。


「揺れたっていうか、呼吸してるみたいな。」


 その言葉に、蓮の背筋がわずかに冷える。同じ感覚。最近、何度も感じている気配。澪は無意識に胸元を押さえた。夕陽の光が彼女の瞳に反射する。その瞬間。ほんの一瞬だけ。澪の足元の影が、水面のように揺らいだ。誰も気づかない。蓮以外は。


(……今の)


 空気がわずかに震えた。潮の匂いが強くなる。耳鳴りのような微かな音。だが次の瞬間には、すべて元通りだった。


「大丈夫か?」


 海翔が心配そうに聞く。


「うん、平気。」


 澪は照れたように笑う。


「ちょっと変な感じしただけ。」

「疲れてんじゃね?」

「それだな。」


 軽く流され、話題はすぐ別の方向へ移っていく。けれど蓮だけは、黙っていた。


 帰り道、五人は並んで坂を下っていた。

 夕暮れの因島は、どこか優しい色をしている。陽太と芽衣が前で言い合い、海翔が笑いながら止めに入る。その少し後ろを、蓮と澪が歩いていた。


「ねぇ、蓮。」

「ん?」

「なんかね。」


 澪は少し迷うように言葉を探した。


「最近、海の音が前より近く聞こえるの。」


 蓮の足が止まりかける。


「私、どうしちゃったんだろ。」

「いや。」


 少し考えてから答える。


「最近、熱すぎるから、少し熱っぽいだけかもな。澪は前から、おとなしめで、体が弱かったろ。」


 嘘だった。けれど澪は安心したように笑った。


「そっか。」


 その笑顔を見て、蓮は胸の奥が締めつけられる。守りたい。理由なんていらない。ただ、失いたくない。

 この時間も。

 この笑い声も。

 この日常も。

 遠く、港の方で波が強く打ち寄せた。まるで何かが近づいているかのように。蓮は夕焼けの海を見つめる。


(俺が、守る。守らなければならない。)


 まだ結界すら張れない。

 それでも。その決意だけは、確かに胸に生まれていた。

 そして気づかぬまま、澪の中でも、小さな“何か”が目を覚まし始めていた。



 4人と別れてから、神社まで一人で歩いていると、


「あの子、要チェックね。」


 突然、ひょこっとなぎが後ろから顔を出した。


「要チェックって、そんな言葉どこで覚えたんだ?お前、どうでもいい言葉、どんどん覚えるな。」


 今は、小さな女の子の姿をしている。


「お前、海にいなくていいのか?一応海の妖だろ?」

「海は、淀みが前よりも大きくなって、特にあたしみたいな、小さな妖怪は、痛くてずっといられないの。疫病の浄化だったら、パワーアップしたあたしに任せなさい!って感じなんだけど、あの淀みは浄化できる類のものじゃないんだよねー。」

「海に帰ってないって、お前、あれからずっと姿を消して、そばにいたのか?」

「だって、蓮の手伝いできないかなって思ってて…、姿見せるかどうか迷ってたんだけど。」

「えっ、お前、ずっと見てたのか?はずっ!」


 蓮は、顔を真っ赤にするとともに、がっくりと肩を落とした。


「あたしが見てる限りでは、結界のけの字も張れてなくて蓮は悩んでるみたいだけど、いい線行ってると思うよ。ただ、みんなが言う通り、自分の力だけじゃなくて、海の力とか、神獣の力とか、そういうのを感じて、力を借りればいいんじゃない?」

「結構、ズバズバ言うな…。ところで、海の力を借りるってどういうことだ?」


 しばらく、考えてから、静かに口を開いた。


「確かに、綾の時は、月の力を借りてた。」


「蓮のご先祖様は、村上水軍の末裔で、瀬戸内の覇者なんでしょ?やっぱ、力を借りるとしたら海でしょ。蓮のじじいも海の力を借りてるよ。ものすごくパワーアップさせてるけどね。」

「じじいって言うな。」

「あの髭じじいに教えてもらえばいいじゃん。」

「お前、どんどん口が悪くなるな…。じいちゃんは、簡単には教えてくれないんだよ。」

「あの子の話に戻ると、気にして見守っといた方がいいよ。取り込まれないように。まぁ、蓮は、いつも見てるか。」

「なっ!そんなんじゃない。大体、あの子って、お前の方が小さいじゃないか。」

「見た目で判断するなんて、レディーに失礼ね。あたしは、五百二十…、小さい女の子でいいわ。」

「何の話か、よく分からなくなってきた。もうすぐ家につくけど、お前はどこまでついてくるんだ?」

「明日も、修行するんでしょ?ダメ蓮を見に行くわ。」


 クスクスと笑いながら、アマビエは姿を消した。


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