第40話 八百年ぶりの停戦
知盛の動きが止まると小さくつぶやいた。
「ほう。」
九遠が刀を構え直す。今度は低い構え。影と重なる姿勢。
「一対一や思てたやろ?」
口元に笑み。
「悪いなぁ。本領は後に置いとくもんやろ?だから取って置きってゆうねん。」
幽がシャンと鳴く。
鈴のような音。周囲の水の流れが一瞬、遅れた。
宗盛の術式が揺らぐ。
「そんな小さな狐に何ができる。」
宗盛が言い放つが、お構いなしに九遠が踏み込んだ。
今度は速い。
影が一拍遅れて追随する。
幽が同時に動いた。
「止められるものなら、止めてみーな。なぁ、幽。」
≪冥源流、幽夜連斬≫
九遠が刀を横に薙ぎ払うと同時に、幽が9つある尾のうち一番短い尾を横に振った。
刀と尾から発せられた斬撃が二重に走る。
肉体を断つ鋼の軌跡と、魂そのものへ届く影の刃。
知盛が初めて碇を大きく構え直した。
海が震える。源と平。
武と術そして生者と冥。
現世と冥界、二つの位相が重なりながら一直線に走る。海面が割れ、空気が研ぎ澄まされる。
その刹那、宗盛が両手を広げ、即座にパンッと手を打った。
「水よ、境を閉ざせ。」
水が層となり回転し、防壁が作られる。巨大な円陣となって盾のように前方へ展開された。
「平流、海陣水鏡」
水の円盾が、迫る一撃を受け止める。
斬撃は止まったが、影の刃はそれをすり抜けた。
霊を断つ斬撃は、物理的な障壁では止められない。
その瞬間。
知盛が前へ出た。碇を握り直す。鎖が鳴る。
「ならば――武で止める。」
碇を横に構え、踏み込む。碇が円を描くと同時に、ぼうっと光を帯びた。
キンッ
乾いた音と同時に、影の黒い斬撃が空にはじかれ、関門大橋の支柱に衝突した。赤間の結界内で、関門大橋には大きなダメージはないが、橋が大きく揺れた。壇之浦の戦いを現代に残す銅像と同じ。過去の栄光を彷彿とする知盛の覇気。九遠の目が見開かれる。
「止めた?」
知盛は止めると同時に、海の上に飛びあがると、碇を海面へ叩きつけた。次の瞬間。海が応えた。水面が巨大な円を描いて沈む。渦。否、戦場そのものを拘束する陣。
「平流奥義」
低く告げる。
「碇皇・万船破海!」
碇が振り上げられる。その背後に、巨大な幻影が重なる。無数の船影が今にも一段となって突撃しそうな、戦場の記憶そのものが武へ変わる。知盛は、力任せに巨大な碇を振り下ろした。海の質量が圧として落ちる。
ドンッ、バキバキバキ
九遠の周りのコンクリートが圧で割れる。九遠は何とか歯を食いしばり、常夜で受けている。
「なかなかやんけっ!さすがに本気出さんとマズいか。よっしゃ、幽、行こか!!」
黒狐が跳んだ。幽の身体が霧へと変わる。影が広がる。月明かりすら吸い込む冥の領域。
「シャン」
と鳴き声が聞こえた。
「冥源流奥義、幽界冥黒」
広がった影が九遠を包む。九遠の周囲だけ、位相が半歩ずれる。落ちてくる碇の圧が“届かない”。
正確には、攻撃が現世を通り抜け、半霊域へ滑る。衝撃が後方の海を爆発させる。巨大な水柱が吹き上がる。影が引き、九遠が再び姿を現すと、幽が肩へちょこんと座っている。
知盛が、目を細めた。
「境界を渡ったか。」
宗盛が静かに言う。
「冥界の守護獣か。なるほど。これは手ごわいな。」
九遠は刀を構え直した。呼吸が整っている。先ほどより、深く。
「これで対等やと思てるやろ。おもろなってくるのは、これからやで。今更謝っても遅いなぁ。ほな、もういっちょ度肝ぬかさしたろか。」
「碇皇・万船破海!!」
知盛の碇が再び振り上げられる。宗盛の水陣も展開し、海面がかつての戦場そのものへ変わったかのような乱戦模様。九遠も踏み込む。
「しょーもな。その技しか知らんのかいな。平家の大将もたいしたことないなぁ。」
幽が影を引き延ばし、冥の気配が濃くなる。
三者の霊圧が衝突し、赤間の海が悲鳴を上げた。
波が逆巻く。潮が狂う。
義経と知盛の銅像が大きく揺れ、地面に亀裂が走る。
戦いは、止まらる気配すらない。
その時だった。
「そこまでじゃ。」
つぶやくような声。風に紛れるほど小さい。
だが…
三人は止まらない。
知盛の碇が落ちる。
宗盛の水刃が九遠に向けて収束する。
九遠の刀が振り抜かれる。
海が割れる寸前、蒼玄斎は目を閉じた。わずかに息を吐く。
「……若いのう。」
次の瞬間。瞼が開く。
海の色をした瞳。
そして、腹の底から響く声が世界を震わせた。
「そこまでと言うておろうがっ!!」
声と同時に赤間の沖合が隆起した。広範囲の海面が持ち上がる。
いや。
立ち上がった。
巨大な影。
長大な体躯が水中でうねる。蒼い鱗。海流を纏う巨躯。
神獣、蒼綯が水中で鎌首をもたげた。
知盛の目が見開かれる。
「海そのものか。」
宗盛が息を呑む。
「なんじゃ、この威圧は!」
蒼玄斎が蒼裁を抜き下段に構える。刃は静かに蒼く光っている。
蒼綯が咆哮した。
世界が揺れる。
蒼玄斎が低く告げる。
「荒ぶる潮よ。戦を洗い流せ。」
刀を水平に払う。
「神威」
蒼綯が立ち上がった巨大な海の山中を旋回すると、海流が巨大な円を描く。
「海神顕潮蒼天廻瀾」
瞬間。巨大な海水の壁が立ち上がった。まるで、津波のように。
壁。否。壁なんて薄いものではない。
海そのものと言っても過言ではない。
海が深海から切り取られて、空中に出てきたようだった。
十メートルをゆうに超えるの水壁が三人へ覆いかぶさる。三人を飲み込んだ瞬間、すべての霊力が強制的に散らされた。
知盛の碇が弾かれる。
宗盛の術式が霧散する。
九遠の斬撃が消える。
幽が驚き、影へ逃げるように戻る。
遠くで、水面の低下により、関門海峡を通る巨大なコンテナ船が大きく揺れた。
ドォォーン。
津波の轟音の後、しばらくの静寂。波だけが何事もなかったかのように揺れていた。蒼玄斎がゆっくり言う。
「ここは戦場ではない。弔いの海じゃ。」
知盛は荒い息を吐きながら碇を下ろした。宗盛も術を解く。
九遠は蒼玄斎をにらみながら刀を収めると、蒼綯が静かに元の小さな海蛇の姿に戻り、蒼玄斎の横でとぐろを巻いた。蒼玄斎が三人を見渡しながら、
「さて。」
低く笑う。
「今度こそ、話をしようかの。」
赤間の海に、八百年ぶりの“停戦”が訪れた。




