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瀬戸内神戦譚 ー守護者歴代最弱ですが、八海神「要」として瀬戸内を守りますー  作者: 黒木のゆ
第4章 山口 壇之浦・赤間 「失われた神器」 編
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第36話 関門海峡の異変

次の日、朝は早かった。潮の匂いが薄く残る時間帯に、蒼玄斎は家を出た。見送りは、蓮だけだった。言葉は少ない。


「戻る。」


それだけ。蓮は頷いた。止めない。止めるべきではないと分かっている。老人の背中は、まっすぐだった。蓮が、去り際の蒼玄斎の背中に、小さく声をかけた。


「俺は、要を継いだ。でもまだまだだ。綾に遠く引き離されてしまった。因島の要にふさわしい者になる。この瀬戸内、家族、友達を守ってみせる。」


――――――――――――――――――――――


新尾道駅のホーム。通勤客と旅行客に紛れ、蒼玄斎は袴姿が故か、ただならぬ雰囲気で新幹線を待っていた。蒼玄斎の放つ周囲の空気、今でいうオーラのせいか、乗客らは、わずかに距離を取っている。人は本能で、「刃を抜く者」を避ける。

白い車体の新幹線が音もなく駅に滑り込んできた。

蒼玄斎は静かに乗り込む。

車内は明るく、駅を出ると夏の日差しが降り注ぐ。禍海坊との死闘があった広島を抜けたころ、彼の視線は、窓の外の海を追っていた。瀬戸内。潮の流れ。船。島影。そのすべてを、読むように見ている。


「乱れておるな。」


かつての瀬戸内を統べた村見水軍の血が、要だったころの感覚を呼び起こす。波の状態を敏感に感じ取り、小さく呟いた。誰にも聞こえない声で。ふと、近くの席の若い会社員が身震いした。


「なんか、寒くないですか?」


上司と思われるやや年配の同僚が笑う。


「空調じゃない?吹き出しの向きを変えてみたら?」


違う。蒼玄斎は目を閉じた。車両の後方に、青い火の玉が浮いていた。青い火の玉は周りの熱を奪う。だが、蒼玄斎は動かない。ただ、指先で座席の縁を、軽く叩いた。

トン。

それだけ。火の玉は、霧のように散えた。誰も気づかない。それでいい。トンネルを抜けると、海が消え、山が増える。

西へ。

いくつかトンネルを抜けたあと、車内アナウンスが流れた。


「まもなく、新下関、新下関。」


蒼玄斎は目を開けた。気配が、変わる。空気が重い。湿り気ではない。記憶の重さだ。


「近いな。」


壇之浦だんのうら赤間あかま西源寺九遠さいげんじくおん。そして、沈んだ神器の裂け目。列車は減速し、ブレーキ音が長く伸びる。蒼玄斎は立ち上がった。その動きは、因島の武魁ぶかいそのものだった。

新下関駅。

乗り換えの人の流れ。蒼玄斎の視線は、まっすぐ西を向いている。


「さて。」


新下関駅の改札から在来線へ出た瞬間、蒼玄斎は足を止めた。雑踏の中で、ただ一人だけが理解している。西から吹く風が、わずかに重い。


「この重さ、いつもの潮風ではないな。やはり実際に来て正解か。」


と呟いた。湿り気ではなく、沈んだものの気配。

新幹線から下関方面へ向かう列車に乗り換える。

平日昼間だからか、車内の乗客はまばらだった。窓の外、関門海峡が近づく。海の色が、どこか濁って見える。

そのときだった。車両のガラスに、外の景色とは違う影が映った。水の中で揺れるような、人影。鎧の輪郭。兜の線。だが顔がない。蒼玄斎は振り向かない。確認する必要がない。


「浮き始めたか。」


低く言う。影は、座席の間を歩くように進んでくる。音はない。乗客は誰も気づかない。

ただ一人、幼い子どもだけが、不思議そうにその方向を見ていた。

蒼玄斎は指先をわずかに動かす。空中に、見えない線を引く。影がその線に触れた瞬間、水に戻るように音もなく崩れ、散った。成仏したかのように。子どもが瞬きをする。もう何も見えない。それでいい。


「壇之浦の底が、近い。」


新下関駅から、数駅行くと下関駅。遠くに海峡ゆめタワーが立っているのが見える。


下関


そこは、かつて壇之浦の戦い、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島、下関条約(日清講和条約)の調印、下関戦争、戦時中にもかかわらず完成させた世界初の海底トンネルである関門トンネルなど、数々の歴史の転換点となる舞台であった。しかし、観光している場合ではない。降りた瞬間、空気の密度が違った。観光地の明るさの裏に、長い歴史の沈殿がある。


潮の匂い。鉄の匂い。古い血の気配。


蒼玄斎は歩きだした。迷いはない。道を“知っている”者の歩き方だった。赤間あかまやしろへ続く道は、観光客もちらほらいる。

だが、鳥居をくぐった瞬間、音が落ちた。世界が一段、静かになる。


「張っておるな。」


結界だ。強い。冥の気配を帯びた、鎮めの結界。蒼玄斎が一歩踏み込んだ瞬間、空気がぴんと鳴った。わかりやすい警戒反応。すぐに、声が飛ぶ。


「止まりや。死ぬで。」


低く、鋭い声。拝殿の影から、ひとりの男が現れた。

白いシャツに黒いスーツ。一見、赤間神社に相ふさわしくないよそおい。静かな切れ長の目に黒い長髪。すでに顕現している長刀。

西源寺九遠さいげんじくおん


「あんた、村上蒼玄斎むらかみそうげんさいやろ?」


短い問い。蒼玄斎は答える。


「いかにも。因島の蒼玄斎。」


一瞬の沈黙。次に、九遠の視線がわずかに変わる。敵意から、確認へ。


「結局来たんかいな。」

「確かめに来た。」


それだけ。蒼玄斎も警戒を解かないからか、余計な言葉はない。九遠は一歩近づく。


「潮は見た。途中で浮いておった。鎧の残滓がな。」


九遠は頷く。


「壇之浦の底が、息しとんねん。ようわからんけどな。海の底から何か感じんねん。」


蒼玄斎は周囲を見渡す。

結界の層。張り方。力の流れ。


「よく練られておる。」


九遠は淡々と答える。


「だからゆうてるやん。西源寺をあなどんなって。俺、これでもちっさい頃、色々あって京都で修行しとってんで。なんか、京都ってええ感じやん?詳細は内緒やけどな。」

「抑え続けるのは、本来のやり方ではない。」


蒼玄斎が言う。


「因島は流すんやろ?ここは鎮めんねん。役割がちゃう。」


九遠はわずかに口元を緩めた。


「だからあんた呼んでん。海の底のことはようわからんし。俺のかすみは、海の底にはいかれへんからな。なぁ、幽。」


九尾の濃い紫色の冥弧である幽は、そ知らぬふりをしてうずくまった。

初めて、“呼んだ”と言った。そこに蒼玄斎は気づいたが、あえて触れなかった。


「俺だけでは、読み切れん。」


海の方を見る。潮が、ゆっくりとうねっている。


「底の裂け目が、広がり始めておる。お主も見たと思うが、因島に来たアマビエとか言う妖が、『仲間の間では、草薙剣が見つかったと噂が広まっている』と言っておった。わしはそれを確かめに来た。」


蒼玄斎は答える。赤間の社の結界は、安定していた。空気の張りはあるが、崩れの兆しはない。九遠は、拝殿の柱にもたれたまま言った。


「今すぐ崩れる気配やない。締め直したばっかりや。俺の結界なめんとってや。」


蒼玄斎は短く頷く。


「ならば、その間に読む。」

「そないに焦りなや。まだ大丈夫や。まぁ、せっかくや。お互い、お初にお目にかかったんやし、確かめる前に、」


九遠が軽くあごで外を示す。


「飯でもいこや。」


意外な言葉だった。


「腹減ったままで海見ると、余計なもんまで見えてまう。」


蒼玄斎は鼻で笑った。


「ふむ、理にかなう。大した腹の座りようじゃ。」


赤間から少し離れた港町の一角。観光向けではない、地元の店だった。木の看板。潮で少し色あせている。暖簾をくぐると、魚の匂いと炭の香り。店主が顔を上げる。


「いらっしゃい!」


九遠が軽く手を上げる。


「刺し盛りと、ひれ酒、二つ。」


慣れた口調だった。


「常連か。因島の魚に勝るとは思えんがな。」


蒼玄斎が言う。


「見回りの帰りは、だいたいここや。」


九遠は椅子に腰を下ろす。


「海の匂いは、嘘つかへんて。四の五のゆうてんと、たべてみーや。」


皿が運ばれてくる。透き通る身。夏の白身。地の魚。氷の上で光っている。蒼玄斎は一切れつまむと口に入れ、目を細めた。


「……、…………うまい。」

「せやろ。素直に認めたらええねん。」


九遠が笑う。


「この辺の魚は、潮の流れが複雑やから、身が締まんねん。もちろん因島の魚もええんやろうけど、関門海峡もええやろ?そうや、今度、因島の魚も食べさせてーや。」


こんななれなれしい感じでも憎めないのが、九遠の魅力か…と蒼玄斎は苦笑いする。

蓋がされたひれ酒が置かれる。店主の妻と思われる女性が蓋を取るや否や、マッチで火をつけた。ポッと一瞬炎が上がり、その後、炙ったひれの香りが立つ。蒼玄斎は杯を口に運ぶ。わずかに目を閉じた。


「これは、因島にはあらへんやろ。フクはやっぱり下関や。このひれ酒もな。ただし、このひれ酒は俺特別仕様や。山口県産の大吟醸。それにフクのひれを合わせんのが最高やねん。」

「ふむ。悪くはない。」


九遠が吹き出す。


「しけた感想やな。何回言わせんねん。うまいもんは、うまい!ゆうたらええやん。この風味が何とも言えんやろ。」


しばらく、二人は黙って食べた。言葉はいらない。要と元要の間には、沈黙が成立する。やがて九遠が言う。


「壇之浦の底な。」


箸を置く。


「裂け目、広がっとる。多分な。その裂け目から、なんか出てきそうやねん。」

「剣の抜けた跡、、、か。」


蒼玄斎は答える。九遠は頷く。


「たぶんな。わからんけど。ほんでな。」


声を落とす。


「抜いたんは、人やない。」


蒼玄斎の視線が鋭くなる。


「妖か。」


ひれ酒を一口。


「もし神器だったら、妖では扱いきれんけどな。俺の結界もあるし、ただではすまんはずや。」


蒼玄斎は低く言う。


「取りにだけ行かされたか。」

「たぶんな。」


九遠は淡々としている。


「使う側が、どこかにおる。」


蒼玄斎は杯を置いた。


「“あの方”と妖は言っているそうじゃ。」


九遠は、わずかに笑った。


「名前出したら、寄って来よるで。」


店の外で、潮騒が鳴っている。夏の海。静かだが、底は動いている。九遠が言う。


「おなかいっぱいや。そろそろ、底見に行こか。まぁ、底に行くのはじいさんだけやけどな。俺はごめんやで。」


蒼玄斎は立ち上がった。


「うむ。」


港の風が、低く唸っていた。


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