第34話 境界に眠る剣
海の音が、一拍――止まったように感じられた。義久の手が、無意識に強張る。
「三種の神器、か。」
颯月が、眉をひそめる。
「安徳天皇と一緒に沈んだ、って言われてる……あの?」
アマビエは、小さく頷いた。
「うん……。正確には、神器そのものを見つけたのか、それが本物なのかよくわからない。でも……見たって言う仲間がいる。その噂が広まったあとから…。」
蓮は、すぐに否定しなかった。ただ、低く問い返す。
「そのあと?」
アマビエは、視線を落とす。
「……そのあとから、潮が、おかしくなった。瀬戸内って穏やかだけど、出口と入口がはっきりしてて、流れがちゃんとあるんだよね。」
「流れが逆になったり、深いところで、海底から変な“熱”が出たり……、海が、昔を“思い出してる”みたいに。」
颯月が、ぞくりと肩をすくめる。
「気味が悪い…。」
義久は、低く唸った。
「神器は、“力そのもの”だ。人が触れても危うい。特に、神から賜ったと言われている三種の神器とくれば力は計り知れない。妖怪が扱ききれるとは思わんが、もし扱いきれる者がいれば……。」
言葉を、最後まで言わなかった。言わなくても、分かる。アマビエは、慌てて付け加える。
「べ、別にね!それを見つけた妖怪が、悪いやつだって決まったわけじゃないし!」
アマビエは慌てたように両手を振った。けれど、その声はすぐに弱くなる。
さっきまでの強がりが、波にさらわれるみたいに小さくなっていった。
「でも…」
船縁に腰かけたまま、アマビエは足先で水面を軽く叩く。ぱしゃ、と小さな音がして、波紋が広がった。
「神器って、“選ぶ”でしょ。」
その一言が、蓮の胸に、ひどく嫌な重みを落とした。
草薙剣。
日本神話に語られる、三種の神器のひとつ。
かつて須佐之男命が八岐大蛇を討った時、その尾から現れたとされる神代の剣。
天叢雲剣とも呼ばれ、国を治める者の証であり、時代そのものの行方に関わる、あまりにも大きな神器。
「見つかったのは壇之浦か…。」
蓮が、ぽつりと呟いた。自分で口にしてから、その言葉の重さに気づく。
壇之浦。
平家が滅び、幼き安徳天皇が海へ沈んだその時、草薙剣もまた海中へ失われたと伝えられている。
ただ妖怪が特殊な剣を拾っただけなら、まだいい。
だが、それが本当に草薙剣であるなら話は違う。
神器は、ただの武器ではない。
持つ者を選び、呼び、時には、眠っていた力さえ目覚めさせる。
滄牙丸が自分の血に応えたように。
蒼嶺が綾を認めたように。
神器とは、持ち主の心と、土地と、役目に結びつくものだ。
蓮は、無意識に滄牙丸へ視線を落とした。もし、草薙剣が誰かを選んだのだとしたら。もしくは、強制的に従わせるほどの力を持った者だとしたら。
そこまで歴史について詳しくない者でも、事の重大さに気づく。
かつて国が沈み、時代が切り替わった海。
勝った者と敗れた者。
生き残った者と沈んだ者。
祈りと怨み。
歴史と伝承。
そして、神代の神器。
そのすべてが、潮の底で折り重なった場所。
義久が、はっとしたように蓮を見る。
「国が沈んで、時代が変わった場所。ただの海じゃない。壇之浦は瀬戸内の西方の端にあたる場所。」
颯月の表情から、いつもの軽さが消えていた。
「草薙剣が眠っていた場所が、もし本当に壇之浦だとしたら……そこは、海の底にある瀬戸内と外の“境界”そのもの。神器が動けば、境界も動く。」
「境界が壊れたら、流れも変わる。」
蓮は低く言った。アマビエは、小さく身を縮めた。水面に落ちた髪の先が、震えるように揺れている。
「ね?」
いつものツンとした調子は、もうなかった。
「だから、この海の病、因島だけの話じゃないと思うの。」
船の周囲の海が、静かに揺れる。穏やかなはずの瀬戸内。島々を繋ぎ、人と祈りを渡してきた海。その底で、何かが狂い始めている。
アマビエは、蓮を見上げた。
「このままだと、流れがぜんぶ変わっちゃう。通っちゃいけないものが通って、止まっちゃいけないものが止まる。海が、海じゃなくなっちゃう。」
蓮は、滄牙丸を握る手に力を込める。
因島の要。流れを読む者。通すか、通さぬかを決める者。海を閉じるのではなく、渡す者。その役目が、今までよりもずっと重く、現実のものとして胸にのしかかってきた。
「壇之浦……草薙剣……“あの方”」
点だったものが、一本の暗い流れとなって繋がり始めていた。蓮は、静かに海を見つめる。
「これは、因島だけじゃ終わらないな。」
潮風が吹きぬけた。
しまなみ海道の橋影が、海面に揺れる。その下で、見えない何かが、ゆっくりと深い場所から動き出していた。
沈黙が、船を包む。波の音だけが、やけに大きい。蓮は、ゆっくりと顔を上げた。
義久が、短く頷く。
「妖の言う話を全て信じるわけではないが、噂で終わらせるには、重すぎる話だ。」
蓮が同意とばかりに返事をする。
「放っておけば、瀬戸内全体に広がる。」
颯月は、静かに弓を置いた。
「ってことは、因島だけ守って、終わりじゃないわね。」
アマビエは、3人の守護を目の前にして、不安そうにきょろきょろしている。
「噂かもしれないから、そこまで深刻に受け止められたら、間違ってた時とても困るんだけど…。」
「何を今更。でも、今起こっている事を総合的に考えたら、なんとなく辻褄が合うぞ。間違ってたって責めないから安心しろよ。それよりも、話をしてくれてありがとな。」
「うん…。」
ちらりと、蓮を見る。
「泳いでたら、すごく大きな、でも優しそうな力が見えたから。あんたたちなら、話してもいいと思った。えーっと、話すべきだと思ったし、頼れるかなって。あたしは、今の瀬戸内が好きなの。穏やかで、皆が笑っている…。」
その言葉に、蓮は何も返さなかった。ただ、海を見つめる。
壇之浦。
草薙剣。
沈んだ帝。
「見回りもおおむね終えたし、一旦戻るとするか。見回りよりももっと大きな話にぶち当たったからな。俺が想像するにえらいことになりそうだぞ。まずは、蒼玄斎様に報告だな。」
「アマビエ、お前も来い。ちゃんと知ってる事を全部話してくれよ。」
そう言いながら、船のエンジンを始動する。
「えっ!あっ、あたしは行かないわよ。あたしは…、蓮って言うんだっけ…、あんた達だから話しただけで、因島には行かないわよ。因島には、あの…なんだっけ、めちゃくちゃ強いじじいがいるでしょ?仲間からも絶対近づいちゃダメって言われてるんだから。」
「じじいって…、ダメだ。こい。じいちゃんと直接話した方が、俺たちの考えも及ばない事もわかるかもしれない。」
蓮は、そういって逃げようとするアマビエのエリ口をつかんだ。アマビエの足が浮いて、じたばたしているが全く逃げられそうにない。
「もう、あきらめろよ。俺一人じゃ、この状況はどうにもできない。お前も、お前の仲間も、何とかして欲しいんだろ?このまま、海が痛いままでいいのか?」
「うぅぅ、それはダメだけど…。じゃぁ、じゃぁ、レン、じじいからちゃんと守ってよね。あたし、殺されちゃう。か弱い乙女なんだから。」
「大丈夫だって………たぶん。」
「たぶんって何よ!!たぶんじゃ困るの!!」
そんなやり取りとは裏腹に、義久はさっさと、因島へと舳先を向けて船を走らせていた。
―――――――――――――――――――
因島の港に戻ると、夕方の光が、水面を金色に染めていた。
船を降りた瞬間、アマビエが足を止める。
「……ねえ。ほんとに、行くの?」
視線の先には、山の中腹、大山神社。
「……あの人、容赦ないくらい強いでしょ。私は直接知らないけど、妖もだいぶやられたって。」
「悪いことする妖には容赦ないかもな。」
「悪いかどうか判断するのは誰よ?」
「じいちゃん。」
「妖全部、悪者なんじゃ…。」
「……大丈夫だって。俺のじいちゃんだし、話ができる人のはずだ。たぶん。」
「なんの信用もないじゃない!!」
「もう、ここまで来たら、覚悟決めなきゃ仕方ないだろ。それとも今から帰るか?もう、じいちゃんには気配もばれてると思うけど。」
「なっ!もうダメじゃん!変身してても意味ないじゃん!」
「はぁ~。」
……………
「はぁ〜。」
「いつまでため息ついてんだよ。あきらめろ。」
屋敷まで、トボトボ歩くアマビエを励まし?ながら、大山神社に到着した。
いつも通り、屋敷の居間の縁側に、蒼玄斎はどっしりと座っていた。
蓮にでもわかるぐらい殺気を放ちながら…。
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