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第32話 要の生きざま

「この島は、“流れの交差点”だ。潮も、人も、怨も、ここを通る。」


 蓮の胸に、何かが落ちた。

 だから、妖が集まる。

 だから、争いも生まれる。


「因島の結界は、封じるためにあるのではない。」


 蒼玄斎は、蓮を見る。


「選り分けるためにある。通すべきものを通し、留めるべきものを留める。押さえつければ、いずれ歪む。だが流せば、海は腐らぬ。……村上水軍という名を、お前はどう聞いてきた?」


 不意に投げられた問いに、蓮は少し考えてから答える。


「水軍として瀬戸内の通行を管理してたんじゃ…。あとは、みんなが言うけど、海賊。俺の先祖。島を拠点にして、戦ってた集団?」


 蒼玄斎は、ふっと鼻で笑った。


「半分は正しい。だが半分は、違う。」


 縁側の柱に手を置き、ゆっくりと立ち上がる。その姿は、まるで過去と現在の境に立つ者のようだった。


「村上水軍はな、奪うために海に出たのではない。海を裁くためにいたのじゃ。」


 義久と颯月も、息を呑む。蒼玄斎は、海へと顎を向ける。


「瀬戸内は、潮が複雑に交わる。流れを知らぬ者が船を出せば、命を落とす。だから村上は、通行を管理し、争いを止め、時に刃を抜いた。」


 蓮の胸に、言葉が沈んでいく。


「海賊とは、後の世がつけた名だ。実際には、海の番人だった。」


 蒼玄斎は、振り返り、蓮を見る。


「敵を沈めることもあった。だが本質は、“通すか、通さぬか”を決めること。それは、今のお前と、同じ役目だ。」

「だから、結界も“壁”じゃない。」

「そうじゃ。」


 蒼玄斎は、深く頷く。


「因島の結界は、城壁ではなく、海路そのもの。流れを読み、選び、導く。怨も、人も、力も、正しい先へ渡すという事か。私たちが思ってたものより、かなり高度な結界ね。」


 颯月が、小さく呟く。


「だから、水の力なのか。」


蓮が、納得したように言う。今までは、海に囲われているからだとだけ漠然と思っていた。


「そうじゃ。水は、溜めれば毒になる。流せば、命になる。封じれば、海は死ぬ。」


 蒼玄斎の声は、低く、重い。


「村上の歴史は、常に“境界”にあった。武将でもなく、民でもなく、国家でもない。流れの側に立つ者。」


 蒼玄斎は、再び海を見た。その目に映るのは、今の海だけではない。

 かつて、無数の船が行き交い、火と血と潮が混じった時代。


「その血が、お前に流れているおる。」


 蓮は、ゆっくりと息を吸う。


「俺は、戦うために要を継いだんじゃない。」


 蒼玄斎は、小さく笑った。


「ようわかっておる。厳島で良い経験をしたようじゃ。」


「流れを保つために、刃を取る者、それが因島の要。禍海坊みたいな奴がこれからも出てくると思う。そのためには、もっと強くならないと。」


 その言葉に、蓮の中で何かがはっきりと形を持った。

 兄の背中。

 海。

 滄牙丸。

 水龍。

 すべてが、一本の“流れ”として繋がる。


「守るな。閉じるな。」


 蒼玄斎は、最後にそう告げた。


「渡せ。それが、村上水軍の生き方だ。お前が選ばれたのは、偶然ではない。お前の力が、まだ“完成していない”のも理由がある。」


 蓮は、思わず口を開く。


「俺の水は、まだ、迷ってる。兄さんの真似をして、斬ってるだけだ。」


 蒼玄斎は、その言葉を否定しなかった。


「それでいい。水は、形を持たぬ。形を持った瞬間、死ぬ。」


 その言葉は、重く、だが、どこか救いがあった。


「じゃあ、俺がやるべきことは…。」


 蒼玄斎は、ゆっくりと立ち上がった。背は老いても、その存在は、島そのものだった。


「立て。」


 その一言に、蓮は息を呑む。


「導け。流れを、正しい先へ。それには、兄の背を追っていても見つかりはせぬ。お前は、お前の道を見つけるのみ。」


 縁側の外、穏やかな海が、きらりと光った。蒼玄斎は、蓮の前に立ち、静かに言う。


「それが、歴代因島の要の生きざまじゃ。」


 その言葉は、命令ではない。継承だった。縁側に立つ蒼玄斎の背中は、海と同じ向きを向いていた。


「まずは、結界を自分ではれるようにならないとだな…。」


 蓮はつぶやく。


「結界というものはな。」


 低く、静かな声。


「張って終わりではない。」


 蒼玄斎は、振り返らずに続ける。


「流れは、日ごとに変わる。人が歩けば変わり、船が通れば変わり、怨が触れれば歪む。」


 蓮は、海を見た。穏やかで、何の変哲もない瀬戸内。だが――昨夜から、胸の奥に残る違和感が消えない。


「昨日の禍海坊との闘いでなんとなくしなければならない事が、ぼんやりとわかってきた気がする。村上の使命も。」


 蒼玄斎は、小さく頷いた。


「目で見よ。足で感じよ。因島の要は、結界の中に座す者ではない。海の上に立つ者だ。」


 その言葉は、蓮の背を、そっと押した。


 ――――――――――――――――


 港に出ると、潮の匂いが濃くなった。義久が船を点検しながら、静かに言う。


「蒼玄斎様、本気だな。本気で、“今の因島”を見ろって。」


 颯月は、救命胴衣を手にしながら、軽く笑う。


「観光じゃないってことね。まぁ、今の蓮君は高校生も兼ねてるから、そればっかりって訳にもいかないけどねー。それも宿命ってやつか!」


 蓮を見ながらにやりと意地悪そうに笑う。

 船が動き出し、港を離れる。

 しまなみ海道の橋脚が、白い影となって水面に伸びる。島々は、穏やかに連なり、まるで眠っているようだった。


「相変わらず、きれいだな。昨日の出来事が嘘みたいで、まだ実感がわかない。でも俺の力の足りなささだけは…。」


 蓮の言葉に、義久が答える。


「だから、壊れた時は、一番気づきにくい。蓮はまだまだこれからさ。蒼玄斎様やご両親がいる限りは、因島は守ることはできる。その間に、強くならなければな。俺たち兄妹も含めて。」


 その瞬間――


 ドンッ!!


 船が、大きく揺れた。あわてて、義久が急ブレーキをかける。


「なに?なに?」


 颯月が手すりを掴む。衝撃は一度ではない。


 ドン、ドン、ドン――!!


 下から、叩き上げるような衝撃。


「なんだなんだ、こんな海の真っただ中で!漂流物か?」


 義久が、即座にエンジンを切り、臨戦態勢をとる。海面が静まると、水の色が、変わった。

 さざ波の下、淡い光が、脈打つように広がっていく。


「発光?」


 蓮の背に、ぞくりとしたものが走る。

(…何か、来る)

 蓮の直感が、警戒を呼ぶ。


「蒼海を裂け 滄牙丸。」

 義久、颯月も神器を構える。

 次の瞬間。海面が、割れた。


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