第16話 赤い月
突如、蓮が一歩進み出た。
「綾。俺も一緒に戦う。どんな妖の仕業かわからないけど、いつまでも月食が続くわけじゃない。今、結界が張れなくても、月食が終わるまで、俺たちで守ればいい。」
その言葉に、綾の肩がわずかに震えた。汐音が横から口を挟み、場を軽くするように笑う。
「そうだよお姉ちゃん!結界がダメでも、レンレンが頑張るんでしょ?なんたって“因島の要”なんだから!」
「「要」…か。やれるとこまでやるしかないだろ!下がる選択肢なんてないんだから。」
だが、2人のやり取りは、動揺している綾の耳には届いていないようだった。
ゴゴゴ……。
海の方から、深く湿ったうねりのような音が響いた。
白く光っていた波頭の下から、黒い霧のような影がにじみ出る。
「来たぞ。」
静が冷ややかに呟いた。掌の氷蛇珠が、氷結し武者ぶるいするかのように鋭い音を立てる。
「結界は……不完全なままか。」
悠幻の声は低く、冷静だった。欠けゆく月が、社殿と舞台を赤黒く染めていく。完全な闇ではなく、半端な光と影が織り交じる夜。その隙間から、異界の瘴気が密かに音もなく侵入しはじめていた。
月がとどまることを知らず、さらに欠けていく。
蒼白の光は紅に染まり、社殿も神楽台も血の色に覆われていった。
影がじわじわと月を呑み込み、夜空は深海のような赤暗さを帯びる。
「つ…月が赤い…。」
汐音の声が震える。
舞台の周囲に張られた光の環は、もはや半ばしか輝いていなかった。
「結界が……塞がりきらない。」
綾の蒼嶺は、必死に光を放とうとするが、その刃先は虚空に吸い込まれていく。
その瞬間。
「ゴォォォォ……」
海の底から、唸るような音が広がった。
水面が泡立ち、黒い影が次々と浮かび上がる。
影はやがて人の形を成す――いや、人の海哭を海水で模した、海の化け物《海哭》だった。
「来やがったか!俺たちだけでは、対処できん。来い、大狼!」
<グオォォォォォ>
剛志の横に巨大な狼が顕現する。剛志と神獣が咆哮し、拳を鳴らすと、剛嶽が蒼い電撃を纏い、轟音を上げる。
「一波目か……様子見の数じゃないな。」
悠幻が式神を翻し、幻影の幕を張る。だがその隙間から、溢れんばかりの海哭の群れが滲み込んできた。
「もはや止められん。俺らも戦うしかないぞ。呑み込め、神器《鯨心》。」
義久も神器を召喚する。
「お姉ちゃん!」
汐音が、呆然としたままの綾の腕を取る。
「結界は私たちが守るから! 舞台はもういい、戦って!」
「……うん!」
汐音の言葉で我に返った綾は,頷き、蒼嶺を構え直した。
青白い刃が血のような月光に染まり、幽冥の闇を照らす。
静が一歩前に出て、低く呟いた。
「氷縛。」
氷蛇珠が氷結の環を描き床に落ちると床全体が白く輝き、最前列の海哭が凍りついた。
「うわっ、もう来た!でも、私だって、厳島の巫女なんだから!照らせ《月穿。」
汐音が顕現した月穿を振るい、飛びかかってきた影を薙ぎ払う。舞台の板に打ち付けられた海哭が黒い霧となり、すぐに蒸発して夜気に溶けた。
「ちっ……数が多いな!」
神田が殴り飛ばした海哭も黒い霧のように崩れるが、次の群れが押し寄せる。
「月食を引き起こした上に、これほどの数…やはり準備していたか!」
義久が吐き捨てるように言った。悠幻が横目で空を見上げ、いつも通り口元を吊り上げる。
「いや、これで終わりじゃない。むしろ――これが“幕開け”だ。」
その言葉を裏付けるように、海の向こうでさらに大きな瘴気が渦巻いた。
空では月がなおも欠け続け、夜は完全な赤に染まろうとしていた――。
月はほとんど黒い影に呑まれ、わずかに覗く光さえも血のような赤。神楽台の上、結界の光は途切れ途切れで揺らぎ、夜風に溶ける。
「一斉に襲ってくるぞ!」
神田剛志の怒声と同時に、黒い海哭の群れが一斉に突撃してきた。その影は武具を纏っているようにも見え、かつて戦場に散った怨念そのもの。
「お前ら、俺がまとめて粉砕してやるッ!大狼行くぜっ!」
剛志が剛嶽を振り下ろす。槌が轟音と共に地を打ち、大狼の咆哮で増幅された蒼電が走る。電撃に焼かれた海哭たちは霧散し、その場を遅れて雷鳴が覆った。
「強引すぎるわね……でも助かる!」
綾はすかさず蒼嶺を振り抜く。
「厳月流奥義、蒼月閃――ッ!」
月龍の蒼光を纏った斬撃が群れを貫き、血月の下に青白い裂け目を刻んだ。
「こっちも来てる!白蛇、久しぶりに暴れるか!」
氷川静の声が響き、氷蛇珠から冷気が奔る。白蛇がスルスルッと海哭の間をすり抜けると氷の鎖が宙を走り、足を凍りつかせた。
「白蛇、砕け。」
小声と共に氷が爆ぜ、十数体の海哭が粉雪のように散った。
「さすがだな。よし、俺もやるか。」
安倍悠幻は式札を空にばらまく。
「陰陽道、百鬼幻奏。」
虚ろな音色が夜空に響き、幻の兵士が現れる。幻兵たちは海哭を翻弄し、群れを押し返した。
「ほら、幻相手に踊ってろ。」
「まだまだよ。こっちも忘れないで!」
汐音が声を張り上げる。槍《月穿》を構え、霧の中に飛び込む。旋風のような突きが連続し、影の群れを切り裂いた。
「ふふん、どう? 私だって役に立つんだから!」
「調子に乗るな、汐音! 囲まれるぞ!」
蓮が声を荒げ、すぐさま駆け寄る。その太刀筋が弧を描き、汐音に迫った海哭をまとめて斬り払った。
「……ありがと。」
汐音が少し頬を赤らめる。
だが綾が視線を向けると、彼女は慌てて槍を構え直した。
「おしゃべりは後!まだ終わらない!」
綾の叫びに皆が再び集中する。
――だが、空はますます暗くなる。
月はほとんど欠け、赤黒い輪郭だけが夜空に浮かんでいた。
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