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第14話 「月龍神楽」奉ず

 満月が雲一つない空へ真上に昇る。

 海面に映る白光が、神楽台をまるで天と地を繋ぐ橋のように浮かび上がらせていた。


「満月の日、結界強化のために舞を奉納しているけれど、今日は特別。8月の月は年に一度、月が最も地球に近づき、月の光も強さを増すの。」


 そういって、綾は笑みを浮かべる。


「普段の舞もきれいだけど、こういう日は特別な力が込められるって言うし――。神様も、きっと注目してるはず!」


 隣で少し緊張した面持ちの蓮に、汐音は意地悪そうにウインクした。


「だから、レンレン、よく見とくんだよー。いつもの舞とはひと味違うし、滅多に見られないからラッキー!」


 蓮は少しむっとして、声を低める。


「……もう、だから“レンレン”って呼ぶなって。こんな大事なときにふざけてる場合かよ。汐音だって緊張してるんじゃないのか?」

「えー?緊張してるよ、そりゃ。でも、こういうときほどわくわく楽しんだほうがいいんだって。大きな失敗はしないように、ちゃんと祈っておいたし。」


 蓮は横目で綾を見る。


  「誰に祈ったんだよ?お前も巫女だろ。ってか、そもそも、祈るだけじゃだめだろ……。舞台の雰囲気も、いつも以上に厳かだし。それに、見てみろよ。みんなの視線、集中してるぞ。」

「うん、確かに。でも、この特別な満月の光なら、きっといい舞になるはずだから。皆にもその力、分けてあげたいし。」


 ………


 言い合う声は、やがて波が引くように消えていく。風がゆるやかに舞台を渡り、木板の軋む微かな音が静けさの中に混じる。

 潮の音すら遠のいたかのような瞬間――咲紀の鳴らす鈴の澄んだ音が、リンと夜を切り裂く。

 その音で、厳島の守護たちも、蓮たちも堅く口をつぐみ、夏の周囲の空気が氷の様にぴんと張るのがわかり、とてつもない緊張感がその場を支配した。

 静寂の中、


「始めます。神楽、奉ず。」


 咲紀の澄んだ声だけが、夜の空気を震わせるように響いた。白衣びゃくえの袖がふわりと舞い、月祓扇つきはらいのおうぎが月光を受けて輝く。

 一歩ごとに足拍子が木板を叩き、その澄んだ響きが夜の社殿へ静かに広がっていった。咲紀が歩を進めるたび、緋色の袴が月光を受けて柔らかく揺れる。その裾の軌跡に合わせるように、清めの気が水面の波紋のように神楽台へ広がっていった。

 やがて、美咲は静かに月祓扇つきはらいのおうぎを掲げた。

 扇が大きく振り抜かれた瞬間、白銀の浄火が尾を引きながら東西南北へ奔る。

 四方に据えられていた松明へ火が灯った刹那、蒼白い炎は一気に柱のように噴き上がり、舞台を囲むように揺らめくと、舞台全体が、浄火に包まれた聖域へと姿を変えていた。


 咲紀の舞に呼応するように、綾もまた静かに歩を進めた。

 蒼嶺そうれいが月光を受けて淡く輝き、その刃が振るわれるたび、蒼き斬光が夜を裂いて走る。

 次の瞬間――。

 どこからともなく、低く唸るような龍の咆哮が響いた。綾の刀筋に合わせ、蒼白の龍気が奔流のように舞台を駆け巡る。それは咲紀の放つ浄火と絡み合い、火と月光が溶け合うように渦を巻きながら、舞台の上空へ巨大な光の円環を描き出していった。


 神楽を舞うその姿はまさしく「月の巫女」。


 彼女が中心に立つだけで、舞台が世界を統べる祭壇に変貌していく。


「剛嶽よ、雷を打て!」


 金剛槌が地を打ち、雷鳴が舞台を包む。轟音は神楽の太鼓のように鳴り響き、舞と剣にリズムを刻む。


「さて、俺の役目は舞台演出かな。」


 悠幻が空へ右手を突き出すと幻書ノ札が宙に舞い、月光を反射して幾重もの幻灯を描き出す。その光景は千の観衆が見守る神楽のように、空気を荘厳なものへと変えた。

 そして、静が掌のなかの氷蛇珠に向かって息を吹きかけると、今度は白い白銀の冷気を放ち、舞台の四辺に透明な氷柱を立ち上げる。その表中に満月の光が乱反射して、神楽台を永遠の鏡宮のように映し出した。


「すげぇ…。」


 蓮を筆頭に、神谷兄妹でさえも、思わず息を呑んだ。剣、扇、雷、幻、氷――すべてがひとつに溶け合い、言葉を超えた神秘の光景が目の前に広がる。


「これが……月の巫女、厳島の「要」の神楽の舞……」


 舞が進むごとに、空気がさらに張り詰めていく。満月の光が極限まで濃くなり、舞台の結界が音を立てるように震えていく。


 ――満月、天頂。


 空から降り注ぐ銀光は、瀬戸内の海と社殿を蒼白に照らし、神楽台を浮かび上がらせていた。風は止み、波も鳴りを潜める。世界そのものが、舞を見守るために沈黙したかのようだった。

 瞬間、空気は一変した。


「こい、月龍。結界を仕上げる。」

「こい、白鴉。」


 刀身に宿る蒼光が月明かりを凌駕し、舞台上空に綾の神獣<月龍>が真姿を呼び起こす。

 綾の横に控えていた小さな龍が、ふわりと上空に舞うやいなや、その姿は透明な月の龍――月光を映す鏡のごとく、揺らぎながら白鴉とともに舞台を巡り始めた。

 剛志は巨躯を組み伏せるように仁王立ちし、剛嶽を肩に担ぐ。


「いよいよだ。……来やしねぇだろうな。気張れよ、おめぇら。」


 低く呟きながらも、その眼差しは舞台の周囲から片時も逸れない。雷を孕んだ武器は、今にも唸りをあげそうに震えていた。

 悠幻は幻書ノ札を指先で弄びながら、舞を見守る。


「演出は十分だな……。後は、舞がどれほどの力を呼び起こすか、か。」


 相変わらずの口調だが、視線は鋭く闇を探る。幻術の札は既に掌の中で淡い光を帯び、神楽台を少し遠巻きに、幻術で視界のゆがみを作り、即応の構えを崩してはいない。

 静は目を閉じ、両手を胸元に組んだまま。掌に握られた氷蛇珠がかすかな冷気を放ち、舞台の周囲に淡い霧を立てる。その霧は、舞を邪するものを寄せつけぬ氷の結界。彼女の沈黙は、妖に対して舞台を護る鋭利な刃と化していた。


「……綾姉ちゃん……咲紀さん……」


 汐音は祈るように二人の舞を見つめながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 月龍と白鴉――神獣たちもまた、その神楽に呼応するように静かに気配を震わせた。

月龍は蒼白の瞳を細め、夜空へ溶け込むように長い身をうねらせる。

白鴉は浄火を宿した翼をゆるやかに広げ、舞台を巡る穢れを払うように低く鳴き、その場へ静かに力を満たしていった。

 まるで二人の祈りに応えるかのように。


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