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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第9節 夢

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戸塚ひばりの声

白塔の奥へ続く通路は、最初から人を通すためのものには見えなかった。


志乃は俵屋の視界を通して、その通路を見ていた。

白い壁。

無機質な灯り。

足音を吸い込むような床材。

清潔で、静かで、整っている。


なのにそこには、明らかに“病室”とも“研究室”とも違う空気があった。


何かを隠すために磨き上げられた静けさ。

何かを正当化するために整えられた無機質さ。

それが、胸の奥を冷やしていく。


俵屋は拘束されていた。


両腕には術式封印具。

首筋には霊気抑制の薄い輪。

怪我は応急的に塞がれているが、胸の奥の鈍い痛みは残ったままだ。


それでも彼は歩いていた。

歩かされていた、というほうが正しい。


前後を執行官に挟まれ、無言のまま、白塔の深部へ連れて行かれる。

抵抗はできない。

だが、俵屋の意識はまだ折れていない。


ひばりをどこへ連れていったのか。

何をするつもりなのか。

その答えを見届けるまでは、倒れるわけにはいかなかった。


志乃は、その胸の内へ流れ込む焦りをそのまま感じる。


遅い。

間に合わない。

でも、まだ手放せない。

たとえ見たくないものを見ることになっても、自分の目で確かめなければならない。


通路の先で、大きな扉が開いた。


そこは、白塔中枢の前室だった。


志乃は息を呑む。


後の白塔最深部で見た、あの禍々しい空間とは違う。

まだこの時代の中枢層は、異様なほど美しかった。


巨大な円形空間。

壁面に沿って幾重にも並ぶ観測輪。

天井近くを巡る古代文字の発光帯。

床下を流れる淡い霊気の脈動。

空間の中心には、乳白色の光を湛えた中枢基盤が静かに浮かんでいる。


神聖ですらある景色だった。


だからこそ、そこにひばりがいる光景が、ひどく痛ましかった。


彼女は中枢基盤の前に立たされていた。

いや、立たされているというより、すでに白塔の力に半ば捕らえられていた。


足元から伸びた光の帯が、彼女の足首と手首をゆるやかに拘束している。

無理やり押さえつけるものではない。

むしろ、逃げ場を失わせるためだけに最低限の力で繋いでいるような、いやらしい拘束だった。


ひばりは意識を失っていない。

前を向き、魔泉道を睨んでいた。


「これは研究じゃない」


その声は震えていなかった。


「白塔を壊すだけよ」


魔泉道は少し離れた位置で、複数の補佐研究員とともに術式の最終確認をしていた。

彼はひばりの言葉に顔も上げず、淡々と答える。


「壊れるかどうかは結果次第だと言ったはずだ」


「人を中枢へつなぐ段階じゃない」


「だから適性のある人間を使う」


「適性があることと、耐えられることは違う!」


その一言に、空間の空気がわずかに震えた気がした。


ひばりは怒っていた。

恐怖はある。

自分が何をされようとしているのかも分かっている。

それでも彼女は、最後まで研究者として言葉を発していた。


正しさを捨てなかった。


俵屋はその光景を前に、喉の奥から絞り出すように言う。


「魔泉道……!」


執行官に押さえられていても、その声だけは抑えられない。


魔泉道がようやく振り向いた。


「目が覚めていたか」


「やめろ」


俵屋の声は低かった。


「その接続は不可逆だ。人格層への侵食が起きる。戻せない可能性がある」


「可能性なら、あらゆる実験にある」


「それを分かっていて、ひばりを使うのか!」


「使うとも」


魔泉道はあまりにもあっさりと言った。


「彼女以上の適性は現時点で存在しない。白塔中枢との応答率、オーパーツとの親和性、霊気の再構成耐性、どれを見ても突出している。失うには惜しい」


その“惜しい”という言葉に、志乃は吐き気を覚える。


人として惜しいのではない。

素材として惜しいのだ。

それがあまりにも露骨だった。


ひばりは俵屋を見た。


その目には、助けを求める叫びはなかった。

代わりに、俵屋を落ち着かせようとするような静かな光があった。


「俵屋」


その声を聞いた瞬間、俵屋の胸がひどく痛む。


「大丈夫じゃないだろ」


それが精一杯の言葉だった。


ひばりは、かすかに笑った。


「ええ。全然、大丈夫じゃない」


その率直さが、逆に苦しい。


「でも、覚えておいて」


「何を」


「ここで何が起きたかを」


俵屋の呼吸が止まる。


ひばりは最初から、自分が戻れないかもしれないことを理解している。

だから“助けて”ではなく、“覚えていて”と言ったのだ。


志乃の胸に、どうしようもない痛みが広がる。


魔泉道が手を上げる。

補佐研究員たちが一斉に術式を起動する。

壁面の観測輪が回転を始め、床下の霊気脈動が一段深くなる。


白塔中枢が応答し始めたのだ。


乳白色の光が、ひばりの足元から立ち上る。

最初は淡い。

だが次第にその光は彼女の脚を、腰を、腕を、首筋を包み込み、まるで塔そのものが“迎え入れる”ように彼女へまとわりついていく。


「っ……!」


ひばりの喉から、短い息が漏れた。


痛みだ。

見た目ほど穏やかなものではない。

その光は肉体に触れているのではない。もっと深いところ、霊気の構造と意識の境目に直接入り込んでいる。


白神教授が今の時代に言っていたことを、志乃は思い出す。


適性が低い人間をつなげば、器ではなく意識が削れる。


ひばりは適性が高い。

だからこそ“削れずに済む”のではない。

削れるまで、もっと深く、もっと長く接続されてしまうのだ。


「やめろ!」


俵屋が叫ぶ。

拘束具を引きちぎらんばかりにもがく。

だが執行官たちが押さえつけ、床の術式がさらに彼の足元を固める。


「離せ……!」


「静かにしていろ」


魔泉道は冷たく言った。


「貴重な初回接続データだ。乱すな」


その言葉に、俵屋の怒りが爆ぜる。

だが爆ぜても届かない。

それが余計に残酷だった。


ひばりの周囲に展開した光輪が、第二層、第三層へと増えていく。


彼女の髪がふわりと浮く。

まぶたがわずかに震え、呼吸が浅くなる。

それでも彼女は意識を失わない。

歯を食いしばり、白塔中枢を見つめている。


そして、その瞬間が来た。


中枢基盤の最深部から、一筋の光が伸びた。


それはまっすぐ、ひばりの胸元へ触れる。


「――ッ!」


悲鳴はなかった。

声にする余裕すらなかったのだろう。


ひばりの全身が大きく震え、彼女の瞳の奥に、白塔と同じ乳白色の光が灯る。


志乃は、その感覚までも追体験してしまう。


膨大な情報。

白塔に蓄えられた記録。

遺物の残響。

過去の接続者の痕跡。

都市の霊気の地図。

人の声。

知らない時代の記憶。

祈り。

断末魔。

願い。


それらが一度に流れ込んでくる。


人が一人で受け止めていい量ではない。


ひばりの唇が震えた。


「……っ、く……」


声にならない。

ただ、その瞳だけが必死に何かを掴もうとしている。


魔泉道は一歩前へ出る。


「素晴らしい」


その声には、隠しようもない興奮があった。


「初回接続でここまで保持するか。やはり彼女は特異だ」


「保持、だと……!」


俵屋が血を吐くように叫ぶ。


「壊してるだけだろうが!」


「壊れていない。まだ」


魔泉道は淡々と言った。


「むしろ、ここからだ」


その“ここから”という言葉が、どれほど絶望的か、志乃にはすぐに分かった。


これは一回で終わる実験ではない。

ここで有用な反応が出た時点で、ひばりはもう解放されない。


白塔中枢に届く鍵として。

接続可能な器として。

もっと深く、もっと繰り返し、使われ続ける。


ひばりも、それを理解したのだろう。


彼女の瞳に、一瞬だけ明確な恐怖が走った。


だが次の瞬間、その恐怖を押し込めるように、彼女は俵屋を見た。


「……生きて」


掠れた声だった。


「ひばり……!」


「見届けて……」


その言葉が、俵屋の胸へ深く突き刺さる。


助けて、ではない。

終わらせて、でもない。

見届けて。


この瞬間から、俵屋はただ恋人を守りたい男ではいられなくなる。

目の前で起きるすべてを刻みつけ、その先で何かを返さなければならない者になる。


中枢の光がさらに強まる。


ひばりの足元から伸びた光の帯は、もはや拘束ではなく接続そのものへ変わっていた。

彼女の身体の輪郭が白くぼやけ、霊気の流れと人の形の境界が曖昧になる。


「接続率、上昇」

「人格層残存、確認」

「中枢応答、固定へ移行」


補佐研究員たちが数値を読み上げる。

その声の無機質さが、ひどく恐ろしい。


人が人でなくなりかけている瞬間に、彼らはそれを“良好なデータ”として記録しているのだ。


ひばりの膝が崩れかける。

だが倒れない。

白塔の光が、倒れることすら許さない。


俵屋はもう声も出せなかった。

怒りも、絶望も、苦しみも、すべてが胸の奥に詰まりすぎて、ただ目の前を見ていることしかできない。


そして志乃は、その場でようやく理解する。


白塔の奥で自分に語りかけていた“声”は、残留思念なんかじゃない。

かつてここで中枢へ繋がれ、死んだのか生きたのかも分からないまま、意識の一部だけを白塔に固定された、戸塚ひばり本人の声なのだ。


生きているとも言えない。

死んでいるとも言えない。

だから、ずっと残っている。


白塔の最奥で、声だけが。


接続が最深部へ達した瞬間、ひばりの瞳からすっと光が引いた。


完全に消えたわけではない。

だが、焦点が変わった。


ここではないどこかを見ている。

白塔の内部へ、意識が引き込まれてしまった目だった。


「固定完了」


補佐研究員の声。


魔泉道が静かに息を吐く。


「なるほど。ここまで保つなら、さらに先へ進める」


俵屋の中で、何かが静かに壊れた音がした。


怒鳴る力もない。

もがく力もない。

ただ、取り返しのつかないことが起きたのだと理解してしまったときの、底のない静けさが広がる。


ひばりはもう俵屋を見ていなかった。


だがその唇だけが、かすかに動いた。


志乃には、その形が見えた。


――忘れないで。


次の瞬間、中枢の光が閉じる。


ひばりの身体はその場から消えたわけではない。

けれど、同じ意味でそこに立ってはいなかった。


人としてそこにいるのではなく、白塔の中枢に繋がれた“何か”として保存されたのだ。


それが、後に白塔の奥から響き続ける声の始まりだった。

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