表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第9節 夢

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/125

敗北の日

白塔の空気は、目に見えない速度で変わっていった。


魔泉道の着任から、そう時間は経っていない。

けれど研究施設というものは、一度流れが変わると、その変化があらゆる場所に染み込むのが早い。


志乃は俵屋の視界の中で、それを見ていた。


まず変わったのは、人の顔だった。


以前は議論の声が聞こえた区画で、今は確認と報告ばかりが交わされる。

観測担当の若い研究員が、数値の異常を口にしかけて飲み込む。

補助術者たちは、手順に対して疑問を持っても、誰かの顔色を見てから黙る。

注意や提言が、いつの間にか“反抗”として扱われるようになっていた。


そして、扉が増えた。


封鎖された区画。

立ち入り権限の再編。

魔泉道直属と記された新たな研究室。

白塔の中に、もともとはなかった境界線が引かれていく。


白塔は少しずつ、研究施設から管理施設へ、管理施設から監視施設へと姿を変え始めていた。


俵屋はそれを黙って見ていたわけではない。


何度も会議で異議を唱えた。

新規の実験申請を差し止めた。

測定データの改ざん疑惑を洗い、被験体適性の不一致を指摘し、危険性評価の再提出を求めた。


ひばりも同じだった。


彼女は観測区画と中枢制御理論の責任者として、魔泉道の実験設計に何度も待ったをかけた。

接続負荷が高すぎる。

中枢への干渉経路が粗い。

人格層への影響が無視されている。

戻れない変質が起こりうる。

霊気力の定着実験に、人間を使っていい段階ではない。


彼女の言うことはいつも正しかった。


だからこそ、邪魔だった。


志乃には、その変化が俵屋の胸を重くしていくのが分かった。

怒りだけではない。

嫌な予感が、一つずつ現実になっていくときの、どうしようもない重さだった。


その日、ひばりは第三層の記録室で古い中枢接続ログを洗っていた。


白塔の最深部へ至る経路は、昔から何度も試行錯誤されてきた。

過去の研究記録には、表向きの報告書とは別に、破棄されるはずだった試験記録の断片が残っていることがある。

ひばりはそれを拾い上げ、魔泉道がどこまで踏み込もうとしているのかを逆算していた。


俵屋が部屋へ入ると、机に積まれた記録媒体と、開きっぱなしの投影図が目に入る。

ひばりは端末に向かったまま言った。


「来た」


「また徹夜か」


「半分だけ」


「半分で済むか」


「済ませる努力はしてる」


少しだけ笑う。

そのやり取りは以前と変わらない。

だが、明るさの質が違った。


疲れている。

焦っている。

それでも平静を保とうとしている。


俵屋はすぐにそれを見抜く。


「何を見つけた」


ひばりは笑みを消し、静かに端末を操作した。


空中にいくつもの古いログが展開される。

白塔中枢の霊気応答記録。

適合者の反応波形。

そして、封印指定の赤いマークが並ぶ実験履歴。


「これ、全部隠されてたログ」


「上層部か」


「たぶん、もっと前から」


ひばりはひとつの波形を指差す。


「中枢は、誰にでも反応するわけじゃない。霊気量だけじゃなく、構造の“噛み合い”を見てる。適性が低い人間を接続すると、器じゃなくて意識のほうが削れる」


俵屋の表情が硬くなる。


「人格層への侵食か」


「そう」


ひばりは頷く。


「しかも、消耗で済まない。境界が曖昧になって、自分と白塔の区別がつかなくなる。戻れない可能性がある」


俵屋は黙ってログを見る。

記録は断片的だが、十分すぎるほど危険性を示していた。


「魔泉道はこれを知ってるな」


「知ってると思う」


「なら、なおさら止める必要がある」


ひばりは少しだけ目を伏せた。


「……もう、止められる段階かな」


その弱い声に、俵屋の胸がざわつく。


ひばりがこんな言い方をするのは珍しい。

彼女はいつだって、状況が悪くても“どう止めるか”を考える人だった。

それが今は、“止められるか”を疑っている。


「何かあったな」


俵屋が低く言う。


ひばりは少し迷ってから、別の記録を開いた。


そこには最新の研究申請が映し出されていた。

正式な題目は曖昧にぼかされている。だが中身を見れば一目で分かる。


白塔中枢との高適性接続実験。

人格固定の有無を含む深層同調試験。

対象選定条件――中枢応答率上位者。


俵屋の目が細くなる。


「適性上位者……誰だ」


ひばりは答えなかった。

その沈黙で、十分だった。


俵屋の背筋に冷たいものが走る。


「まさか」


ひばりは、ようやく小さく笑った。

困らせまいとするような、無理をした笑いだった。


「私、相性がいいみたい」


その瞬間、俵屋の胸の中で何かが軋んだ。


「断れ」


即答だった。


「もう断ってる」


「なら、次は正式に撤回申請を出す。白神系統の監査にも回す。外部へも――」


「出した」


ひばりは静かに言った。


「でも、上で止まった」


俵屋は息を呑む。


上層部が握り潰したのだ。

つまりこれは、魔泉道個人の暴走ではない。

白塔の上にいる連中もまた、ひばりを“試す価値のある存在”と見なしている。


「ふざけるな……」


俵屋の声には、初めて剥き出しの怒りが滲んだ。


ひばりはそんな彼を見て、少しだけ目を細める。


「だから、あなたに先に言った」


「先に、じゃない。今すぐ外へ出るぞ」


「俵屋」


「ここにいたら駄目だ」


「分かってる」


「分かってるなら!」


思わず声が強くなる。

その響きに、自分でも驚いたように俵屋は息を止めた。


ひばりは静かに彼を見る。


「あなた一人で怒らないで」


その一言が、かえって痛かった。


これは俵屋一人の怒りではない。

ひばり自身も怒っている。

怖いはずなのに、なお冷静でいようとしている。

そのことが余計に、俵屋を追い詰める。


「……一緒に出よう」


絞り出すように、彼は言った。


ひばりは少しだけ黙ったあと、首を横に振った。


「まだ証拠が足りない。このまま出ても、私たちが“研究妨害で逃げた”ことにされるだけ」


「そんなもの、後からでも――」


「後じゃ遅い」


ひばりの声が、珍しく強くなる。


「魔泉道は今、白塔そのものの管理権を固めようとしてる。ここで記録を押さえなきゃ、白塔の中で何が行われたか全部消される」


俵屋は返せない。

彼女が正しいからだ。


だが、正しいことと、守れることは違う。


そのとき、記録室の外で足音が止まった。


複数。

規則正しい靴音。

白塔の警備班ではない。もっと儀礼的で、管理側の人間の歩き方だ。


ひばりと俵屋の視線が同時に扉へ向く。


次の瞬間、扉が開いた。


立っていたのは、白塔管理局の執行官と、魔泉道直属の研究補佐たちだった。


「戸塚ひばり研究員」


先頭の男が、感情のない声で告げる。


「白塔管理権限規定第三節に基づき、中枢適性検証のための保護対象と認定する」


保護対象。


その言葉の空虚さに、志乃はぞっとする。


保護ではない。

拘束だ。


俵屋が一歩前へ出る。


「ふざけるな。本人の同意はない」


「上層承認済みです」


「撤回申請は出しているはずだ」


「却下されました」


淡々とした返答。

その無機質さが、かえって残酷だった。


ひばりが前へ出ようとするのを、俵屋が腕で制する。


「下がっていろ」


「俵屋」


「いいから」


その声は低く、鋭かった。

ひばりは何か言いかけて、唇を閉じる。


執行官が言う。


「抵抗は研究妨害および上層命令違反と見なします」


俵屋は冷たい目で彼らを見る。


「人を壊す命令に従う気はない」


「なら、排除措置を――」


最後まで言わせず、俵屋が動いた。


速い。

現代の俵屋ほどではないが、この時点でも彼は十分に実戦慣れしていた。

最前列の執行官の腕を払って記録端末を奪い、二人目の足を払って壁へ叩きつける。

補佐の一人が術式を展開しようとするが、その前に俵屋が机を蹴り飛ばし、術式の起点を崩す。


記録室が一気に乱戦になる。


ひばりも後ろで補助術式を展開し、記録媒体の保護と封鎖信号の遮断を同時に行っていた。


「俵屋、左!」


声に反応し、俵屋が身をひねる。

放たれた拘束術式が肩をかすめ、壁へ突き刺さる。


だが数が多い。

しかも相手は時間稼ぎではない。最初から“連行”するつもりで来ている。


俵屋は一人を殴り倒しながら、低く言う。


「ひばり、今のうちに抜けろ!」


「でも――」


「記録を持って外へ出ろ! それが先だ!」


ひばりは一瞬だけ迷った。

だが次の瞬間、歯を食いしばって記録媒体を抱える。


その判断は正しい。

だが、遅かった。


記録室の奥の壁面が、突然内側から開いた。


隠し通路ではない。

管理者権限でしか使えない緊急導線だ。


そこから、ゆっくりと魔泉道が姿を現した。


空気が変わる。


戦っていた執行官たちの動きすら、一瞬だけ止まる。


「よく抵抗した」


魔泉道は静かに言った。


「だが、終わりだ」


俵屋が即座にひばりの前へ出る。


「お前……!」


「大げさだな」


魔泉道は二人を見比べた。


「これは選定だ。白塔に必要な適性を持つ者を、相応しい位置へ置くだけのこと」


「人を物みたいに言うな!」


ひばりの声が鋭く響く。


魔泉道はその声にわずかに目を細めた。


「物ではない。素材だ」


その一言に、志乃は息が詰まる。


この時点でもう、ひばりは魔泉道の中で人ではなかった。


「戸塚ひばり。君の中枢適性は特異だ。失うには惜しい」


「断る」


「断れる立場だと思っているのか」


魔泉道の声が、少しだけ低くなる。


同時に、記録室全体に見えない圧力が満ちた。

中枢系の術式だ。白塔そのものの基盤回路へ触れている。


ひばりの顔色が変わる。


「白塔を……ここで使うの……!?」


「管理者権限には、それだけの価値がある」


俵屋が踏み込む。

魔泉道へ一直線に距離を詰める。


だが、その動きよりわずかに早く、床の紋様が発光した。


見えない拘束。

空間ごと重く沈むような圧力。


俵屋の足が止まる。

その一瞬を、魔泉道は逃さない。


白く濁った霊気が彼の手元に集まり、一直線に俵屋の胸を打つ。


衝撃。


俵屋の身体が大きく吹き飛び、記録棚へ叩きつけられる。

記録媒体が床へ散乱し、ガラス片が飛ぶ。


「俵屋!」


ひばりが叫ぶ。


彼女も術式を放とうとする。

だが、彼女の周囲だけ別種の光が立ち上がる。

柔らかいようでいて、絶対に逃がさない拘束の光。


「っ……!」


「君は壊してはならない」


魔泉道が淡々と言う。


「だから丁重に扱おう」


その言葉のほうが、暴力より残酷だった。


俵屋は咳き込みながら立ち上がろうとする。

胸が焼けるように痛む。

視界が揺れる。

それでも、立たなければならない。


だが執行官たちが一斉に押さえ込みにかかった。


腕を取られ、肩を押さえられ、床へ膝をつかされる。


「離せ!」


怒声が響く。

今まで見せたことのない、本気の怒りだった。


ひばりが拘束の中で必死に身を捩る。


「やめて! 俵屋に触らないで!」


魔泉道は二人を見下ろした。


その顔には勝者の傲慢さすらない。

あるのは、予定通りに実験材料を配置した管理者の無感動さだけだ。


「研究は前へ進む」


そう言って、彼はひばりへ手を伸ばす。


「そのために必要なものは、使う」


俵屋は床に押さえつけられたまま、その光景を見ていた。

届かない。

止められない。

声を張り上げても、力を振り絞っても、もう間に合わない。


ひばりが連れていかれる。


記録室の白い光の中で、拘束されたまま。


その瞬間、俵屋の胸に生まれた感情は、ただの怒りではなかった。


敗北だ。


守ると決めた相手を、目の前で奪われる。

止めると誓ったものを、止められない。

正しさも、理屈も、覚悟も、何ひとつ届かなかったという、容赦のない現実。


志乃はその痛みを、そのまま受け取ってしまう。


苦しい。

胸が裂けそうになる。


これが俵屋の原点なのだ。

ここで彼は負けた。

ここで白塔は変わった。

ここで、取り返しのつかない何かが始まってしまった。


魔泉道に連行される直前、ひばりが振り返る。


涙はない。

叫びもない。

ただ、強く俵屋を見ていた。


その視線に込められていたのは、助けを求める絶望ではなかった。


生きて。

忘れないで。

まだ終わらせないで。


そんな、言葉にならない願いだった。


そしてその願いこそが、後の俵屋を何年も縛り続ける鎖になるのだと、志乃は理解してしまう。


白塔の春は、この日、完全に終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ