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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第9節 夢

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計算の外側

白塔の地下を満たしていた暴走の光が、志乃の視界の端で滲んだ。


俵屋の腹を貫いた魔泉道の刃は、ただ肉体を傷つけただけではなかった。

俵屋が奪い、無理やり自分の内へ押し込めていた不死の力の回路、その最も乱れた一点を正確に断ち切っている。


「……が、っ」


俵屋の喉から漏れた苦鳴は短かった。

だが、その一声だけで十分だった。


彼の全身を走っていた白い亀裂が、一気に広がる。

肩口。首筋。頬。胸。

ひび割れた器のように光が裂け、その裂け目から黒い霊気と白い霊気が同時に吹き上がった。


崩壊と再生の均衡が、完全に狂ったのだ。


魔泉道は刃を差し込んだまま、血に濡れた顔で笑っていた。


「どうした、俵屋」


その声はひどく静かだった。

死にかけの人間が出す声ではない。

一度殺され、それでもなお立ち上がった者だけが持つ、不気味な余裕がそこにあった。


「奪ったのではなかったのか?」


俵屋は答えない。

答える代わりに、白い器との接続を強引に維持しようとする。

腹部を貫かれたまま、なお右手を持ち上げ、黒い霊気を収束させる。


「まだ……終わらん」


掠れた声だった。

だが、その中にはまだ執念が残っている。


魔泉道はその言葉を聞いて、ほんのわずかに目を細めた。


「その執着だけは認めよう」


次の瞬間、彼は刃をさらに深く押し込んだ。


俵屋の身体が大きく震える。

白い亀裂が腹部から胸へ、胸から顔面へと這い上がり、右目の下にまで走った。

その裂け目から漏れる光は、再生の輝きというより、器が限界を超えて割れ始めた証に見えた。


「お前は最初から分かりやすかった」


魔泉道が言う。


「白塔を見つめる目も、ひば――」


言いかけて、彼はそこでわずかに言葉を切った。

志乃はその一瞬を見逃さなかった。


魔泉道は何かを知っている。

俵屋の奥にあるものを。

怒りでも野心でもない、もっと深くて古い執着を。


俵屋が低く唸る。


「……黙れ」


「黙るものか」


魔泉道の声には、いまやはっきりと愉悦が混じっていた。


「お前が私を出し抜こうとすることは知っていた。白塔の中枢に触れ、不死の力を横取りしようとすることもな。だから私は、お前が手を伸ばさずにいられない位置まで、わざわざ成果を差し出してやったのだ」


白神教授が険しい声で吐き捨てる。


「ここまで人間を道具扱いできるか……」


「違う」


魔泉道は振り返りもせず言った。


「道具は壊れたら終わりだ。だが人間は、欲と執着があれば自ら動く。だから使いやすい」


その言葉に、志乃はぞっとする。


俵屋の裏切り。

魔泉道への反抗。

不死の力の簒奪。

そのすべてが、最初から計算に入っていた。


俵屋は自分が狩る側だと思っていた。

だが魔泉道は、その狩りそのものを利用していたのだ。


「人工不死……」


白神教授が低く呟く。


「自分の理論の副産物を、保険として肉体へ先行実装していたのか」


魔泉道はようやく教授に目を向けた。


「さすがだ、白神教授。理解が早い」


彼は自分の胸元へ手を当てる。

そこには、俵屋に刺し貫かれた傷がまだ残っていた。完全には塞がっていない。皮膚は歪に繋がり、赤黒く変色し、傷口の周囲だけ霊気が濁っている。


完治ではない。

無理やり死を遠ざけているだけだ。


「完全な不死など、まだほど遠い。今のこれは粗悪品にすぎん。肉体崩壊の速度を遅らせ、生命反応を擬似的に保持し、魂の離脱を一時的に曖昧にするだけの代物だ」


そう語る声には、不満すらあった。

だが同時に、その不完全な技術でさえ十分役に立つという確信もある。


「弱い。醜い。長くは使えん。だが、“死ぬはずの一撃”を一度だけ無効化するには足りた」


「最初から、そこまで用意してたっていうの……?」


志乃の声は震えていた。


魔泉道は彼女を見た。

その目には侮蔑でも怒りでもなく、ただ“当然だろう”という冷たさがあった。


「当然だ。私は自分の研究成果を、他者より先に自分へ試す。そうでなければ、誰が信じる」


「信じるとか、そういう話じゃ……」


「そういう話だ」


魔泉道はぴしゃりと言った。


「研究とは常に裏切られる。被験体に、同僚に、上層部に、結果に。ならば、裏切られたときに立っていられるだけの保険を持つのは当然だ」


その理屈は、恐ろしく筋が通っていた。

筋が通っているからこそ、狂気だった。


白神教授が苦く顔を歪める。


「お前は人の裏切りすら、研究工程の一部として数えていたのか」


「数えねば研究にならん」


魔泉道は淡々と答える。


「俵屋の憎しみも、執着も、横取りも、すべて予測可能だった。そして予測可能である以上、実験条件のひとつにすぎん」


俵屋の全身の黒い霊気が、一瞬だけ激しく逆巻いた。


怒りか。

それとも、言い返せないことへの苛立ちか。

だがその揺らぎはすぐ、肉体の崩壊に飲まれる。


「……ふざけるな」


俵屋の声は低い。

けれどその一言には、これまでの無感情な彼にはなかった温度があった。


「お前に……俺の何が分かる」


「分かるとも」


魔泉道は冷たく笑う。


「お前が何を取り戻したいのかも。なぜ私のそばを離れなかったのかも。なぜここで私を刺したのかもな」


志乃の胸が、どくりと鳴った。


取り戻したいもの。

俵屋が魔泉道のそばにいた理由。

そこに何か、ただの野心ではないものがある。


だがその答えへ届くより早く、白塔の中枢が大きく脈打った。


白い器の輪郭がぶれ、空中に浮かぶ人影のような核が大きく揺れる。

俵屋の中で不安定になった回路と、魔泉道が刺し込んだ刃の干渉によって、中枢の情報が激しく撹拌され始めたのだ。


虚西が苦しげに顔を上げる。


「……記憶が、溢れる」


「コウ!」


志乃が叫ぶ。


虚西はこめかみを押さえた。

彼の瞳の奥で、地下の景色とは別の映像が明滅している。

白塔との接続が深すぎるせいで、俵屋の深層に沈んでいたものが流れ込んできているのだ。


「俵屋の中に……白塔の古い層と、繋がってる部分がある……」


白神教授が鋭く聞き返す。


「古い層?」


「ずっと前の記録だ。押し込めてた記憶が、傷で破れて……漏れてる」


その言葉を聞いた瞬間、魔泉道の目がわずかに動いた。

ほんの一瞬。

だが、それは明らかに“都合の悪いもの”が表に出る気配を察した反応だった。


俵屋はその変化を見逃さなかったらしい。

腹を貫かれながら、唇の端をほんの少しだけ歪める。


「……そうか」


「何がおかしい」


「お前も……そこまでは計算していなかったようだな」


魔泉道の表情がわずかに冷える。


「記憶の流出か。くだらん副作用だ」


「副作用……?」


俵屋の声は血に濡れ、かすれていた。

それでも、はっきりとした嘲りが滲んでいる。


「お前にとっては、そうだろうな」


その瞬間、俵屋の身体から噴き出す黒い霊気が、白塔の奥へ向かって逆流した。


白い器が悲鳴のように震え、女の声がかすかに揺れる。


「……やめて……」


それは恐怖ではなく、むしろ“来てしまう”ことへの苦しみを含んだ声だった。


志乃の胸が締めつけられる。


来る。

何かが、もうすぐ見えてしまう。


白神教授は志乃の様子に気づいたらしい。

彼女へ向き直り、鋭く言った。


「志乃、気を強く持て。今の白塔は記憶の深層まで開きかけている。お前の感応が引きずられれば、そのまま飲まれるぞ」


「でも、もう……」


志乃は言葉を切った。


もう、俵屋の感情が流れ込んできている。

怒り。

憎しみ。

焦燥。

そして、それよりも深く沈んだ喪失感。


それは単なる悪意ではなかった。

長い時間をかけて腐り、色を失ってもなお消えなかった、ひどく個人的な痛みだった。


「白神先生……俵屋って……」


問いかけようとした、そのときだった。


魔泉道が再び俵屋へ体重をかけ、刃をさらにひねる。


「語らせるものか」


その声には、今度は明確な苛立ちがあった。


「お前の感傷など、ここで表に出す価値はない」


その一言が、俵屋の何かを逆撫でしたのかもしれない。


彼は腹を貫かれたまま、魔泉道の手首を掴んだ。

ひび割れた指が、驚くほど強い力で。


「価値……?」


俵屋の目が、初めて感情を剥き出しにした。


それは怒りではなかった。

もっと濁った、もっと深く煮詰まったもの。

何年も押し殺し、腐らせ、なお消えなかった痛みそのものだった。


「お前が……価値を語るな」


次の瞬間、地下全体に重い衝撃が走った。


俵屋の身体から、記憶の奔流が一気に噴き出したのだ。


白塔の壁面の紋様が乱れ、過去の映像の断片めいたものが一瞬だけ空間へ投影される。

白い廊下。

まだ新しい設備。

今よりも明るい灯り。

誰かの笑い声。


志乃の呼吸が止まる。


「え……」


いま見えたものは、現在の白塔ではない。

もっと昔の、まだ壊れていない頃の白塔だ。


虚西が苦しげに呻く。


「来る……志乃、気をつけろ……!」


だが遅かった。


志乃の能力は、すでにその流れを掴んでいた。

拒めば拒むほど、俵屋の奥底へ引きずられる。

そこにはただの情報ではなく、“そのとき俵屋が見ていた世界”がそのまま残っている。


白神教授が術式を展開する。

冷花が志乃の肩を掴む。

吾妻が周囲の防衛機構を牽制する。


それでも、記憶の流入は止まらない。


魔泉道は忌々しげに舌打ちした。


「余計なものを……」


その声を最後に、志乃の意識は大きく沈んだ。


目の前の暴走する地下空間が遠ざかる。

俵屋の苦鳴も、白塔の振動も、仲間たちの叫びも、すべて水の底へ沈むように薄れていく。


代わりに現れたのは、柔らかな光に満ちた白い廊下だった。


まだ何も壊れていない、遠い昔の白塔。


そしてその廊下の先で、誰かが振り返る。


長い髪。

白衣。

穏やかな微笑。


志乃は、その姿を見た瞬間に理解した。


あれが――声の主だ。


白塔の奥で、ずっと呼びかけていた女性。


そして、俵屋の過去の中心にいる人間。


意識が完全に切り替わる直前、最後に聞こえたのは俵屋の感情だった。


愛しさと、喪失と、どうしようもない後悔。


そのすべてが、ひとつの名へ向かっていた。


――ひばり。

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