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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第8節 不死の力

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俵屋の刃

俵屋の動きは、あまりにも静かだった。


白塔の地下を埋め尽くす光の奔流。

東都全域から流れ込む霊気。

白い器の脈動。

魔泉道の歓喜。

そのすべてが頂点に達しようとしている、まさにその一瞬の隙を、俵屋は待っていたのだ。


誰よりも自然に、誰よりも無駄なく、彼は魔泉道の背後へ滑り込む。


「――っ」


志乃が息を呑む。


間に合わない。

そう理解したときには、俵屋の手にあった短い刃が、すでに前へ突き出されていた。


鈍い音がする。


それは金属が何かを貫く音であり、同時に、あまりにもあっけなく人の身体が壊される音でもあった。


「……な」


魔泉道の喉から、掠れた声が漏れる。


刃は、彼の背から胸を突き抜けていた。


白く濁った霊気が一瞬だけ大きく揺らぎ、次の瞬間には血とともに空中へ散る。

魔泉道は自分の胸元を見下ろし、何が起きたのか理解できないまま、ゆっくりと目を見開いた。


「俵……屋……?」


その名を呼ぶ声には、怒りより先に純粋な驚愕があった。


俵屋は刃を握ったまま、何の感慨もなく答える。


「役目は終わりだ、魔泉道」


声は低く、平坦だった。

長年の協力者を裏切る人間の声ではない。

最初からそのつもりで配置された駒が、予定通りに動いただけの声音だった。


魔泉道の膝が崩れかける。

だが俵屋は刃を引き抜かない。むしろ深く、確実に、霊気の流れそのものを断ち切るように押し込んでいた。


「貴様……っ、何を……!」


「決まっている」


俵屋の目が白い器へ向く。


「ここから先は、私が受け取る」


その一言で、地下の空気が凍った。


志乃は拘束されたまま、声を失う。

冷花も息を呑み、吾妻は刀を構えたまま目を細める。

白神教授だけは、最悪の予測が当たったように低く呟いた。


「やはり、そう来たか……」


魔泉道はようやく事態を理解したらしい。

顔が歪む。怒りと、屈辱と、信じ難いという感情が入り混じり、口元から血を吐きながら俵屋を睨みつける。


「最初から……そのつもりだったのか……!」


「最初からだ」


俵屋はあっさりと言った。


「お前の理論は優れていた。白塔の解析も、東都規模への拡張も、必要な準備だった。だから使わせてもらった」


「使わせ……」


「不死の力は、完成した瞬間が最も無防備だ。術者が成功に酔い、器が核を受け入れ、流れが固定されるその刹那に奪えばいい。そう判断した」


その冷徹さに、志乃は背筋が寒くなるのを感じた。


魔泉道は狂っていた。

だが俵屋は、狂気ですらない。

他人の執念も研究も都市ひとつの犠牲も、すべて“効率”として計算し、その果ての最も甘い果実だけを摘み取ろうとしている。


「ふざけるな……!」


魔泉道が叫ぶ。

胸を貫かれながらも、その両手にはまだ霊気が残っていた。


「私の理論だ! 私の到達だ! 貴様のような凡俗に、掠め取られてたまるか!」


彼の周囲の白く濁った霊気が激しく吹き上がる。

胸を貫く刃の周囲から血が飛び散るが、それでも魔泉道は術式の制御を手放さない。白塔との接続が完全には切れていないのだ。


しかし俵屋は一歩も引かなかった。


「だからこそだ。お前は成果に酔う」


そう言うと、彼は空いているほうの手を魔泉道の背へ当てた。


直後、異様な現象が起きた。


魔泉道の身体に流れていた霊気回路が、まるで逆流するように俵屋へ吸い込まれ始めたのだ。


「なっ……!」


白神教授が目を見開く。


「吸収術式……? いや、違う。回路そのものを書き換えている……!」


俵屋の手元から広がる黒ずんだ光が、魔泉道の白い霊気を食い破るように侵食していく。

それは単なる強奪ではない。相手の構築した術式を理解し、接続し、主導権ごと奪う高度な乗っ取りだった。


魔泉道の顔が苦痛に歪む。


「やめろ……! 貴様、それをどこで――」


「お前の隣で見ていた」


俵屋の答えは冷酷だった。


「長い時間をかけて、な」


その瞬間、魔泉道の身体を流れていた霊気の一部が完全に断ち切られ、俵屋の側へ移る。

白塔の紋様が、ほんの一瞬だけ俵屋の足元にも反応した。


志乃は息を呑んだ。


「そんな……まさか……」


俵屋は魔泉道の計画を手伝っていたのではない。

盗むために、ずっと隣にいたのだ。


虚西もまた、その光景を見ていた。

白塔と接続している彼には、表面の裏側で起きている霊気の移動まで見える。


「……奪ってる」


掠れた声で、彼は呟く。


「魔泉道の回路を、そのまま自分の中に引き込んでる……」


志乃がはっとする。


「コウ、分かるの!?」


「見える……でも、やばい……」


虚西の顔が青ざめる。


「俵屋、器の流れまで触ろうとしてる……!」


その言葉の意味を理解した瞬間、白神教授が叫んだ。


「まずい! 魔泉道だけでなく、不死の器そのものを奪う気だ!」


まさにその通りだった。


俵屋は魔泉道を刺したまま、白い器へ向けて左手を伸ばす。

指先から伸びた黒い霊気が糸のように走り、空中に浮かぶ不死の器へ接続しようとする。


白い器が脈打つ。


女の声が、これまでにないほどはっきりと悲鳴を上げた。


「いや……!」


その悲鳴に、志乃の胸が締めつけられる。


「やめて!」


叫んでも届かない。

拘束はまだ解けない。

足掻くことしかできない。


魔泉道は血を吐きながら、なおも俵屋へ掴みかかった。


「触れるな……! それは、私の――」


俵屋は初めて、ほんの少しだけ感情を滲ませた目で魔泉道を見た。


「違う。お前のものになど、最初からならない」


次の瞬間、彼は刃を横へ捻った。


「――がっ……!」


魔泉道の喉から絶叫が漏れる。

胸部の傷口から霊気と血が一気に噴き出し、その瞬間、彼が維持していた最後の制御線が切れた。


白塔の紋様が一斉に明滅する。


魔泉道から離脱した主導権が、空中で揺らぎ、そして俵屋へ流れ込む。


「捕まえた」


俵屋は低く呟いた。


その言葉と同時に、彼の身体の表面に淡い亀裂のような光が走る。

霊気の受容量を超える力が流れ込んでいる証だ。

にもかかわらず、俵屋は眉一つ動かさず、白い器との接続をさらに強めていく。


「お前……本気で……」


白神教授の声には、怒りというより戦慄があった。


「不死そのものを、奪えると思っているのか」


「思っているのではない」


俵屋の視線は、ただ白い器だけを見据えている。


「奪う」


そう断言した。


地下の空気が裂ける。

黒い霊気と白い霊気がぶつかり合い、火花のような粒子が四散する。白塔は一瞬、どちらを主として認識すべきか迷っているように揺れた。


魔泉道は膝をつきながらも、なお俵屋を睨んでいた。

その目には憎悪が宿っている。だがもう遅い。

俵屋は完成の瞬間に割り込み、核心だけを引き剥がしにかかっていた。


「コウ!」


志乃が必死に叫ぶ。


「何か分からない!? どうなってるの!?」


虚西は苦しげに目を細めた。

彼の中には今、白塔全体の流れが流れ込んでいる。俵屋が何をしているのかも、嫌というほど見えてしまう。


「俵屋は……魔泉道の成功だけを使ってる……」


「成功だけ……?」


「器が形になった瞬間、核が定着する前の一番不安定なところを掴んでる。そこに自分の回路を差し込んで、主をすり替えようとしてる……!」


白神教授が歯を食いしばる。


「理屈としては成立する。だが、そんなもの……人間の器で受け止められる量じゃない!」


その通りだった。


俵屋の身体にはすでに異変が起き始めている。

皮膚の下に光の筋が走り、血管の代わりに霊気の脈動が見える。指先はかすかにひび割れた陶器のように白く裂け、その裂け目から眩い光が漏れていた。


それでも彼は止まらない。


むしろ、その苦痛すら計算済みであるかのように、冷静に接続を深めていく。


「不死は、完成すれば器を補完する」


俵屋が低く言う。


「ならば、この程度の損耗は問題にならない」


「狂ってる……」


冷花が吐き捨てた。


だが、その狂気には魔泉道とは別種の怖さがあった。

夢想ではない。

衝動でもない。

理屈で、自分の破滅すら織り込んだうえで前に進む怖さだ。


そのときだった。


白い器が、俵屋の接続に反応して大きく脈打つ。


地下全体が震え、東都から集まる霊気の流れが一瞬だけ乱れる。

女の声が悲鳴のように響く。


「入ってこないで……!」


志乃は全身で拘束を引きちぎろうとした。


「やめろ! やめてよ!」


光の帯が食い込む。

痛みで息が詰まる。

それでも止まらない。


その叫びの中で、魔泉道が最後の意地のように俵屋の腕を掴んだ。


「返せ……!」


血に濡れた手で、彼はなお俵屋を引き戻そうとする。


「それは……私の到達だ……!」


俵屋はその手を冷たく見下ろした。


「だから、お前は弱い」


次の瞬間、彼はついに刃を引き抜いた。


魔泉道の身体が大きく仰け反る。

血が霧のように舞い、その身体が力を失って崩れ落ちる。


同時に、不死の器へつながる主導権の大半が俵屋へ移った。


白塔の紋様が、俵屋の存在を一時的な“主”として認識し始める。


「……取った」


俵屋がそう呟いた瞬間、白い器の表面に黒い筋が走った。


女の声が絶叫する。

虚西が目を見開く。

白神教授の顔から血の気が引いた。


何かが決定的に変わったのだ。


俵屋は確かに、不死の力へ手をかけた。

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