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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第8節 不死の力

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鍵としてのコウ

白塔の地下に満ちる光は、もはや照明ではなかった。


それは意思を持つ生き物のように明滅し、脈打ち、空間そのものの輪郭を塗り替えつつあった。床に刻まれた術式の紋様はより深く輝きを増し、壁面を走る古い文字列は、誰にも読めぬまま確かな意味だけを放ち続けている。


その中心に立つ虚西コウの姿は、まるで塔そのものに呑み込まれつつあるように見えた。


「コウ……!」


志乃が呼ぶ。

だがその声は届いていても、すぐには返ってこない。


虚西は俯いたまま、呼吸を整えるように浅く息を繰り返していた。額には汗が浮き、指先はかすかに震えている。拘束されているわけではない。鎖も檻もない。けれど、彼の身体は見えない何かに深く結びつけられていた。


白塔の奥底から流れ込んでくる気配。

東都全域から集まり始めた霊気のうねり。

そして、自分の内側から応える得体の知れない感覚。


それらすべてが、虚西の中でひとつにつながろうとしていた。


「……やはり、そういうことか」


白神教授が低く呟く。


その視線の先では、虚西の腕に浮かび上がった白い紋様が、先ほどよりさらに広がっていた。血管のように肌の下を走る発光は、単なる霊気の異常ではない。白塔の壁面に刻まれた紋様と酷似している。いや、酷似ではなく――同一だった。


吾妻が鋭く問う。


「何が分かった、白神」


「虚西コウは媒介ではない。単なる生贄でも、術式の通り道でもない」


白神教授は一拍置いて言った。


「白塔を起動させるための“鍵”そのものだ」


空気が張りつめる。


志乃は言葉の意味を理解しきれず、ただ白神教授の横顔を見た。


「鍵……?」


「塔の術式は、霊気量だけでは起動しない。構造が複雑すぎる。霊気を集めるだけなら、もっと単純な儀式装置で足りるはずだ。だが白塔はそうではない。こいつは“誰が触れるか”を選別している」


白神教授は、虚西と白塔を交互に見た。


「おそらく白塔は、特定の性質を持つ存在と接続することで初めて本来の機能を取り戻す。長く眠っていた回路を再起動するには、対応する鍵が必要だった。そして、その条件に合致したのがコウだ」


魔泉道が、実に楽しげに笑った。


「素晴らしい。ここまで来れば、もはや説明はいらぬかと思っていたが……やはり理解者がいると話が早い」


「最初からそれが狙いだったんだな」


白神教授の声は冷たい。


「コウをここへ連れてくること。白塔と接触させること。それこそが実験の前提条件だった」


「そうだとも」


魔泉道は一歩、光の中へ踏み出した。

白く濁った霊気が彼の周囲で煙のように揺らめく。


「白塔はただの建築物ではない。霊気を集積し、変換し、保存し、そして選別する巨大な器官だ。その器官を起こすには、適合する接続点が必要になる。虚西コウは偶然そこにいたのではない。むしろ、彼が現れたからこそ、すべては動き出した」


「ふざけるな……」


志乃の声が震える。


「コウは、お前たちのために生まれたんじゃない」


「誰のために生まれたかなど、本人にすら分からぬことだ」


魔泉道はそう言い放った。


「だが、何に使えるかは見れば分かる。価値とはそういうものだ」


冷花が前に出る。

その目には怒りが宿っていた。


「それ以上言ってみなさいよ」


彼女の手元に霊気が集まる。今にも踏み込む気配だった。

だが、虚西がかすかに顔を上げた。


「……やめてくれ」


かすれた声だった。

志乃も冷花も、はっとして彼を見る。


虚西の瞳は揺れていた。

苦しそうで、混乱していて、それでもどこか諦めきれない光が残っている。


「今、無理に動くと……たぶん、まずい」


「コウ……?」


「分かるんだ。白塔の中にある流れが。ここだけじゃない。地上も、その外も、全部つながってる」


彼は自分の胸元を押さえた。

そこに何かが食い込んでいるように、苦しげに指先が震える。


「俺に触れてるのは、この塔だけじゃない……東都全体の流れが、ここに集まろうとしてる」


その言葉に、吾妻が舌打ちした。


「感覚共有まで始まってるのか」


白神教授は厳しい顔で頷いた。


「同調が想定より早い。コウの適合率が高すぎるんだ」


志乃は思わず一歩前へ出た。


「適合率って、そんな言い方……!」


だが反論の先を、別の声が遮った。


――コウ。


白塔の奥から響く、女の声だった。


その場にいた誰もが息を呑む。

これまで志乃にしか明確には聞こえていなかったはずのその声が、今は空気そのものに混じっていた。微かではあるが、確かに存在している。


虚西の肩が大きく震える。


「……あんた、誰なんだ」


問いかけるように、あるいは独白のように、彼は呟いた。


返事はすぐには来なかった。

代わりに、白塔の壁面を走る紋様が一斉に明滅し、地下空間のどこかで巨大な歯車が噛み合うような音が響く。


そして、女の声が静かに告げた。


――あなたは、ここを開くための人。


虚西の顔色が変わる。


「……開く?」


――ずっと閉じていたものを、終わらせるために。


その言葉に、志乃ははっとした。


終わらせる。

やはりあの声は、始めることではなく、終わらせることを望んでいる。


だが魔泉道はその意味をまるで気に留めていないようだった。


「聞こえるか、虚西コウ。白塔そのものが、お前を認めている」


「認めてる、だと……?」


「そうだ。お前だけが扉を開ける。お前だけが、東都に眠る霊気の流れを完全に束ねる。お前がいるから、白塔は装置になる」


魔泉道の声は熱を帯びていく。


「どれほどの術者でも代わりは務まらぬ。どれほどの霊気を注ぎ込んでも届かなかった領域へ、お前はただ存在するだけで触れてしまう。まさしく鍵だ。唯一の鍵だ!」


その熱狂に、志乃はぞっとした。


虚西を見つめる目が、人を見るものではない。

希少な資源を前にした研究者の目でもない。

信仰に近い執着だ。利用価値に酔い、結果だけを愛している目だった。


「コウから離れて」


志乃は低く言った。


魔泉道は笑う。


「離れる必要がない。もはや彼のほうが、白塔へ近づいている」


そのときだった。


虚西の足元の紋様が、眩いほどに発光した。

同時に彼の全身を淡い光が包み込み、床と身体のあいだに細い光の糸のようなものがいくつも走る。


「っ、う……!」


虚西が苦しげに膝をつく。

志乃は叫んだ。


「コウ!」


駆け寄ろうとした瞬間、見えない壁のような圧力が彼女の身体を弾き返した。

冷花がとっさに支える。


「志乃!」


「離して、行かないと……!」


「今飛び込んだらあんたまで巻き込まれる!」


その間にも、虚西の周囲では白い光が脈打ち続けている。

彼の肌に浮かぶ紋様は肩口から首筋へ、さらに頬へと這い上がり、まるで白塔の一部が肉体の上に再現されていくようだった。


白神教授が険しい顔で言う。


「リンクが始まった……!」


「リンク……?」


志乃が振り返ると、教授は早口に続けた。


「コウと白塔の霊気構造が接続されている。このまま進めば、コウはただ白塔に触れるのではなく、白塔の回路そのものを身体の中に取り込まれるぞ」


「そんなの、耐えられるわけ……」


「普通の人間なら無理だ。だが、だからこそコウが選ばれた」


虚西は荒い息の合間に、何かを見ようとするように前を見つめていた。

その視線の先には誰もいない。

だが彼には見えているのかもしれない。白塔の内部、東都の流れ、その果てにある“何か”が。


「……景色が、変わる」


ぽつりと、彼は呟いた。


「壁の向こうが見える。塔の中だけじゃない……上も、外も、遠くも……全部、線でつながってる」


白神教授が息を呑む。


「視覚共有か……いや、術式認識そのものを得ているのか」


魔泉道は歓喜を隠さなかった。


「素晴らしい。やはりそうだ! 虚西コウ、お前は塔を開く鍵であるだけでなく、塔の視野そのものになれる!」


「黙れ!」


志乃の怒声が響く。

その声に、虚西がわずかに意識をこちらへ戻した。


「志乃……」


「戻ってきて。お願いだから、そっちへ行かないで」


その言葉に、虚西の表情が苦く歪む。


「俺だって……行きたいわけじゃない」


「じゃあ!」


「でも、呼ばれてるんだ」


彼は苦しげに息を吐いた。


「ずっと前から。ここへ来いって。お前がいなきゃ開かないって。……そんな感じが、頭の中じゃなくて、もっと深いところからする」


それは恐怖を伴う告白だった。

自分の意思ではない何かに、あまりにも自然に呼ばれてしまう感覚。

それは洗脳とは違う。もっと根源的で、拒絶しようとするほど自分自身の一部が共鳴してしまうような引力だった。


志乃は言葉を失う。


あの女の声もコウを呼んでいた。

だが彼女は苦しみを帯びていた。終わらせてほしいと願っていた。

ならば今コウを引いているのは、彼女だけではない。白塔という構造そのものが、コウを必要としているのだ。


俵屋が、そこで初めて口を開いた。


「面白いな」


静かな声だった。

けれどその一言で、場の温度がわずかに下がった気がした。


「白塔に選ばれた男、か。希少だ。実に価値がある」


志乃は反射的に俵屋を睨む。

彼の目は冷たかった。魔泉道のような熱狂はない。ただ成果物の完成を見定める者の目だ。


「お前も……コウを利用するつもりなの」


「利用、という言葉は感情的すぎる」


俵屋は淡々と言う。


「価値あるものは奪い合われる。それだけの話だ」


魔泉道がわずかに眉を動かした。

一瞬だけ、俵屋に向ける視線に警戒がよぎる。

だがそれもすぐに消えた。


今の彼にとって重要なのは、計画が前進している事実だけなのだろう。


そのとき、地下全体に新たな振動が走った。


今までよりも深く、重い。

まるで白塔そのものが、さらに内側の扉を押し開けたような響き。


虚西がびくりと身体を震わせる。


「来る……!」


「何が!」


志乃の問いに答える前に、白塔の奥から強烈な光が漏れた。

闇の中に閉ざされていたはずの回廊の先、そのさらに奥で、巨大な何かが起動し始めている。


女の声が響く。


――志乃。

――彼を、見失わないで。


次いで、もう一度。


――コウは鍵です。けれど、鍵は開くためだけのものではない。


その意味を理解するより早く、虚西の周囲の光が一気に広がった。

床から立ち上がった幾本もの光の線が、彼の身体に接続される。


白神教授が叫ぶ。


「まずい、次段階に入るぞ!」


魔泉道は歓喜を隠さず、両手を掲げた。


「そうだ……それでいい、虚西コウ! 白塔を開け! 東都のすべてを、この場所へ導け!」


志乃は見えない圧力に抗いながら、ただ虚西の名を叫んだ。


冷花も、吾妻も、誰もが動こうとして動けない。

白塔そのものが、この瞬間を守るように空間を閉ざしていた。


光の中で、虚西は苦しげに目を見開く。


その瞳には、もはや地下の景色だけではない、もっと巨大な何かが映っているように見えた。


東都の空。

地に張り巡らされた霊脈。

白塔へ向かって集束しつつある、見えざる無数の流れ。


そしてその中心で、鍵として回されようとしている自分自身。


白塔は、確かに彼を求めていた。


だがそれが救済のためなのか、破滅のためなのか――

まだ、誰にも分からなかった。

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