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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第8節 不死の力

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白塔の願い

俵屋と魔泉道の詠唱が重なるたび、白塔の地下はわずかに脈打つように震えていた。


それは単なる振動ではない。

まるで建物そのものが呼吸を始めたような、生きた気配だった。


天井や壁面を走る古い紋様は淡く発光し、床下に埋め込まれた儀式装置は、幾重もの光輪を展開しながら不気味な駆動音を響かせている。

白、赤、青、黄、緑――混ざり合う光が地下空間を染め、そこに立つ者たちの影を歪めていた。


その中心で、虚西コウはじっと立ち尽くしていた。


身体の自由はある。拘束も解かれている。

それなのに、一歩も動けない。


いや、動けないのではない。

この場所そのものに、捕まっているのだ。


白塔の奥から流れ込んでくる何かが、彼の内側の深いところへ触れ、掴み、静かに引き寄せている。

懐かしいような、恐ろしいような感覚だった。


「……コウ」


すぐ傍で、冷花が小さく名を呼んだ。

その声に、虚西はわずかに目を向ける。


冷花の表情は普段よりも強張っていたが、その視線には迷いがなかった。

彼女は何が起ころうとしているのか完全には理解していない。だが、少なくとも虚西を一人にしないという意思だけは、はっきりと伝わってくる。


虚西は何か言おうとして、けれど言葉にできず、ただかすかに頷いた。


その少し離れた場所で、志乃は白塔の奥を見つめていた。


聞こえる。


あの声が、また。


最初は囁きのようだった。

風の音に紛れるほどかすかな、女の声。

だが今は違う。儀式装置が動き、塔全体が覚醒し始めたことで、その声は以前よりもずっと明瞭に志乃の耳へ届いていた。


――来て。


――ここまで来て。


――終わらせて。


志乃は息を呑んだ。


呼んでいる。

間違いなく、自分に向けて。


けれど、その意味が分からない。


救いを求めているのか。

それとも、何か別の“役目”を果たさせようとしているのか。


「どうした、志乃」


白神教授が気づいたように声をかける。

志乃ははっとして振り返った。


「……また聞こえるんです。あの女の人の声が」


「何と言っている」


少し迷ってから、志乃は答えた。


「来て、って。ここまで来てって……それに、終わらせてって」


その言葉に、白神教授の眉がわずかに動いた。

教授は儀式装置の光を見つめ、次に白塔の奥の闇へ目を向ける。


「やはりな……」


「白神先生、何か分かるんですか」


「確証はない。だが、あの声の主は、我々を排除しようとしているわけではないらしい」


白神教授は低く言った。


「むしろ逆だ。この場にいる誰か――いや、おそらくコウを、ここまで導こうとしている」


その言葉に、志乃は思わず虚西を見る。


虚西は装置の光の中で、ひどく静かだった。

抗っているようにも、受け入れているようにも見える。

その姿が、志乃には妙に遠く感じられた。


まるで、もうこちら側の人間ではなくなり始めているみたいで。


「そんなの、だめ……」


思わず漏れた声は、自分でも驚くほど弱かった。


冷花がちらりと志乃を見る。

吾妻は刀を下げぬまま、周囲への警戒を続けている。

学連の戦闘員たちも息を詰め、誰も軽々しく動けずにいた。


この場には敵も味方もいる。

俵屋、魔泉道、白神教授、吾妻、虚西、志乃、冷花。

さらに虺竜文も、クリス・レイシアも、相模も、それぞれの距離で成り行きを見極めていた。


なのに奇妙だった。

争いの只中にあるはずなのに、今だけは全員が、何か“始まるもの”を待っている。


俵屋が古い言語の詠唱を続ける。

魔泉道もまた、白く濁った霊気を揺らしながら術式を維持していた。


その顔には、抑えきれない歓喜が浮かんでいる。


「美しい……やはり白塔は応える。虚西コウという鍵を得て、ついに本来の機能を取り戻しつつある」


「鍵……?」


志乃が反応すると、魔泉道は愉快そうに目を細めた。


「まだ分からぬか。虚西コウは単なる供物ではない。白塔にとって必要な“接続点”だ。白塔の奥に眠るものを目覚めさせるための、唯一の資格者なのだよ」


「ふざけないで」


志乃の声が鋭くなる。


「コウを物みたいに言わないで!」


一歩、前に出る。

だがその瞬間、床に刻まれた紋様が光り、見えない圧力が志乃の足を止めた。

空気そのものが重くのしかかってくるようだった。


吾妻が低く叫ぶ。


「下がれ、志乃! まだ踏み込むな!」


しかし志乃は止まらなかった。

止まれなかった。


あの声が、まだ聞こえる。


――お願い。


――もう、繰り返したくない。


その響きは、懇願だった。

命令ではなく、支配でもなく、ただ苦しみ切った者の祈りだった。


志乃の胸が強く締めつけられる。


何をどうすればいいのかは分からない。

けれど、このまま見ているだけではいけないことだけは分かった。


「コウ!」


志乃が呼ぶと、虚西の肩がわずかに揺れた。

ゆっくりと、彼がこちらを見る。


その瞳の奥に、白塔の光が映っていた。

いや、映っているだけではない。

同じ光が、内側から灯っているように見えた。


「志乃……」


かすれた声。

だが、その呼び方はまだ虚西コウのものだった。


志乃は胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。

まだ届く。まだ間に合うかもしれない。


「戻って。そっちに行っちゃだめ」


虚西は答えない。

ただ、白塔の奥へ引かれるように視線を戻した。


「俺にも……分からない」


彼はぽつりと呟く。


「でも、呼ばれてる。ずっと前から、ここに来いって」


その声には恐怖があった。

けれど同時に、抗いきれない引力も滲んでいた。


白神教授が静かに言う。


「志乃。無理に引き離そうとするな。今のコウは、白塔と半ば共鳴している」


「でも!」


「焦れば壊れる。コウも、白塔も、そしておそらく東都そのものもな」


東都――その言葉に、志乃は息を止めた。


白神教授は儀式装置の光輪を見上げたまま続ける。


「これは地下施設だけの現象ではない。すでに術式は白塔の外へ伸びている。もし私の推測が正しければ……魔泉道たちは、この塔を核にして東都全体を巻き込むつもりだ」


その場の空気が変わる。


吾妻の眼光が鋭さを増し、冷花も表情を強ばらせた。

魔泉道だけが満足そうに笑みを深くする。


「さすが白神教授だ。ここまで見抜くとは」


「やはりか」


「そうだとも。白塔は器にすぎぬ。真に価値があるのは、それを通して引き出される莫大な霊気力だ」


魔泉道は両腕を広げ、まるで舞台の上の演者のように高らかに告げた。


「東都こそが実験場。白塔こそが集積炉。そして虚西コウこそが、その起動鍵なのだ」


志乃は唇を噛みしめた。


女の願い。

コウの苦しみ。

魔泉道の計画。

そのどれもが一つの場所に重なっているのに、自分だけがまだ全体像を掴めない。


どうすればいい。

誰を信じ、何を選べばいい。


そのときだった。


白塔の奥から、これまでで最もはっきりと、女の声が響いた。


「――志乃」


名を呼ばれた。


志乃の全身が震える。


「あなたが、決めるのです」


次の瞬間、地下全体が大きく鳴動した。

壁面の紋様が一斉に輝き、装置の光輪がさらに拡大する。


そして遠く、地上のさらに先――

東都のどこかから応えるように、無数の霊気の脈動が立ち上がる気配がした。


白神教授が顔を上げる。


「始まるぞ……」


魔泉道の笑みが深くなる。

俵屋は無言のまま、目を細めた。

虚西は光の中で立ち尽くし、志乃はその姿を見つめることしかできなかった。


白塔が、目覚めようとしている。


それが救済の始まりなのか。

あるいは、取り返しのつかない破滅なのか。


まだ、誰にも分からなかった。

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