儀式の開始
俵屋と魔泉道が、その言葉を低く唱えた瞬間――地下の古い施設全体が、まるで巨大な生き物のように震え、共鳴を始めた。
止まったはずの儀式装置が、再び脈動する。
虚西の拘束はすでに解かれている。
それなのに装置は沈黙せず、むしろ今この瞬間こそ本番だと告げるように、なおも駆動を続けていた。
「……何が起きている」
吾妻が低く問う。
その手には、すでに抜き放たれた刀があった。
白神教授は装置から目を離さぬまま、静かに口を開く。
「虚西の拘束それ自体が、儀式の本体ではなかったのだ」
その声音には、戸惑いではなく、ひとつの答えへたどり着いた者の確信があった。
「虚西がこの場所へ来ること――それ自体が儀式だった。そして、ここにすべての勢力が集うこと。そこまで含めて、最初から計画されていたのだ」
俵屋が口元をわずかに歪める。
「正解だ、白神。やはりお前は分かっている」
そう言うと、俵屋は古い言語を詠唱し始めた。
人の喉から発せられたとは思えない響きが、地下空間の隅々にまで染み込んでいく。
その音に呼応するように、儀式装置の駆動音が一段と高まった。
装置の中心から光が溢れ出す。
それは単色ではない。
白。赤。青。黄。緑。
いくつもの色彩が渦を巻き、混ざり合い、ひとつの異様な輝きとなって空間を満たしていく。
続いて魔泉道もまた、別の古語を唱え始めた。
彼の身から滲み出る、白く濁った霊気が霧のように広がり、装置全体を覆っていく。
その光景を見つめながら、虚西は静かに呟いた。
「……これが、終わりなのか」
確かめるような声だった。
自分の運命に、最後の名を与えようとするような。
白神教授は、虚西へ振り向く。
「いや、違う」
その目には、強い意志が宿っていた。
「これは始まりだ、コウ。お前の――本当の始まりだ」
その言葉に、冷花がそっと虚西の傍らへ立つ。
「コウ。私たちもいます」
短い一言に、揺るがぬ意思が込められていた。
見捨てない。ともに行く。そう告げる声だった。
志乃もまた、その場を動かず、ただ虚西を見つめていた。
何かを言うより先に、彼女はすでに、この瞬間の意味を感じ取っていた。
周囲では、各勢力が一斉に動き始める。
吾妻は即座に全警備班へ命令を飛ばした。
「全班、戦闘態勢へ移行! 俵屋と魔泉道の力に備えろ!」
学連の戦闘員たちが緊張した面持ちで散開し、それぞれの持ち場へ向かう。
一方、虺竜文はその異様な光景を前に、むしろ愉悦を隠そうともしなかった。
「いい……いいな。光だ。全部、喰らえそうだ」
彼の勾玉が脈打つように赤く輝き、周囲の無機物が次々と歪み、鋭利な凶器へと変貌していく。
クリス・レイシアもまた、レイピアを握ったまま沈黙していた。
その背後には、かすかにケルト神話の魔物たちの影が揺らめいている。
相模だけは動かない。
ただ静かに、この場で何が生まれようとしているのかを見極めるように見つめていた。
そのとき――
白塔の奥底から、女の声が響いた。
先ほどまでよりもはるかに明瞭で、はるかに強く。
まるで長い眠りから目覚めたものが、ようやく待ち人を見つけたかのように。
「虚西コウよ――ついに来たのか。長く、待っていた」
その声は白塔全体を震わせ、壁を、床を、空気そのものを鳴らしていく。
志乃は息を呑んだ。
分かったのだ。
この声は、ずっと虚西を待っていたのだと。
何度も。何度も。
呼びかけるように、誘うように。
白塔の奥から虚西を求め続け、ついにここまで導いたのだと。
白神教授が、その声に応じるように呟く。
「白塔の奥の者……ついに姿なきまま、声を発したか」
その横顔には、深い思索と、避けられぬものを前にした覚悟が滲んでいた。
俵屋と魔泉道は、なおも詠唱を止めない。
古い言葉は絶え間なく連なり、儀式装置の光はさらに激しさを増していく。
光に包まれながら、虚西は少しずつ理解し始めていた。
自分は何者なのか。
なぜここに来たのか。
なぜ自分でなければならなかったのか。
その答えが、いまここで暴かれようとしている。
白神教授と冷花は、虚西の傍らに立ち続ける。
志乃もまた、そこにいた。
敵も味方も、思惑も因縁も、すべてを呑み込んで――
あらゆる力が、ただ一点へと収束していく。
白塔の地下。
朽ちた古い施設。
その最深部で。
儀式はついに、隠されていた本来の姿を現し始めた。




