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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第6節 四天王の座

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襲撃

月砂のアジト。地下水路のそばに築かれた、古い防災施設を改装した空間だった。


志乃は灰色の上着を着た女から渡された簡素な食事を口にしながら、本のページをゆっくりめくり続けていた。『失われた技術は誰のためにあるのか』。その本の記述は、東都の歴史ではなく、むしろ東都の設計図だった。2035年の大震災、2039年の崩落、そして五つの研究都市の誕生。だが、それだけではない。記述の間には、意図的に残された空白がある。何かが、隠されている。その隠されたものが、やがて「再演」されることを前提に。


志乃は本を置き、アジトの内部をあらためて観察した。


眼帯をした男が、古い機械装置の前で何かを修理していた。動作は緩慢だが、確実だ。その腕には、火傷の痕がある。おそらく霊気力による。


包帯を巻いた少女が、暗い角で本を読んでいた。表紙は見えない。彼女の左肩は、明らかに通常ではない角度で固定されている。脱臼か、それ以上か。


精神に傷を負った青年は、床に座ったまま、何もせずに壁を見つめていた。時折、唇が動く。だが声は出ない。彼の周囲には、霊気力が淡く、不規則に渦巻いている。制御できていない兆候だ。


皆が何らかの形で、東都から弾かれた人間たちだ。


志乃は静かに気づき始めていた。相模楸棲が言う「保護」とは、本当の意味ではそうではないのかもしれない、と。


灰色の上着の女が、志乃の横に座った。その動作は音を立てない。月砂のメンバーたちは皆、そのような訓練を受けているのだろう。


「本は、進みましたか」


女の声は淡々としていた。感情を抑えたトーン。だが、その問いかけの背後には、意図がある。


「進みました」


志乃が答えると、女は少し頷いた。


「副長は何かを準備しています」


女が呟くように言った。それは警告ではなく、暗に伝えるための言葉だった。


「何を」


志乃が聞くと、女は答えなかった。ただ、アジトの奥へ視線を向けた。そこは、より暗い領域だ。地下水路へ続く通路。かつての下水道、あるいはそれ以前の何かの跡。


「誰かが来ます」


女が立ち上がった。


「あなたは、ここにいてください」


女は去っていった。背後に、淡い霊気力の痕跡だけが残る。


志乃は本を閉じた。そして、耳を澄ました。


地下水路の向こうから、複数の気配が近づいてくるのを感じた。それは一つではない。複数の人間。複数の霊気力。複数の意図。


その気配たちは、東都の上層から降りてきているのだ。


志乃の中に、何かが共鳴した。本の最後のページに書かれていた一文が、脳裏に蘇る。


『零は選ばれるのではなく、集約される。その時、全ての勢力は一点へ向かう』


暗い通路の奥で、灯りが灯った。複数の灯り。それは、月砂のメンバーの懐中電灯ではない。より高い霊気力を帯びた、別の光だ。


地下水路のそばに築かれた、古い防災施設を改装した空間は、突然の轟音で目覚めた。


爆発ではない。だが、それに近い衝撃だ。天井の一部が崩れ、鉄骨が落下する。塵埃が立ち上った。


眼帯の男、包帯の少女、精神に傷を負った青年。彼らは全員、同時に顔を上げた。何かが、来ている。


灰色の上着の女が、戻ってきた。その動作は、もはや「保護者」のそれではない。戦闘態勢だ。


「逃げてください」


女が一言だけ言った。


「北の通路。奥に隠し区画があります。そこへ」


だが、その指示より早く、北の通路から、轟音と光が迫ってくるのが聞こえた。


爆破。複数の爆発。


古い防水壁が破壊されていく。その先には、黒い影。人間の姿をした、複数の影。


紅叉だ。


灰色の上着の女は、すぐさま霊気力を展開した。赤く、激しい光。だが、その光は、すぐさま打ち消された。より強い赤色に。


「守ります。あなたは」


女が志乃に背を向けたまま、敵戦力へ向かっていった。


志乃は走った。本を落とし、本能的に、反対方向へ。


南へ。西へ。


アジト内の通路は迷路のようだ。だが、志乃は既に、何度もこの施設を歩いている。その足は、無意識に、より深い領域へ向かっていた。


背後から、戦闘音が聞こえた。霊気力の衝突。悲鳴。だが、志乃は振り返らなかった。


相模楸棲は、月砂のより深い層で、情報を受け取っていた。


端末の画面に、アジト内の複数のカメラ映像が映っている。そこには、紅叉の戦力が、次々と侵入してくる様が映されていた。


その先頭に立つのは、モッズコート姿の青年。虺竜文きりゅうもん。東都の絵札の紅叉王キングだ。


相模の表情は、変わらなかった。だが、その瞳に、一瞬だけ、何かが光った。


「予想通り、か」


相模が呟いた。


彼の周囲には、月砂の中核戦力が控えていた。だが、相模は彼らに指示を出さなかった。


「奴らを、深層へ案内しろ。南の通路を封鎖。東側を開放。だが、中枢層には入らせるな」


相模の指示は、冷徹だ。まるで、この襲撃を既に計算済みであるかのように。


「綾崎志乃の位置は」


「現在、西の深層へ移動中です」


部下が報告した。


「よし。奴を追わせろ」


相模は立ち上がった。


「そして、虺竜文へ伝えろ。『待っている』と」


相模の勾玉のような眼が、何かの決意を秘めたまま、戦闘区画へ向かっていった。


志乃は走り続けていた。


背後から、追跡の音が聞こえた。複数の足音。複数の霊気力。


彼女は、自分が何かを理解し始めていた。


自分は、逃げている。だが、この逃げ道も、既に誰かに用意されていたのかもしれない。


本に書かれていた言葉が、脳裏に蘇る。


『再演のシナリオは、誰も止めることができない』


志乃は、西の通路の奥へ、さらに深く進んだ。


そこには、より古い施設の面影がある。コンクリート壁、錆びた配管、かつての何かの痕跡。


古い金属製のドアが見えた。


志乃は、それを押し開いた。


そこは、暗い部屋だった。


窓がない。明かりがない。ただ、かすかに、かつての実験装置の輪郭が見えるだけだ。


志乃は、その部屋に駆け込み、ドアを閉じた。


そして、息を殺して、耳を澄ました。


背後の足音は、一瞬だけ、この部屋の前で止まった。だが、その後、さらに奥へ向かっていった。


追跡者たちは、この部屋が重要ではないと判断したのだろう。


志乃は、ゆっくりと、暗闇の中で、床に座った。


その時、彼女は気づいた。


この部屋は、単なる隠れ場所ではなかった。


壁に、複数のマークが刻まれている。古い言語。あるいは、何かの記号。


そして、床には、古い金属製のプレートが埋め込まれていた。


その上には、一文字だけ、刻まれていた。



◇ ◇ ◇


相模は、南の戦闘区画で、虺竜文と対峙していた。


紅叉王の勾玉が、赤く光っている。その周囲の壁、床、天井の一部が、凶器へと形を変えていた。


相模の霊気力は、それを受け止めていた。だが、その防御も、既に限界が近い。


「虺竜文。相応しい来訪だ」


相模が、戦闘の中で呟いた。


虺竜文は、何も答えなかった。ただ、その勾玉の光が、より強くなった。


そして、相模はそれを感じ取っていた。


この戦いは、本当の意味での「戦い」ではない。


これは、何かの「儀式」なのだ。


その儀式の中心に、綾崎志乃と虚西コウが、置かれようとしている。


相模は、微かに笑った。


本当に、面白い展開だ、と。


◇ ◇ ◇


暗い部屋の中で、志乃は床のプレートに手を置いた。



その文字が、かすかに、うっすらとした光を放つのを感じた。


その瞬間、彼女は理解した。


自分は、逃げているのではなく、呼ばれている。


誰かが、自分を、この部屋へ導いたのだ。


そして、その誰かは、もう直ぐ、ここへ到達する。

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