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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第6節 四天王の座

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名前

学連本部の保護室前は、さっきまでとは別の空気を持っていた。


平間飛鳥は通路の隅で端末を操作し続け、鷹取シズクは姫鶴一文字の鞘に手をかけたまま、扉の観察窓を見ていない。だが、その視線の向かう先には、明らかに警戒がある。


扉が開く。


吾妻が中へ入ったのは、数分前だ。その間、部屋の向こうからは何も聞こえない。静かすぎる。まるで、時間そのものが停止しているみたいな沈黙だった。


やがて、吾妻の声が響く。


「お前の名前は」


短く、直線的な問いかけだった。


隔壁を通しては、返答は聞こえない。だが、何か答えたのだとわかる。吾妻が一度だけ、息を止めたからだ。


「……言い直してくれ」


その一言だけが、外へ漏れた。


飛鳥が端末の操作を一瞬止める。


シズクも、その一言を聞き逃さない。何か大事なことが、今、中で起きている。その予感が、二人の顔に同じ硬さをもたらした。


扉が開く。


吾妻が出てくる。その表情は、いつもの冷静さを保ったままなのに、足取りだけが少しだけ速い。


「飛鳥」


彼女が素早く立ち上がる。


「本部へ報告をあげろ」


「内容は」


「未確認保護対象の身元が判明した」


吾妻は言葉を続ける。


虚西きょせいコウ。年齢不詳。過去事案での記録あり」


飛鳥の指が、素早く端末を叩く。


検索結果がすぐに画面に浮かぶ。過去案件ログ、外信監視データベース、五都市間の情報共有記録。そのすべてに、その名前は薄く残っていた。


「……TEBES関連事案」


飛鳥がそう呟いた瞬間、本部からの緊急通信が入った。複数の回線が一斉に点灯し、壁面モニタが赤く光る。


「虚西コウ捕捉確定。全警戒班、配置につけ」


無機質な音声が、本部全体へ流れた。


吾妻の顔が、さらに硬くなる。


「シズク、警備配置を二段階上げろ」


「了解」


シズクは姫鶴一文字を手に取った。柄の近くがかすかに鳴る。彼女の手から指先へ、淡い青白い光が流れ始める。


保護室の扉が再び開く。


虚西コウが立っていた。フードは外れたままで、首筋の包帯が新しい傷跡を隠している。その目は、外に出す気のない、ただ内側を見つめる冷たさを持っていた。


「動くな」


吾妻が言う。


虚西は動かない。


その代わり、低く言った。


「俺が最初じゃない」


その一言で、周囲の気配が揺れた。


「零はもっと前からいる」


飛鳥の端末から、さらに別の情報が引き上げられていく。古い事案、統計されていない失踪記録、公式な報告には上がらないはずの霊気力異常現象。それらが、散発的ではなく、パターンを持って東都の歴史に点在していた。


「何年前からだ」


吾妻が問う。


虚西はしばらく答えなかった。


その沈黙の中で、学連本部の夜勤班は最大警戒態勢へ移行する。中央管理回廊の照明が明滅し、本部内の非常システムが一段階ずつ起動していく。


「……知らない」


虚西がようやく答える。


「前の零がどこで消えたのかも。次のが誰かも。ただ、いま俺がここにいる。それだけだ」


吾妻の手が、腰の刀へ向かいかけて止まる。


まだ斬る段階ではない。その判断が彼の武士としての経験から出ていた。


「白塔と何の関係がある」


「行ったことがない」


虚西の返答は素早かった。


「だから、何があるのか知りたい」


その答えに、吾妻は一瞬だけ戸惑った表情を見せた。


知りたい。


つまり、虚西自身も、自分が何者なのか、全部は理解していないということだ。


飛鳥が低く言う。


「総隊長。本部からの指示です」


吾妻が振り返る。


「虚西コウを他施設へ移送しろ、との命令」


「どこへ」


「指定されていません。ただし、移送を急ぐようにとの指示」


吾妻の目が細くなる。


「本部は何を判断している」


「恐らく」


飛鳥は言葉を選ぶ。


「虚西コウを、四天王の一角『ジョーカー』と認定したのだと思われます」


その言葉が、室内に落ちた瞬間、空気が完全に変わった。


四天王。


東都の最上位権力の一角。


通常は定義のあいまいな、ほぼ伝説に近い存在だった。だが、その名が使われる時は、必ず全都市規模の危機を指していた。


「移送は」


吾妻が短く問う。


「指示待ちです」


「では、ここで待機。虚西は現在の部屋に」


吾妻は振り返って、虚西を見据える。


「逃げるなら、今だ」


虚西は答えない。


その代わり、彼の目が、向かいの壁を透かしたように見たものを捉えるみたいに、わずかに動いた。


「……もう、遅い」


低い声だった。


「何が」


吾妻が聞く。


「全部」


虚西は足を一歩引く。


「誰かが動き始めてる」


その瞬間、本部全体を揺るがす警報が鳴った。


それは外部侵入ではなく、設備障害を示す黄色の点滅。だが、その数は異常だった。複数の区画で、同時に。


飛鳥が端末を見て、即座に状況を判断する。


「北棟地下、連絡層で霊気力干渉」


彼女の声は落ち着いている。だが、その指の動きは機械的に速い。


「同時に中央管理回廊でも異常検知」


「何者だ」


吾妻が問う。


「……不明です」


飛鳥が画面を切り替える。


「だが、パターンから見て、複数の勢力が一度に動いています」


シズクが姫鶴一文字を鞘から抜く。淡い金属音が、静かに響いた。


「総隊長」


彼女の目は、虚西の脇の壁を透かしたように見ている。


「本当に誰かが、中にいます」


その言葉が終わると、壁面の非常照明が一瞬だけ薄くなった。


電力の低下ではない。


何かが、そこを通った。


音も形も残さないまま、確実に何かが通った。


虚西は動かなかった。


ただ、その目だけが何かを追った。


「……月砂か」


吾妻が低く言う。


飛鳥は本部中枢へ即座に通信を開く。


「全緊急警報を発動。虚西コウ移送を中止。代わりに、本部内部の綻びの総洗浄を開始する」


吾妻は腰の刀を素早く取る。


「シズク、警備班を編成する。本部内の異常地点へ向かう」


「了解」


シズクは既に動いていた。


短く隊員たちへ指示を飛ばし、本部の防衛体制へ一段階上の準備をさせる。


虚西は、その一連の動きを見ていた。


その目の中に、わずかな何かが浮かんだように見えた。


それが、安心なのか、絶望なのか、それとも別の感情なのかは、誰にも判りかねた。


だが、その瞬間だけは、虚西コウは一人の少年に見えた。

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