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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第5節 学連本部 ーー国際テロ組織・TEBESーー

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監視網の穴

「あいつらは、もう中にいる」


名前のない青年のその一言で、保護室の空気は完全に変わった。


吾妻は数秒だけ青年を見据え、それから即座に扉の外へ向き直る。


「飛鳥、全区画照合をやり直せ」


低い声だった。


だが、命令としては十分だった。


「外周じゃない。内部認証、搬送路、保護区画、管理回廊、全部だ。正規ログの“空白”を洗え」


扉の外から、平間飛鳥の返答がすぐに返る。


「了解」


吾妻はもう一度だけ青年を見る。


「お前はここを動くな」


青年は壁にもたれたまま、乾いた目で答えた。


「……動けるなら、とっくに出てる」


その返しに苛立ちよりも事実だけが混じっているのを見て、吾妻はそれ以上言わなかった。志乃へ短く視線を向ける。


「綾崎、いったん保護区画へ戻る」


「でも」


志乃は思わず声を上げた。


「中にいるって、どういう意味なんですか」


吾妻は答えを濁さない。


「それを今から確かめる」


それだけ言うと、彼は通路へ出た。


学連本部の夜は、それまででも十分に緊張していた。だが今は違う。遠くで認証扉が連続して閉まり、区画ごとの色分け照明が青から白へ、白から警戒の淡い赤へ順に切り替わっていく。整然としていた本部が、静かに自分自身を締め上げ始めていた。


志乃は女性隊員に伴われ、保護区画へ戻された。廊下を歩くだけなのに、空気の硬さがさっきまでと違う。誰も慌てて走らない。けれど、全員の足取りが半歩だけ速い。何かが起きたのではなく、起きている最中なのだと、その動きだけでわかった。


個室の前まで来たとき、向かいの観察窓つきの扉が一瞬だけ開いた。


中から、医療班の担当が出てくる。


その隙間の向こうで、青年がこちらを見ていた。


フードは外したまま、片腕に巻かれた包帯を無造作に押さえ、ベッドの端へ腰かけている。顔色は悪い。だが目だけは、少しも休んでいなかった。


「……本当に、中にいるの」


志乃は足を止め、思わず聞いた。


隊員が止めるより少し早く、青年が口を開く。


「いる」


短い返答だった。


そのあと、彼はわずかに視線を外し、低く続けた。


「ここも長くはもたない」


その言葉は脅しではなかった。


予測というより、すでに見えている崩れ方を先に口にしただけの響きだった。


志乃の胸が冷える。


守られているはずの場所で、そんな言葉を聞く現実が、急に足元を不安定にした。


「綾崎さん」


女性隊員が静かに促す。


志乃はそれ以上何も言えず、自室へ入った。


扉が閉まっても、外の気配は消えなかった。貸与端末の画面には、安否連絡以外の機能制限が強化された表示が出ている。窓のない部屋の静けさは、さっきまでよりもずっと狭く感じられた。


一方そのころ、中央制御ホールでは、飛鳥と鷹取シズクが別方向から本部内部の綻びを洗っていた。


「通常ログはきれいすぎます」


飛鳥が壁面モニタへ時系列を並べながら言う。


「北棟上層、保護区画、管理回廊、どこも認証記録は正常。正常すぎて、不自然です」


吾妻が腕を組む。


「どういう意味だ」


「削られています」


飛鳥は監視記録の一部を拡大した。


人の通行ログ、扉の開閉、巡回ドローンの往復。そのすべてがきれいにつながっている。だが、飛鳥が秒単位で重ねていくと、ところどころにごく短い欠落があった。〇・八秒、一・二秒、二秒未満。事故で消えるには規則的すぎる空白だった。


「誰かが映らないようにしたんじゃない」


飛鳥の声は静かだった。


「“記録されたまま、見えない形”に整えている」


シズクは制御卓の脇で、再び姫鶴一文字へ手を添えていた。彼女は音を通しながら、建物の反響をもう一度探る。さっきより輪郭がはっきりしている。いや、正確には、違和感のある場所だけが静かに浮き上がっていた。


「北棟から中央管理回廊へ抜ける経路」


シズクが目を閉じたまま言う。


「そこだけ、通った人間の音が“馴染みすぎてる”」


「正規認証に擬態してるってことか」


網走が眉をしかめる。


「そこまで自然にできるのは、内部の誰かか、内部をよく知ってる誰かです」


飛鳥が即答する。


「外部犯の雑な侵入ではありません」


吾妻は黙ってモニタを見ていたが、やがて低く言った。


「漏れてるのは情報だけじゃないな」


その言葉に、ホールの空気がまたわずかに沈む。


本部内にいる。


それは敵の物理的侵入だけではなく、認証系統や巡回の癖、保護対象の移動手順まで含めて、こちらの“内側”が読まれているということだった。


飛鳥がさらに別の照合画面を開く。


「一件だけ、引っかかるものがあります」


全員の視線が集まる。


画面に表示されたのは、旧保守回線を経由した認証照合の痕だった。現行システムでは使われないはずの、境界区画用の古いルート。今は封鎖済みのはずなのに、一度だけ、そこへ薄いアクセス痕が残っている。


「これ、どこの系統だ」


網走が問う。


飛鳥は少しだけ沈黙し、慎重に答えた。


「……月砂系の痕跡に近いです」


志乃はその報告を、少し遅れて貸与端末の簡易通知で知ることになる。詳細は伏せられていた。だが、保護区画の警戒レベルがもう一段上がったことだけは、部屋の外の足音でわかった。


月砂。


また新しい名が、今度は学連本部の内側から浮かび上がる。


守られている場所でも、もう安全ではない。


その事実だけが、窓のない部屋の白い壁よりも冷たく、志乃の胸へ残った。

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