一か月後の予告
「本部の中に、ひとつ知らない音があります」
鷹取シズクのその一言で、中央制御ホールの空気は完全に実戦のものへ切り替わった。
壁面いっぱいの監視表示が一斉に組み替えられ、北棟上層の連絡層が赤く縁取られる。東都学連本部は学生自治組織の建物を装っていても、その実態は霊気力事案への前線司令部だ。平時の静けさは、異常が出た瞬間にそのまま機能へ裏返る。
「封鎖は」
吾妻が短く問う。
「まだです」
飛鳥が端末を操作しながら答える。
「ですが、通常認証を使った通過痕があります。外部侵入というより、内部ログへ溶け込む形です」
「気持ち悪いな」
網走連が低く吐き捨てた。
シズクは姫鶴一文字へ触れたまま、視線を監視図から外さない。
「露骨に壊しに来る音じゃないです。知ってるふりをして、ここにいたみたいな通り方です」
吾妻が何かを言いかけた、そのときだった。
制御卓の中央に置かれた緊急回線が、鋭い電子音を鳴らした。
通常の学区警報とは違う。五研究都市の上位回線と、対外監視網を束ねる優先信号だった。
「外信監視室からです」
飛鳥がすぐに回線を開く。
壁面モニタが切り替わり、東都だけでなく、尾張、古都、新都市、ヤマトを結ぶ五都市共通の警戒表示が並ぶ。再建後の日本を支える研究都市群の名が、一斉に赤く点っていた。
志乃はそのころ、保護区画の個室で扉の外の慌ただしさに気づいていた。通路を急ぐ足音が増え、控えめだった警備の声に切迫が混じる。しばらくして扉が開き、女性隊員が短く告げる。
「綾崎さん。作戦室へ移動します」
「何があったんですか」
「説明は向こうで」
それだけだった。
保護対象であることを実感するのは、こういう時だった。状況を知る前に、まず動かされる。けれど今夜ばかりは、その理不尽さより先に嫌な予感のほうが強かった。
志乃が作戦室へ入ったとき、室内はすでに張りつめていた。吾妻、シズク、飛鳥、網走。全員の視線が正面の巨大モニタへ集まっている。部屋の中央卓には東都全域の地図が投影され、その外側を五研究都市の接続線が輪のように囲んでいた。
「来たか」
吾妻が振り返らずに言う。
「そこにいてくれ」
志乃は壁際で足を止めた。
モニタには、黒い背景に見慣れない紋様が浮かんでいる。円とも門ともつかない輪郭の内側に、古代文字のような線が絡み合っていた。次いで、機械で歪められた声が流れ出す。
『――東都研究都市に告ぐ』
作戦室の空気がさらに冷えた。
声は日本語だった。だが発音の奥に、複数言語を渡ってきた硬さがある。
『我々は一か月後、この都市において再演を行う』
志乃の喉がひりつく。
画面に、東都の簡略地図が表示された。湾岸物流線、白塔周辺、中央集積区画。その三か所へ赤い印が順番に打たれる。
『失われた技術は再び開かれる。霊気力は集められ、門は開く』
その言葉の意味を、志乃はまだ理解しきれなかった。
けれど“白塔”の位置へ赤い印が落ちた瞬間だけは、胸の奥がはっきり冷えた。
『阻止したければ、見つけろ。あるいは差し出せ。零へ至る鍵を』
そこで映像が乱れる。
最後に、画面下へ英字だけが短く刻まれた。
TEBES
回線はそこで途切れた。
作戦室に、数秒の沈黙が落ちる。
「……ふざけた声明だな」
網走が最初に口を開いた。
だが、その声音に軽さはなかった。
飛鳥が即座に解析結果を壁面へ展開する。
「送信元は分散偽装。新都市沿岸回線を踏み台にし、さらに海外衛星網を経由しています。ですが署名パターンは一致」
「TEBESで確定か」
吾妻の声は低い。
「はい」
飛鳥がうなずく。
「外信監視室の蓄積データとも一致しています」
志乃は耐えきれず、口を開いた。
「……TEBESって、何なんですか」
シズクが一度だけこちらを見た。
その目には気遣いがあったが、答えはやさしくなかった。
「国際テロ組織です」
彼は簡潔に言う。
「霊気力と、失われた技術を兵器にも儀式にも使う連中です。国境の外から来るくせに、壊す時だけはその土地の傷をよく知っている」
志乃はモニタを見上げた。
東都だけではない。尾張の工業区、古都の文化保全層、新都市の海上輸送網、ヤマトの医療研究区画。それぞれの都市の警戒線が連動している。東都で起きていたことが、東都だけの事件では済まないと、その表示だけでわかった。
「一か月後、って」
志乃の声は思ったより小さかった。
「本当にやるつもりなんですか」
「予告だけなら、わざわざ五都市回線へ乗せない」
吾妻が言う。
「見せる必要がある相手へ見せた。つまり、やる気だ」
飛鳥が別ウィンドウを展開する。
「声明文内の語句、過去のTEBES案件と照合。“再演”“門”“集積”の組み合わせは初出です。ですが、東都の霊気力集積施設と湾岸線、さらに白塔周辺を同時に指定している時点で、単純爆破ではありません」
「儀式めいた大規模事案か」
シズクが静かに呟く。
その手が、無意識に姫鶴一文字の鞘を押さえる。
「嫌な音ですね」
吾妻はしばらくモニタを見据えていたが、やがて低く言った。
「タイミングが良すぎる」
誰も返さない。
だが、全員が同じことを考えていた。
ついさっき、名前のない青年が言った。
東都は一か月以内に騒がしくなる、と。
「……あの人」
志乃は思わず漏らした。
吾妻がわずかに振り返る。
「心当たりがある顔だな」
「さっきの、青年です」
志乃は自分でも驚くほど早く答えていた。
「一か月以内に東都が騒がしくなるって、言ってたんですか」
吾妻は数秒だけ黙り、それから小さくうなずいた。
作戦室の空気がまた変わる。
ただの未確認保護対象ではない。少なくとも、この予告へ先に触れていた人間だという意味を、その場にいる全員が共有した。
「飛鳥」
吾妻が言う。
「青年の警戒を一段上げろ。ただし拘束はするな。話せるうちに話を聞く」
「了解」
「シズクは本部内の穴を継続確認。外からの侵入より、内側の綻びを優先する」
「はい」
「網走は湾岸と白塔周辺の現場班準備だ。学区の警備課とも繋げ」
「任せろ」
矢継ぎ早の指示が飛ぶ。
その一つ一つが、もう東都の夜を次の段階へ押し出していた。
志乃だけが、その流れの端で立ち尽くす。
一か月後。
TEBES。
白塔。
零へ至る鍵。
全部が自分の知らない言葉のまま、しかし自分と無関係では済まない形で並んでいた。
モニタの赤い印が、白塔の位置でまた明滅する。
まるで、遠い予告ではなく、すでに始まっている話の続きだとでも言うように。




