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ロストテクノロジーは誰のためにあるのか  作者: 維岡 真
第1章 ”零を探せ” 第5節 学連本部 ーー国際テロ組織・TEBESーー

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保護対象の部屋

保護区画の通路は、病院より静かで、研究棟より冷たかった。


白い壁、灰色の床、角の少ない設計。圧迫感を減らすためなのだろうが、監視の目まで消えるわけではない。天井の隅、扉の上、通路の折れ角。どこにも露骨な威圧はないのに、見られている感覚だけは途切れなかった。


「こちらです」


案内した女性隊員が、最初の部屋の扉を開けた。


中は簡易医療室だった。診察台、壁面端末、霊気力波形を測るための薄い環状機器、救急用品の収納棚。清潔で整っているが、患者の不安を和らげるための装飾はほとんどない。


志乃は椅子へ座るよう促され、そのまま医療確認を受けた。脈、体温、血圧、瞳孔反応、霊気力の揺れ。霊気力災害の時代を経た東都では、負傷の確認と同じくらい、力の変調を見ることが重要なのだろう。


「腕を上げてください」


白衣ではなく学連医療班の制服を着た担当者が言う。


志乃は制服の袖の焼け跡を見下ろした。紅叉の拘束索がかすめた部分だけが、黒く焦げて縮れている。見た目は軽い。だが皮膚の下には、まだじんとした熱が残っていた。


「大きな外傷はありません」


担当者は端末へ記録を打ち込みながら続けた。


「ただし、霊気力反応後の消耗が少し強いです。吐き気、めまい、耳鳴りは」


「少し、あります」


答えると、担当者は淡々とうなずいた。


「今夜は安静を。急な再発現を避けるため、単独行動は禁止です」


禁止。


その言葉に、志乃は小さく息を止めた。


わかっている。理屈は正しい。けれど、正しさと息苦しさは別だった。


医療確認が終わると、次は小さな面談卓のある部屋へ通された。さっきの医療室よりは柔らかい照明だったが、構造はほとんど同じだ。ソファではなく固定椅子。窓はなく、壁面モニタだけが外部情報の代わりみたいに設置されている。


そこへ平間飛鳥が入ってきた。


相変わらず無駄のない足取りだったが、現場から戻った直後より少しだけ疲れが見える。ネクタイを緩めるような人ではないくせに、目の奥だけがわずかに眠っていない色をしていた。


「体調は」


飛鳥が向かいへ座る。


「大丈夫……だと思います」


「そう答える人は、たいてい大丈夫ではありません」


冷たい冗談なのか、本気なのかはわからなかった。


ただ、責める調子ではない。


「今夜は正式な聴取ではありません」


飛鳥は端末を卓上へ置いた。


「確認だけです。外部通信には制限をかけていますが、ご友人への安否連絡は可能です」


志乃は少しだけ顔を上げた。


「連絡、していいんですか」


「内容は短く。位置情報は伏せます」


言いながら、飛鳥は小型端末を一台差し出す。


私物端末ではなく、学連の仮端末らしい。送信できる先は事前登録された番号だけで、画面の上には送受信記録が残る仕様になっていた。


「監視されてるんですね」


志乃が言うと、飛鳥は否定しなかった。


「保護の範囲内で」


その答えは、正直すぎて反論しにくい。


志乃はアリサと美世へ短いメッセージを送った。


《無事。今日は学連で保護される。明日また連絡する》


それだけなのに、送信を終えた指先が少し震えた。自分の言葉が自分の外へ出る前に、誰かの確認を通る。その感覚は、小さなことのはずなのに思った以上に重かった。


「本部内では、あなたの件はすでに共有されています」


飛鳥が壁面モニタを起動する。


映し出されたのは、湾岸連絡デッキの荒い静止画、学区屋上の監視記録、そして今夜の回廊の封鎖ログだった。どれも外部に流れた断片とは違い、角度も時間も補足されている。ぼやけた動画ではなく、案件記録として整理された“綾崎志乃周辺事案”だった。


志乃の背中に薄い寒気が走る。


噂より、整理された記録のほうが怖い。


そこには感情がない。あるのは、発生地点と反応時間と、関与した組織名だけだ。


「紅叉の襲撃は、単独犯ではなく確認行動と見ています」


飛鳥が言う。


「湾岸の件から今夜までの流れが早すぎる。あなたに関する情報は、すでに複数の手へ渡っています」


「複数って……」


「少なくとも紅叉。おそらく月砂も」


月砂。


また知らない名が増える。東都の街は一見整っているのに、その下ではいくつもの組織が別々の理屈で動いているらしい。


「それと」


飛鳥が一拍置く。


「彼の件も、本部で共有しました」


彼。


志乃はすぐに、フード付きの青年を思い浮かべた。


「……どうしてますか」


「別室です」


飛鳥は端末を閉じた。


「拘束はしていません。現状では敵性が確定していないので。ただし、警戒付き保護です」


その言い回しが、妙に胸へ残った。


拘束ではない。


けれど自由でもない。


自分と同じだ、と志乃は思う。


「名前は」


思わず聞くと、飛鳥はわずかに目を細めた。


「まだ話していません」


それは、彼が黙っているという意味でもあり、本部側も無理には吐かせていないということでもあるのだろう。


「会えますか」


飛鳥は少し考え、それから首を横に振った。


「今夜は無理です」


予想していた答えだったのに、志乃は少しだけ落胆した。


話の続きはまだだ、と言ったのは自分のほうなのに、その続きを許される場所へはまだ入れない。


面談を終え、個室へ案内される途中、志乃は通路の角で足を止めた。


向こう側の観察窓つきの扉の前に、学連隊員が二人立っている。武器を抜いているわけではない。だが、ただの見張りでもない距離感だった。


「……あそこ」


志乃が小さく言う。


飛鳥は足を止めなかった。


「彼の部屋です」


志乃は観察窓の向こうを、ほんの一瞬だけ見た。


簡素なベッドと机だけの室内。拘束具は見えない。フードを外した青年がベッドの端に腰かけ、片腕を自分で押さえていた。横顔しか見えなかったが、思ったより幼い輪郭だった。けれど、その姿に漂う静けさは夜の回廊のままだった。


そのとき、青年がふいに顔を上げる。


視線が、観察窓越しに志乃とぶつかった。


一瞬だった。


なのに、胸の奥の空白がかすかに震えた気がした。


「綾崎さん」


飛鳥が静かに呼ぶ。


志乃ははっとして視線を外す。


「こちらです」


案内された個室は、狭くはないが、あまりにも整いすぎていた。ベッド、机、洗面台、収納棚。必要なものは揃っている。だが余計なものがひとつもない。長くいることを歓迎しない部屋だった。


扉が閉まる直前、志乃はもう一度だけ廊下の向こうを見た。


青年の部屋の前には、まだ隊員が立っている。


拘束ではない。


けれど、逃がしもしない。


その扱いが、彼が単なる敵でも味方でもないことを、かえってはっきり示していた。


守られているはずなのに、自由はない。


この部屋の静けさの中で、志乃はようやくそれを実感した。


学連本部は安全な場所かもしれない。


でも、安心できる場所ではなかった。

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