学連介入
「そこまでだ」
その声と同時に、回廊の空気が変わった。
夜の歩廊の端、交差通路から二つの影が踏み込んでくる。ひとりは迷いなく前へ出る大柄な男。もうひとりは半歩遅れて周囲を見渡す細身の男。どちらも見覚えがあった。昼に面談室で志乃と向かい合っていた、学連の二人だ。
「網走……!」
志乃が息を呑む。
網走連は返事をしなかった。
その代わり、先頭の紅叉の男へ一直線に間合いを詰める。速い、というより、踏み込みに無駄がなかった。歩幅も重心も最短で、相手が刃を上げ切る前に懐へ入る。鈍い打撃音がひとつ鳴り、赤い霊気の刃があっけなく軌道を逸らされた。
「ぐっ――」
短髪の男が体勢を崩す。
網走は追撃を急がず、その手首だけを正確に叩き落とした。圧縮霊装器が床を跳ね、火花を散らして転がる。
「綾崎から離れろ」
低い声だった。
命令というより、決定だった。
「学連が……こんなに早く」
痩せた男が舌打ちする。
その横で、平間飛鳥はすでに別の仕事に入っていた。端末を手早く操作し、歩廊脇の防災シャッターを半分だけ降ろす。開けたまま周囲を遮蔽する、避難誘導用の設定だ。さらに上空へ向けて認証信号を飛ばし、近くを巡回していた警備ドローンの進路をこちらへ引き寄せる。
「一般人は左の避難通路へ」
飛鳥がよく通る声で告げる。
近くにいた住民たちが、ようやく状況を理解して動き始めた。子どもを抱えた女、買い物袋を持った研究員、帰宅途中の学生。悲鳴と戸惑いはある。だが飛鳥の指示は短く、迷わせない。
「立ち止まらないでください」
その一言で、人の流れがひとつの方向へまとまる。
志乃はその様子を見て、学連がただの自治組織ではないことを改めて思い知らされた。戦う者と、場を切り分ける者。その両方が、最初から役割として噛み合っている。
「西野アリサさん、古本美世さん、こちらへ」
飛鳥が半身だけ振り返って言う。
二人は案内柱の陰から飛び出し、志乃のほうへ駆け寄った。飛鳥は三人をシャッターの内側へ寄せると、素早く周囲を見回す。
「綾崎さん。無理に動かないで」
「でも――」
志乃が言いかける。
その間にも、網走は紅叉二人を相手に前線を保っていた。ひとりの蹴りを受け流し、別方向から伸びた赤い刃を腕ごと外へ払う。剣戟のような派手さはない。むしろ実務的な近接制圧で、相手の武器と体勢だけを順番に潰していく。
「ちっ、面倒なやつが来たな」
先頭の男が吐き捨てる。
「学連は引っ込んでろ」
網走の視線は冷えたままだった。
「それは無理だ」
次の瞬間、男が放った赤い弾を、網走は身を沈めてかわす。弾は背後の壁へ当たり、保守灯を砕いた。歩廊の一角が暗くなる。だが、その暗がりを利用しようとした紅叉の横移動を、飛鳥は逃さなかった。
「右へ回ります」
飛鳥の声が鋭くなる。
網走は応じる代わりに、踏み込みの角度だけを変えた。紅叉の進路が一瞬で塞がれる。連携だった。多くを喋らなくても、互いの見ている盤面が同じなのだとわかる。
「……殺す気じゃないですね」
飛鳥が、紅叉の動きを見ながら低く言う。
志乃は彼の横顔を見る。
「え」
「最初から急所を外している。目的は殺害ではなく、発現確認と確保です」
その分析は冷静だった。
けれど、内容はひどく生々しい。
志乃は唇を噛む。さっきの攻撃も、アリサへ向けられたようでいて、実際には自分の反応を引き出すためだった。友人を盾に使われたのだと、今さらはっきり理解する。
「……最低」
アリサが低く吐き捨てた。
美世は顔を青くしながらも、志乃の腕を強くつかんでいる。その手の震えが、かえって志乃を現実へ引き戻した。
「確認班、後退するな!」
紅叉の先頭の男が怒鳴る。
「反応は出た! ここで持っていけ!」
その号令で、残る二人が左右へ散った。正面から網走を引きつけ、その隙に横から志乃たちへ回り込むつもりだ。
「平間!」
網走が短く呼ぶ。
「わかっています」
飛鳥は一歩前へ出た。
細身の体が、驚くほどぶれずに止まる。端末を投げるように片手で操作すると、歩廊天井の非常照明が一斉に切り替わり、白い補助灯が横方向へ走った。眩しさに紅叉のひとりがわずかに目を細める。その隙に飛鳥は足を踏み込み、相手の腕を払って進路を外す。大きな動きではない。それでも十分だった。狙いを逸らされた赤い弾が床へ突き刺さり、火花だけを散らす。
「学連の副隊長気取りが……!」
男が歯を剥く。
飛鳥の表情はほとんど変わらない。
「気取りではなく、担当です」
淡々とした返答だった。
その間にも、網走は先頭の男を壁際まで押し込み、肩口へ一撃を入れる。鈍い音とともに男の手から武器が落ちた。だが制圧し切る寸前で、痩せた男が通信機へ何かを叫ぶ。
「候補女、発現確認! 学連介入、繰り返す――」
網走の拳がその横顔へ叩き込まれ、通信機が弾け飛ぶ。
それでも、もう十分だったのだろう。紅叉の面々の目に、焦りと同時に別の確信が混じる。
志乃はそれを見て、嫌な予感を覚えた。
引くつもりではない。
次の段階へ移るつもりだ。
「網走さん!」
志乃は思わず声を上げた。
その瞬間、先頭の男が笑った。
「やっと焦ったか」
男の視線は、志乃ではなく、そのさらに向こうへ向いていた。
歩廊の先、避難誘導の遅れた一般人が二人、まだ通路の端に取り残されている。小さな子どもを連れた母親だった。飛鳥のシャッターが完全に閉じ切るより、一歩だけ遅かった。
紅叉の男が、そちらへ銃口を向ける。
「やめ――」
志乃が叫ぶ。
男の指が、引き金へかかった。
飛鳥が振り返り、網走が地を蹴る。
けれど、わずかに距離が足りない。
その一瞬で、志乃の胸の奥にまたあの冷たい空白がひらきかけた。
狙いは、最初からそこだった。




